第5話 犬より手強い依頼人。
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Today's Heroine
天野 ひまり
CLIENT DATA
年齢:21歳
身長:156cm
職業:動物看護学生
雰囲気
・元気
・少し負けず嫌い
・犬には優しい
・人見知り
外見
・栗色のポニーテール
・デニムのオーバーオール
・スニーカー姿
主人公への第一印象
★★☆☆☆
恋愛タイプ
素直になれない
依頼内容
『逃げた犬を探してください。』
秘密
『犬より、人との付き合いが苦手。』
ドキドキ度
★★★★☆
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午前十時。
神崎湊は住宅街にある小さな公園の入口で立ち止まった。
今日の依頼は、逃げた犬探し。
便利屋としては珍しくない依頼だが、依頼文の最後に書かれていた一文だけが気になっていた。
『でも、男の人には絶対になつきません。』
「……最初からハードルが高そうだな。」
苦笑しながらスマホをしまうと、元気な声が飛んできた。
「神崎さんですか!」
振り向くと、一人の女性が小走りで近づいてくる。
栗色のポニーテールを揺らし、デニムのオーバーオールに白いスニーカー。
どこか活発そうな印象だが、その表情は少しだけ不安そうだった。
「天野ひまりです。今日はよろしくお願いします。」
「神崎です。よろしくお願いします。」
二人は軽く頭を下げ合う。
すると、ひまりは開口一番、申し訳なさそうに笑った。
「先に謝っておきます。」
「え?」
「たぶん神崎さん、こむぎに嫌われます。」
「……まだ会ってないですよね?」
「でも、多分です。」
迷いのない返事だった。
「女の人ならすぐ近寄るんです。でも男の人を見ると、すぐ逃げちゃって。」
「なるほど。」
「だから、あんまり期待しないでください。」
湊は小さく肩を落とした。
「依頼が始まる前に戦力外通告されたのは初めてです。」
一瞬きょとんとしていたひまりは、思わず吹き出す。
「ふふっ。」
「笑いましたね。」
「すみません。でも、そんな返しをされると思わなくて。」
緊張していた表情が、少しだけやわらいだ。
「じゃあ、まずは詳しく聞かせてください。」
「はい。」
ひまりはスマホを取り出し、一枚の写真を見せる。
茶色い毛並みの豆柴。
丸い黒い瞳と、赤い首輪がよく似合っていた。
「名前は、こむぎです。」
「かわいいですね。」
「昨日の夕方、散歩中に工事現場の大きな音がして……。」
ひまりの笑顔が曇る。
「びっくりして走り出しちゃったんです。私も必死だったんですけど、リードを離しちゃって……。」
「それから見つかっていないんですね。」
「はい。昨日の夜も、朝も探したんです。でも全然見つからなくて。」
その声には、自分を責める気持ちがにじんでいた。
湊は写真をもう一度見つめ、小さく頷く。
「一緒に探しましょう。」
その一言に、ひまりは少しだけ目を丸くし、それからほっとしたように笑った。
「……ありがとうございます。」
◇
二人は最後に目撃されたという公園の奥へ向かった。
植え込みのそばまで来た、その時だった。
「あっ!」
ひまりが声を上げる。
視線の先には、小さな茶色い背中。
「こむぎ!」
名前を呼ぶと、豆柴がぴくりと耳を動かし、こちらを振り向いた。
「いた!」
ひまりは嬉しそうに一歩踏み出す。
こむぎも少しだけ近寄ろうとした。
その後ろから湊が静かに歩み寄る。
すると。
こむぎの表情が一変した。
「ワンッ!」
くるりと向きを変え、全力で走り出す。
「あっ、こむぎ!」
「待って!」
二人も慌てて追いかける。
ようやく追いつくと、こむぎは少し離れた場所でこちらを見ていた。
「こむぎ、おいで。」
ひまりが優しく手を伸ばく。
こむぎは一歩、また一歩と近づいてくる。
「よかった……。」
湊も安心して一歩前へ出た。
その瞬間。
ダッ!
