第35話 聖女の影
ヴェルデ大公国の建国を祝う朝
農園はかつてない活気に包まれていた。
近隣の村々から『奇跡の野菜』と『皇女の庇護』を求めて人々が集まり
即席の市場や宴の席が設けられている。
中心にそびえる『生命の樹』からは
微かな光の粒子が舞い落ち
それを浴びた人々の顔からは疲れが消え、希望の色彩が宿っていた。
「さあ、遠慮せずに食べてくれ! 今日の野菜は、セシリアと俺、そしてこの大地が作り上げた、最高の収穫物だ!」
俺は広場の中央で、特大の鉄板を囲んで
『ヴェルデ流・魔導鉄板焼き』を振る舞っていた。
水耕栽培で極限まで糖度を高めた『クリスタル・キャベツ』が
熱い鉄板の上で弾け、甘い香りを振りまく。
「信じられない……! こんなに甘い葉菜、生まれて初めて食べたわ!」
「傷だらけだった俺の身体が、このエールを一杯飲んだだけで羽が生えたように軽いぞ!」
集まった難民や元兵士たちの歓声が、空に響く。
「……ククッ、平和な光景だな。だがクロード、これがただの『宴』だと思うなよ。これは、私たちの新しい秩序に、民が魂を売るための『契約の儀』だ」
アナスタシアが、豪華な礼装に身を包み、不敵な笑みを浮かべて現れた。
彼女の視線は、幸福に浸る民衆を慈しむようでもあり
同時に支配者として冷徹に観察するようでもあった。
「アナスタシア、あまり民を怖がらせるなよ。今日はめでたい日なんだ」
「ハッ、お前は甘すぎる。……だが、その甘さがこの楽園を作ったのも事実だ。認めよう」
アナスタシアは俺の隣に並び
グラスに注がれた黄金の果実水を一口煽った。
「帝国も王国も、この熱狂を見れば血眼になって奪いに来るだろう。……リリアーナ! 警備状況はどうなっている?」
呼びかけに応じ、銀の甲冑を鳴らしてリリアーナが歩み寄る。
彼女の背後には、ガントが改修した最新鋭の魔導重機が整然と並び
祝祭の影で隙のない守りを固めていた。
「万全ですわ、殿下。周辺の街道にはガウロス隊を配備し、空域は魔導センサーで監視しています。……ただ、気になることが一つ」
リリアーナの表情に、僅かな曇りが生じた。
「北の境界線付近で、不思議な魔力反応が観測されました。攻撃的なものではありませんが……まるで、この農園に『呼ばれている』ような、懐かしい波動だとか」
「呼ばれている? セシリアの聖法気に当てられた迷い子か?」
アナスタシアが眉を潜めた瞬間
広場の入り口で人々がどよめき、道が開いた。
そこには、ボロボロに引き裂かれた教会の法衣を纏い
杖を突きながらふらふらと歩いてくる一人の少女の姿があった。
その少女が顔を上げた瞬間、俺の心臓は一拍、跳ね上がった。
「……嘘だろ……」
そこにいたのは、セシリアと瓜二つの顔を持つ少女だった。
銀糸のような髪、透き通るような肌。
だが、その瞳にはセシリアのような輝きはなく
底知れぬ絶望と【泥】のような魔力が渦巻いている。
「……あ……ああ……。見つけた……。私の……『オリジナル』……」
少女は震える指をセシリアへと向け
そのまま糸が切れたように地面へ崩れ落ちた。
「セシリア! 下がっていろ!」
俺は咄嗟に前に出たが、セシリアはそれを制して少女へと駆け寄った。
「待ってください、クロードさん!この子……泣いています。私と同じ、悲鳴を上げているんです!」
セシリアが少女の身体を抱き寄せた瞬間
二人の魔力が共鳴し、凄まじい衝撃波が広場を駆け抜けた。
アナスタシアが鋭い眼光を向け、腰の細剣に手をかける。
「リリアーナ、民を避難させろ! 奴の魔力……これは教会の禁忌を遥かに超えているぞ。……おい、お前は何者だ!?」
アナスタシアの問いに
意識を失いかけた少女が、うわごとのように呟いた。
「……教会は……あなたを『収穫』に来る……。セシリア……。あなたは、神が作ったんじゃない……。私たち……『工場』で作られた、失敗作の……」
『工場』だと?
少女の放った言葉に、その場にいた全員が凍りついた。
「ククッ……。ハハハハ! 面白い、実に面白いではないか!」
アナスタシアが、狂気すら孕んだ高笑いを上げた。
「聖女が『神の奇跡』ではなく、『人工物』だったということか? 教会の奴ら、とんだ茶番劇を世界に見せてくれていたものだな。……いいだろう、クロード。この娘を収容しろ。教会の裏側を暴く最高の『サンプル』だ」
アナスタシアは不敵に笑っているが
その瞳には帝国皇女としての激しい怒りが燃えていた。
自らの足元を揺るがす教会の欺瞞に
彼女の「覇道」が激しく反応しているのだ。
セシリアは、自分と全く同じ顔をした少女を抱きしめたまま
悲しげに空を見上げた。
「クロードさん……私、自分が何者でも構いません。でも、この子を助けてあげたい……。この子の中に、たくさんの『お姉さん』たちの悲鳴が聞こえるんです……」
祝祭の華やかさは一瞬で消え去り、農園には重苦しい沈黙が降りた。
教会の正体。
聖女の真実。
そして、セシリアを「回収」するために動き出した、教会の真の切り札。
「ああ、分かっている。誰が作ったかなんて関係ない。セシリアはセシリアだ。……そして、この娘を傷つけた奴らには、相応の『ツケ』を払ってもらう」
俺はガウロスのエンジンを再び始動させるよう、ガントに合図を送った。
ヴェルデ大公国の建国祭は、かつてない強大な敵――
【聖女を製造する闇】との全面戦争の始まりを告げる合図となったのだ。




