第20話 肉汁を愛したスパイ
目が覚めると、そこは地獄の拷問部屋……ではなく
日当たりの良いテラス席だった。
全身を頑丈な植物のツルで椅子に縛り付けられていることを除けば
まるで休日のカフェだ。
「……んぐっ」
王国の筆頭宮廷魔導師が一番弟子、ゼフィルスは
意識を取り戻すなり強烈な「暴力」に襲われた。
――匂いだ。
焼きたてのパンの香ばしい匂い。
バターが溶ける濃厚な香り。
そして、じっくり煮込まれたポトフの湯気。
「お目覚めですか、ネズミさん」
目の前には、優雅にモーニングコーヒーを啜る農園主クロードと
その隣で山盛りのイチゴを貪り食う元・聖女セシリアがいた。
「さて、尋問を始めましょうか。王国の狙いは? 魔導師長の目的は?」
クロードがナイフとフォークをカチャリと鳴らす。
ゼフィルスは軽薄な笑みを貼り付け、肩をすくめようとした。
「おいおい、手荒だなあ。僕はただの旅人だよ? 道に迷ったらゴリラに殴られたんだ」
「そうですか。旅人なら仕方ない。……朝食はお出しできませんね」
クロードは目の前の皿
――『半熟目玉焼き乗せ・ダンジョンハーブソーセージ添え』――
を、あえてゼフィルスの鼻先に近づけた。
とろり、と黄身が溢れ、肉汁たっぷりのソーセージが湯気を立てる。
「ぐぅ……ッ!」
ゼフィルスの腹が、裏切り者のように盛大な音を鳴らした。
無理もない。
王国の食糧事情は最悪だ。
クロードを追放してからというもの
土壌の劣化が進み、野菜は高騰。
宮廷魔導師の弟子である彼でさえ
最近の食事は「ふすま入りの黒パン」と
「具なし塩スープ」だけだったのだ。
(なんだこの暴力的な香りは……! これが野菜? これがパンか!?)
本能が理性を凌駕しそうになる。
クロードは悪魔の囁きを続けた。
「このソーセージ、ダンジョン豚を桜のチップで燻製にしたんです。一口食べれば、肉汁がジュワッと……! ああ、王国の『木の根っこみたいなパン』とは比べ物にならないでしょうねぇ」
「……ッ!!」
その言葉が決定打だった。
ゼフィルスの脳裏に、師匠と食べた不味い朝食がフラッシュバックする。
(……やってられるかよ。あんなゴムみたいなパン!)
ゼフィルスは表情を一変させた。
キリッとした顔で、しかし目だけは皿に釘付けで叫ぶ。
「降参だ! 全部喋る! だからそのソーセージを俺の口に入れろ!」
「……早いですね」
「師匠……悪いけど、王国の給食は不味すぎます! 俺は美味いもの側につく!」
縄を解かれたゼフィルスは
犬のように皿に顔を突っ込み、数分で完食した。
「ふぅ……生きた心地がした」
彼は満足げに腹をさすりながら、ニヤリと笑った。
「さて、約束通り情報をやろう。筆頭魔導師ガロンは、あんたの『技術』を狙ってる。聖女教会の騒ぎに乗じて、農園の魔力源を盗んでこいと言われたのさ」
ペラペラと喋るが、その目は笑っていない。
(ま、適当に恩を売って、隙を見てここを乗っ取ればいい。
飯が美味いのは分かった。俺がここの支配者になれば、毎日この飯だ)
彼は内心で舌を出していた。
典型的な「面従腹背」だった。
だが、クロードはそれを見透かしたように微笑んでいる。
「情報は感謝します。で、これからどうします?」
「俺を雇わないか? 風魔法は便利だぞ。空気の入れ替え、花粉の媒介、洗濯物の乾燥……なんでもござれだ」
彼は軽い調子でウインクしてみせる。
「もちろん、スパイとして監視するのが目的だけどね。……なんて、正直に言うやつは信用できるだろ?」
「いいでしょう。ちょうど『ビニールハウス』の空調管理が欲しかったんです」
「交渉成立だな! 給料はいらない。現物支給(一日三食)で頼むぜボス!」
その日の夜。
ゼフィルスは与えられた個室(快適なログハウス)で
風に乗せて王都へ報告書を飛ばしていた。
『報告:庭師クロードの農園への潜入に成功。』
『現地の状況は劣悪。作物は枯れ、聖女は魔物に拉致された模様。』
『私が引き続き潜伏し、機会を伺う。
――追伸:長期戦になるため、帰還は無期限に延期となる可能性あり』
「……ククッ。これでよし」
彼は窓の外、夜でも輝く農園の夜景を見下ろしてほくそ笑んだ。
「こんな天国みたいな場所、師匠たちに教えるわけないだろ。潰されたら俺が困る」
彼はまだ気づいていない。
【利用してやる】と思っていた自分が
すでに『胃袋』という最強の鎖で農園に繋がれつつあることを。
そして、明日からの仕事(空調管理)が
想像を絶する重労働であることを。
こうして、都市ヴェルデにまた一人、頼もしい(?)労働力が加わった。
聖女に続き、王国のエリート魔導師までもが
クロードの農園に陥落したのである。