こむぎは再び全力で逃げ出した。
「…………。」
「…………。」
静かな沈黙が流れる。
ひまりは申し訳なさそうに苦笑した。
「だから言ったじゃないですか。」
湊は遠ざかるこむぎの背中を見送りながら、小さくため息をつく。
「……ここまで見事に避けられると、逆にちょっと感心します。」
ひまりは吹き出しそうになるのをこらえながら、小さく肩をすくめた。
「ごめんなさい。」
「ひまりさんが謝ることじゃないですよ。」
「でも、神崎さんだけ逃げられてますし……。」
「否定できないですね。」
二人は苦笑いを交わす。
さっきまで張りつめていた空気が、少しだけ和らいだ。
そのときだった。
「あっ!」
こむぎが住宅街の方へ走り出す。
「待って!」
二人は同時に駆け出した。
こむぎは細い路地を器用に曲がり、植え込みの脇をすり抜け、小さな空き地へ飛び込む。
その奥には、低い金網フェンスがあった。
こむぎは体をひねるようにして、フェンスの下の隙間をすり抜けてしまう。
「そんなところ通れるの!?」
ひまりは慌ててフェンスへ駆け寄った。
「こむぎ!」
あと少し。
そう思って足を掛けた、その瞬間だった。
「きゃっ!」
ガサッ。
「あ……。」
オーバーオールの肩紐が、金網の一部へ引っ掛かってしまった。
前へも後ろへも動けない。
「だ、大丈夫ですか?」
湊が慌てて駆け寄る。
「すみません……引っ掛かっちゃいました。」
ひまりは恥ずかしそうに笑うが、どう動いても外れない。
「無理に動かないでください。」
「はい……。」
湊はフェンスを確認すると、小さく息をついた。
「失礼します。」
そう声を掛け、視線をできるだけ逸らしながら肩紐をそっと持ち上げる。
金網の針金が少し曲がっていて、布地が絡んでいた。
「もう少しです。」
「は、はい……。」
二人の距離は自然と近くなる。
ひまりは動けないまま、どこか落ち着かない様子で視線を泳がせた。
湊の指先が布地を傷つけないよう慎重に動く。
その真剣な横顔が、思ったより近かった。
どくん。
胸が小さく鳴る。
「……。」
「……。」
不思議な沈黙が流れる。
風が吹き、ひまりの前髪がふわりと揺れた。
「あ、外れました。」
ぱちん、と肩紐が元の位置へ戻る。
「ありがとうございました……。」
ひまりは耳まで赤くしながら、小さく頭を下げた。
「服、破れなくてよかったです。」
「本当に。」
二人は顔を見合わせ、ほっと笑った。
その笑い声に反応したのか。
少し離れた場所で様子をうかがっていたこむぎが、小さく首をかしげる。
「あっ、こむぎ!」
ひまりが声を上げる。
しかし、湊の姿を見た瞬間。
「ワンッ!」
くるりと向きを変え、また走り出してしまった。
「あーっ!」
「またですか……。」
湊が苦笑すると、ひまりはとうとう笑いをこらえきれなかった。
「ふふっ、ごめんなさい!」
「今日は犬より、僕の心が逃げそうです。」
その一言に、ひまりはお腹を押さえながら笑う。
笑い声が住宅街に響く。
依頼はまだ始まったばかりなのに、不思議と二人の距離は少しだけ近づいていた。
◇
二人は少し呼吸を整えると、こむぎが走っていった方向へ歩き始めた。
「こんなに逃げるの、初めて見ましたか?」
湊が尋ねる。
ひまりは首を横に振った。
「いえ……。」
「小さい頃からなんです。」
「小さい頃?」
「まだ子犬だった頃、公園で知らない男の人に急に抱き上げられたことがあって。」
ひまりは遠くを見るように目を細めた。
「悪気はなかったと思うんです。でも、こむぎはすごく怖かったみたいで。」
「それ以来、男の人が苦手に。」
「はい。」
少し寂しそうに笑う。
「だから今日も、神崎さんにお願いしておいて失礼なんですけど……。」
「気にしないでください。」
湊は穏やかに笑った。
「怖いものは、無理に克服しなくていいと思います。」
