第19話 草陰のスパイ
広場が異様な熱気に包まれているその裏で
一人の影がダンジョンの岩陰に潜んでいた。
灰色のローブに身を包んだ男、ゼフィルス。
彼は王国筆頭宮廷魔導師の一番弟子であり
風魔法による隠密を得意とする手練れだ。
(フン……師匠が警戒していた『追放された庭師』とはどんな男かと思えば)
ゼフィルスは冷ややかな目で広場を見下ろした。
教会の司教が喚き散らし、聖女が倒れている。
ここまでは予想通りだ。
どうせ、あの庭師が土下座して終わる茶番だろう。
だが、次の瞬間。
彼の「風の探知魔法」が、信じがたいマナの奔流を捉えた。
「……なんだ、あの果実は?」
庭師が出した赤い果実。
それを口にした瞬間、瀕死だった聖女の魔力回路が
枯れ木に水を注いだように急速回復したのだ。
(あり得ない。最高級のポーションでも、あんな即効性はないぞ!?)
ゼフィルスは慌てて懐から『魔力測定水晶』を取り出し
その果実に向けた。
パリンッ。
水晶にヒビが入った。
「……は? 測定不能……だと?」
(ただの果物に、計測限界を超える魔力が込められているというのか?)
ゼフィルスは異様な何かを感じ取っていた。
広場では、司教の制止も虚しく
すでに『食事会』が始まっていた。
「う……うぅ……!」
聖女セシリアは泣いていた。
悲しみではない。
口いっぱいに頬張ったイチゴの甘酸っぱさと
続いて出された『カボチャと豆乳のポタージュ』の優しさに
涙腺が崩壊したのだ。
「こんな……こんなに美味しいものが、この世にあるなんて……」
彼女はスプーンを止めない。
もぐもぐと小動物のように口を動かし
皿があっという間に空になる。
「おかわり……ありますか?」
「ええ、たくさん食べてください。あなたの体は、今まで『清貧』という名の虐待を受けて、スカスカでしたからね」
俺は寸胴鍋からスープを注ぎ足す。
その光景を見て、住民たちから拍手が沸き起こった。
「よかったなぁ、聖女様!」
「俺たちの野菜を食べて元気になったぞ!」
完全に『クロード農園』の勝利の空気だ。
これに耐えられなかったのが、メンツを潰された司教だ。
「ええい、おのれぇぇ! 聖女様をたぶらかしおって!」
司教は顔を赤紫色に怒張させ
懐から禍々しい装飾の杖を取り出した。
「こうなれば強制執行だ! 神の雷を受けよ!」
司教が詠唱を始めると、空に黒雲が渦巻き始めた。
上級雷魔法だ。
直撃すれば、俺どころか周囲の住民も巻き添えになる。
「くっ、まずい! 総員避難!」
ガリウスが叫ぶが、俺は動じなかった。
「……やれやれ。農園で雷遊びは禁止ですよ」
俺はポケットのリモコン(魔石スイッチ)を押した。
プシュッ! プシュッ! プシュッ!
広場の周囲に設置されていた、無数のノズルが一斉に起動した。
放たれたのは水ではない。
『対・害虫駆除用粘着液』だ。
「な、なんだこれは!? べとべとするぞ!」
「詠唱が……口が開かん!……ッ」
粘着液は瞬時に固まり、司教と聖騎士団を繭のように拘束した。
魔法の杖も手から滑り落ち、カランと虚しい音を立てる。
「当農園自慢の『防衛スプリンクラー』です。本来は害虫用ですが……害のある人間にも効くようですね」
その様子を岩陰で見ていたスパイ、ゼフィルスは戦慄した。
(馬鹿な……。あれは古代魔法文明の遺物『自動防衛システム』か!?
たかが農家の設備じゃない!)
彼は冷や汗を流しながら、この脅威を持ち帰ろうと身を翻した。
だが。
「――そこで何をしているんです? ネズミさん」
背後から声がした。
「ッ!?」
振り向くと、そこには巨大な白い猿が
仁王立ちで彼を見下ろしていた。
「ウホッ(不審者確保)!!」
「ぐあぁぁぁっ!?」
ゼフィルスは一撃で地面に叩きつけられた。
筆頭魔導師の一番弟子である彼が
魔法を使う暇もなく、ただの物理攻撃で無力化されたのだ。
騒動が収束した後。
粘液まみれで転がる司教と、気絶して伸びているスパイの男。
その横で、満腹になって血色が戻った聖女セシリアが
俺の服の裾をぎゅっと掴んで上目遣いをしてきた。
「……あの、クロード様」
「はい?」
「私……教会には帰りません。神様への祈りは、ここでも捧げられますか?」
「ええ、もちろんです。大地の恵みに感謝するなら、ここは世界で一番神に近い場所ですよ」
「じゃあ……私をここで雇ってください! イチゴの収穫でも、お皿洗いでも何でもしますから!」
こうして
聖女教会による【異端審問】は
聖女本人の「亡命」と
司教の「逮捕(不法侵入罪)」という形で幕を閉じた。
そして、縛り上げられたスパイ・ゼフィルスは
これからたっぷりと『王国の現状』を尋問されることになるのだった。




