第362話「最後の職人」
中央区の裏路地にある古い仕立て屋。店内には、かつて貴族たちが好んで注文した最高級の絹糸や布地が、棚に整然と並べられたままになっている。主である老職人は、針を持つことなく、窓際の椅子に腰掛けて外を眺めていた。
机の上には、一ヶ月前に城内の内蔵寮から届いた、新しい儀礼服の注文書が置かれたままだ。布を裁つための大きな鋏は、油を塗られた状態で箱の中に眠っている。
「もう、誰も取りには来ないだろう」
職人は独り言のように呟いた。注文を出したはずの役人の屋敷は、すでに数日前から人影が途絶えている。国が衣服を必要としなくなるということは、その衣服を身に纏うべき権威そのものが消え失せたことを意味していた。
彼は立ち上がり、棚から一枚の厚い布を取り出すと、机の上の注文書の上にかぶせた。文字が見えなくなり、部屋にはただ古い生地の匂いだけが漂う。職人は店の表扉の鍵を閉め、内側から閂を下ろした。彼がこの場所で新しく衣服を作る理由は、もうどこにも残されていなかった。
街がその輪郭を失っていくように、彼もまた静かに自分の作業場を閉ざした。これまで積み重ねてきた技術も、王国の最高権力者がいなくなれば、ただの無駄な労働に過ぎなくなる。職人は静かに裏口から去っていった。
残されたのは、誰も着ることのない儀礼服の図面と、主を失った無人の空間だけだった。都市が自壊していく速度に合わせて、職人は自分の歴史をそこで終わらせた。