その言葉に、ひまりは少し驚いたような表情を見せる。
「え?」
「追いかけられると、もっと怖くなりますから。」
湊は公園のベンチを見つめながら続けた。
「人も犬も、安心できるって思えたら、自分から近づいてきます。」
ひまりはその横顔を見つめ、小さく微笑んだ。
「神崎さんって……。」
「はい?」
「便利屋さんというより、先生みたいです。」
湊は照れくさそうに頭をかく。
「そんな立派なものじゃないですよ。」
「でも、ちょっと安心しました。」
そのときだった。
「あっ!」
十メートルほど先の植え込みの陰から、茶色い尻尾がぴょこんと見えた。
「こむぎ!」
ひまりが思わず声を上げる。
こむぎはびくっと体を震わせたものの、今度は逃げなかった。
「神崎さん。」
ひまりが小さな声で呼ぶ。
「はい。」
「ゆっくり行きましょう。」
湊は静かにうなずいた。
二人は音を立てないようにしゃがみ込み、植え込みの陰へ身を寄せる。
犬を驚かせないため、自然と肩と肩の距離が近くなった。
「あ……。」
ひまりが小さく声を漏らす。
振り向くと、思っていたより顔が近い。
あと少し前へ動けば、お互いの額が触れてしまいそうな距離だった。
「……すみません。」
湊が少しだけ体を引こうとする。
「だ、大丈夫です。」
ひまりも慌てて答える。
けれど、大きく動けばこむぎが逃げてしまう。
二人はそのまま息を潜めた。
聞こえるのは、風に揺れる葉の音と、お互いの小さな呼吸だけ。
ひまりは少しだけ頬を赤くしながら、小さく笑った。
「近いですね。」
「……ですね。」
湊も苦笑するしかなかった。
その様子を見ていたこむぎは、不思議そうに首をかしげると、警戒するように一歩だけ前へ踏み出した。
湊はポケットから、小さな犬用のおやつを取り出した。
「持ってきてたんですか?」
ひまりが小声で尋ねる。
「念のためです。」
湊は包装を静かに開き、一粒だけ手のひらへ乗せた。
「無理には呼びません。」
「え?」
「こむぎが来たいと思ったら、来てもらいましょう。」
そう言うと、その場へしゃがみ込んだまま手を差し出す。
呼びもしない。
近づきもしない。
ただ、待つ。
こむぎは警戒したまま立ち止まっていた。
一歩。
また一歩。
少しずつ距離を縮めていく。
その様子を、ひまりは固唾をのんで見守った。
「……すごい。」
思わず声が漏れる。
湊は何も答えない。
犬の目だけを優しく見つめ続ける。
あと一歩。
あと少し。
こむぎは鼻をひくひくと動かし、湊の手へ顔を近づけた。
しかし。
その瞬間、近くを自転車が通り過ぎる。
ベルの音が鳴り響いた。
チリンッ。
こむぎの耳がぴくりと動く。
「……!」
また逃げる。
そう思った。
だが、こむぎは一瞬だけ身をすくませたあと、小さく湊の手をくんくんと嗅いだ。
そして。
ぱくっ。
おやつをくわえる。
「……。」
「……。」
ひまりは目を丸くしたまま固まっていた。
こむぎは少し離れた場所まで歩いていき、おやつを夢中で食べ始める。
「食べた……。」
ひまりは信じられないというように呟く。
「男の人の手から、おやつ食べたの……初めてです。」
湊は照れくさそうに笑った。
「僕じゃなくて、おやつのおかげですよ。」
「違います。」
ひまりはゆっくり首を横に振る。
「こむぎ、怖い人からは絶対にもらいません。」
その言葉に、湊は少し困ったように笑う。
「合格、ってことですか。」
「たぶん。」
ひまりも笑った。
「かなり時間はかかりましたけど。」
二人で笑い合った、そのとき。
こむぎが小さく尻尾を振りながら戻ってきた。
「あっ。」
ひまりがしゃがみ込む。
「こむぎ。」
優しく頭を撫でると、こむぎは甘えるように体を寄せた。
「心配したんだから。」
その声は、少し震えていた。
「ごめんね。」
抱きしめた腕に、こむぎも安心したように体を預ける。
その様子を見守っていた湊は、小さく息をついた。
