第386話「裁断の余白」
中央区の裏路地の一角にある、古い仕立て屋の工房。
室内には、かつて王宮の貴族たちが競って注文した最高級の絹糸や刺繍入りの布地が、棚に並べられたままになっている。
主である老職人は、針を持つことなく、作業台の前にただ座っていた。
机の上には、一ヶ月前に城内の内蔵寮から届いた、新しい儀礼服の注文書が広げられたままだ。
布を裁つための大きな鉄の鋏は、油を塗られた状態で箱の中に眠っている。
「もう、これを受け取りに来る者などいない」
職人は独り言のように、静かに呟いた。
注文を出したはずの担当高官の屋敷は、すでに数日前から人影が途絶え、門が固く閉ざされている。
国が新しい衣服を必要としなくなるということは、その衣服を身に纏うべき権威そのものが、この世界から消え失せたことを意味していた。
彼は立ち上がり、棚から一枚の厚い灰色の布を取り出すと、机の上の注文書の上にかぶせた。
文字が隠れ、部屋にはただ古い生地と蝋の匂いだけが漂う。
職人は店の表扉の鍵を閉め、内側から頑丈な木製の閂を下ろした。
彼がこの場所で新しく衣服を作る理由は、もうどこにも残されていなかった。
街がその輪郭を失っていくように、彼もまた静かに自分の作業場を閉ざし、裏口から去っていった。




