第12話 そのお湯、『聖水』につき
「極楽……これが『化学』の生んだ極楽なのね……」
湯煙の向こうで、リリアーナ王女がとろけた声を漏らす。
岩場をくり抜いて作った露天風呂。
俺は少し離れた男湯(といっても岩で仕切っただけだが)で
手にした試験管を光にかざしていた。
「pH値は弱アルカリ性。硫黄、マグネシウムそして……高濃度の『液状化マナ』が含まれています」
俺は分析結果に戦慄した。
このお湯は、ただの温泉ではない。
地下深層で魔力を吸い上げ、何百年も循環濾過された水。
現代の知識で言えば、『全身浸かれるハイグレード・ポーション』だ。
「切り傷程度なら数秒で塞がるし、肌の老化も止まる。……これを『聖水』として売り出せばポーション市場が崩壊しますね」
そんな危険な独り言を呟いた、その時だった。
「た、助けてくれ! オーナー!!」
ダンジョンの入り口側から、切羽詰まった叫び声が響いた。
駆けつけてきたのは、常連の冒険者ガリウスだ。
彼は血相を変えて、背中に「ある人物」を背負っていた。
黒いローブを目深にかぶり、ぐったりとしている小柄な人物だ。
「ど、どうしたんですか?」
「ダンジョンの外で行き倒れてたんだ! すげぇ毒を受けてて、解毒ポーションも効かねぇ! あんたなら何とかできると思って……!」
俺はすぐに患者の腕を見た。
紫色の斑点が浮き出ている。王都で流行している
「合成獣の猛毒」か。
「……普通なら助かりませんね。王宮医師団でも匙を投げるレベルです」
「そ、そんな……」
「ですが、ここなら話は別です。ガリウス、その人を服のまま、あの『一番風呂』に叩き込んでください」
「はあ!? 温泉にか!?」
「急いで! 心臓が止まる前にお湯につけるんです!」
ドボンッ!!
半信半疑のガリウスが、患者を湯船に沈める。
瞬間――
ジュワァァァァァ……!
湯船が白く泡立ち、患者の体から黒い煙が立ち昇った。
「う、うわっ! なんだこれ!?」
「経皮吸収による急速解毒です。この温泉の浸透圧は、毒素を強制的に排出する!」
さらに俺は、あらかじめ冷やしておいた
『完熟メロンの特製ジュース(魔力特濃)』を
患者の口に流し込んだ。
「飲んでください。失われた体力を補う、天然のエリクサーです!」
数分後。
苦しげな呼吸が収まり、患者がゆっくりと目を開けた。
濡れたローブが肌に張り付く中、フードが滑り落ちる。
現れたのは、燃えるような赤髪と、鋭い眼光を持つ美女だった。
「……ここは……天国か?」
彼女は自分の手を見て驚愕した。
毒の斑点が消え、傷一つない白磁の肌に戻っている。
「馬鹿な……。余の体内にあった【呪毒】まで消えているだと? 王国の秘宝でも治せなかったものが……」
彼女は鋭く俺を睨み――次の瞬間、驚くべき言葉を放った。
「礼を言う。……私は帝国第三皇女、アナスタシア・フォン・ドラグノフ。
隣国の密偵に毒を盛られ、逃げ延びてきた者だ」
「て、帝国皇女ぉぉぉ!?」
ガリウスが腰を抜かす。
リリアーナも慌てて湯船から上がり(バスタオル姿だが)
目を見開いた。
「アナスタシア……『鉄血の女将軍』と呼ばれる、あの?」
帝国。
我が王国とは長年対立し、軍事力で圧倒する強国だ。
その皇女が、なぜこんな場所に?
「お忍びで貴国の視察に来ていたのだがな。……まさか、こんな辺境の穴蔵に世界最高峰の『癒やしの泉』があるとは」
アナスタシアは湯船から上がり、俺の目の前に立った。
その目は、獲物を見定めた猛禽類のようにギラついている。
「貴様がこの場の主か? 名は?」
「……クロードです。ただの庭師ですよ」
「庭師? ふん、冗談を。これほどの施設を作り、死者をも蘇らせる水を作り出す者が、ただの庭師であるものか」
彼女は不敵に笑い、濡れた髪をかき上げた。
「クロード、単刀直入に言おう。この泉の権利、余が買う」
「……はい?」
「金貨ならいくらでも積もう。なんなら、貴様を帝国の『筆頭技術顧問』として迎え入れてもいい。……無能な王国が貴様のような傑物を飼い殺しにしているのは、見ていて腹が立つのでな」
その言葉は、隣にいたリリアーナ王女をギクリとさせた。
そして何より、俺自身が一番驚いていた。
追放された「無能」が、敵国の皇女から
『最高額のオファー』を受けている。
これは……王国にとって、悪夢の始まりだ。
「さあ、選べ。腐った王国で朽ちるか、余と共に世界を掴むか」
差し出された皇女の手。
覇道への誘い。
俺の答えは――