「見つかってよかったですね。」
ひまりは何度も頷く。
「はい……本当に。」
目尻には、小さく涙が浮かんでいた。
◇
帰り道。
こむぎは安心したように、ひまりの足元を軽やかに歩いていた。
さっきまで必死に探していたのが嘘のようだった。
「今日は本当にありがとうございました。」
ひまりはリードを握りながら、何度も頭を下げる。
「一人だったら、まだ探し回っていたと思います。」
「こむぎも無事でしたし、依頼成功ですね。」
「はい。」
ひまりはそう答えたあと、小さく笑った。
「でも、一番びっくりしたのは。」
「なんでしょう。」
「こむぎが神崎さんからおやつを食べたことです。」
「まだ信じられませんか?」
「はい。」
ひまりはこむぎへ目を向ける。
「家族以外の男の人には、絶対近づかなかったんです。」
少しだけ歩く速度を落とす。
「だから私、人にも犬にも『無理に近づかなくていい』って思うようになってました。」
その声は穏やかだった。
「でも今日見てたら……。」
ひまりは照れくさそうに笑う。
「神崎さん、こむぎを捕まえようとしませんでしたよね。」
「はい。」
「待ってくれました。」
その言葉に、湊は少しだけ空を見上げる。
「怖がっている相手を追いかけても、もっと怖くなるだけですから。」
ひまりは静かに頷く。
「その言葉、多分……私にも当てはまります。」
「え?」
「私、人付き合いが得意じゃないんです。」
少し照れながら続ける。
「だから距離を詰められると、つい身構えちゃって。」
こむぎが男の人を苦手になった理由と、どこか重なって聞こえた。
「でも今日は、不思議でした。」
「不思議?」
「神崎さんとは、最初からあまり緊張しなかったんです。」
ひまりは少し考えるように笑う。
「ちゃんと待ってくれる人だから、かな。」
その言葉に、湊は少し照れくさそうに笑った。
「便利屋ですから。」
「また、その返し。」
ひまりはくすっと笑う。
「でも、好きですよ。」
「……え?」
「その考え方。」
一瞬だけ目が合う。
ひまりは自分で言った言葉に気づいたのか、耳まで赤くなった。
「あっ、ち、違います!」
「考え方がって意味で!」
「わ、分かってます。」
湊も思わず苦笑する。
二人で顔を見合わせると、自然と笑いが込み上げてきた。
その笑い声につられるように、こむぎも「ワン」と一度だけ鳴いた。
◇
公園の入口まで戻る。
ひまりは報酬の入った封筒を両手で差し出した。
「こちら、今回の報酬です。」
「ありがとうございます。」
湊は受け取り、軽く頭を下げる。
「それと……。」
ひまりは少しだけ迷ってから笑った。
「また困ったら、お願いしてもいいですか?」
「もちろんです。」
「便利屋みなとは僕一人なので。」
一瞬きょとんとしたひまりは、嬉しそうに笑う。
「じゃあ安心ですね。」
その笑顔は、朝の不安そうな表情とはまるで違っていた。
こむぎも一度だけ湊の足元まで歩いてくる。
「おっ。」
湊がしゃがむと、こむぎは少しだけ尻尾を振った。
今度は逃げない。
ほんの一瞬だけ鼻先を近づけると、満足したようにひまりの隣へ戻っていく。
「神崎さん。」
「はい。」
「今日は、私だけじゃなくて……こむぎも助けてもらいました。」
ひまりは優しく笑った。
「本当にありがとうございました。」
「こちらこそ、ご依頼ありがとうございました。」
二人は笑顔で頭を下げ合う。
夕暮れの住宅街を、ひまりとこむぎが並んで歩いていく。
その背中を見送りながら、湊のスマホが震えた。
『便利屋みなと 新しい依頼が届きました。』
画面を開く。
『一日だけ、お兄ちゃんになってください。』
「……お兄ちゃん?」
湊は思わず首をかしげる。
便利屋を始めて一年。
恋人役も、撮影の手伝いも、犬探しも経験した。
だが、お兄ちゃん役は初めてだった。
次回『今日だけ、お兄ちゃん。』




