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『恋の便利屋は、今日も依頼で恋をする。』  作者: 春野ケイ


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16/20

第16話 婚約者のフリは、三日間。

──────────────

Today's Heroine

橘 玲奈

CLIENT DATA

年齢:25歳

身長:162cm

職業:市役所職員

雰囲気

・真面目

・面倒見がいい

・少し強がり

・本当は寂しがり屋

外見

・セミロング

・落ち着いたブラウンの髪

・シンプルなワンピース

主人公への第一印象

★★★☆☆

恋愛タイプ

一途

依頼内容

『三日間だけ、婚約者になってください。』

秘密

『元婚約者と同じ地元で、三日間は必ず顔を合わせてしまう。』

ドキドキ度

★★★★★

──────────────


 午前九時。


 神崎湊は駅のホームで、依頼内容を見返していた。


『三日間だけ、婚約者になってください。』


「三日間……。」


 一日だけの依頼は何度も受けてきた。


 しかし、三日間同じ役を演じるのは初めてだった。


「神崎さん。」


 落ち着いた声に顔を上げる。


 白いワンピース姿の女性が、少し緊張したような笑顔で立っていた。


「橘玲奈です。」


「今日はよろしくお願いします。」


「神崎です。」


「こちらこそ、よろしくお願いします。」


 二人は並んで電車へ乗り込んだ。


 窓の外を流れる景色を眺めながら、玲奈が静かに口を開く。


「私、この町で育ったんです。」


「高校を卒業してからは一人暮らしなんですが……今回は三日間だけ帰省します。」


「その三日間に、元婚約者も帰ってくるんです。」


 湊は静かに耳を傾ける。


「婚約していたんですか。」


「はい。」


 玲奈は小さくうなずく。


「でも半年前に婚約を解消しました。」


 その声に恨みはない。


 どこか吹っ切れたような穏やかさがあった。


「お互い嫌いになったわけじゃありません。」


「ただ、将来の考え方が少し違っていて。」


 少し笑う。


「納得して別れたはずなんです。」


「でも地元って狭いんですよ。」


「帰れば必ず誰かに会うし、噂にもなります。」


 玲奈は窓の外を見つめた。


「親戚も近所の人も、きっと気を遣います。」


『まだ引きずってるんじゃない?』


『大丈夫?』


 そんな言葉を、家族にまで向けてほしくなかった。


「だから今回は。」


 湊を見る。


「前を向いているって、家族にも地元のみんなにも安心してもらいたいんです。」


 湊はゆっくりとうなずいた。


「分かりました。」


「この三日間は、婚約者として隣にいます。」


 玲奈は少し驚いたあと、ほっとしたように笑う。


「ありがとうございます。」


     ◇


 二時間後。


 二人は玲奈の地元の駅へ降り立った。


「懐かしい……。」


 玲奈は駅舎を見上げ、小さく息をつく。


 改札を抜けると、一人の女性が大きく手を振っていた。


「玲奈!」


「お母さん。」


 母は玲奈へ駆け寄ったあと、湊を見る。


「あら。」


「こちらが……?」


 玲奈は少し照れながら紹介する。


「神崎湊さん。」


「私の婚約者です。」


 一瞬だけ母の表情が止まり、それから満面の笑みになった。


「初めまして!」


「玲奈の母です!」


 湊は丁寧に頭を下げる。


「神崎です。」


「三日間、お世話になります。」


「こちらこそ!」


 母は嬉しそうに何度もうなずく。


「玲奈、この子が全然連れて来てくれないから、どんな人かずっと気になってたのよ。」


「お母さん。」


 玲奈は照れくさそうに笑う。


 駅前を歩き始めた、そのときだった。


「あら、玲奈ちゃん!」


 買い物帰りらしい女性が声を掛けてきた。


「久しぶり!」


「帰ってきてたのね!」


 そして、湊を見る。


「あらあら!」


「その人が婚約者さん?」


 玲奈は一瞬だけ表情を固くした。


 すると、湊は自然に一歩前へ出る。


「初めまして。」


「神崎と申します。」


「玲奈さんには、いつも助けてもらっています。」


 穏やかな笑顔でそう答える。


「まあ!」


「礼儀正しい人ねぇ。」


 女性は満足そうに笑った。


「玲奈ちゃん、幸せそうで安心したわ。」


 その言葉に、玲奈の肩から少しだけ力が抜けた。


     ◇


 実家まで歩いている途中。


 玲奈が小さな声で言う。


「ありがとうございました。」


「自然でした。」


「いえ。」


 湊は苦笑する。


「まだ一日目ですから。」


「そうですね。」


 玲奈も笑う。


 そのときだった。


「玲奈ー!」


 後ろから母の声が聞こえる。


「二人とも、もう少しゆっくり歩いて!」


 玲奈は小さく振り返り、それから湊へ視線を戻した。


「神崎さん。」


「はい?」


「母、結構見てるんです。」


「だから……。」


 少しだけ照れながら、そっと湊の腕へ自分の腕を添えた。


「あの。」


「三日間だけ、よろしくお願いします。」


 突然近くなった距離に、湊も少しだけ驚く。


 それでも表情は変えず、小さくうなずいた。


「こちらこそ。」


 母はその様子を見て、どこか安心したように微笑んでいた。



 橘家へ着くと、玄関の戸が勢いよく開いた。


「玲奈!」


 出迎えた父は娘の顔を見るなり笑顔になる。


「おかえり。」


「ただいま。」


 玲奈が微笑み返す。


 その隣に立つ湊へ視線が移ると、父は少し姿勢を正した。


「初めまして。」


「玲奈の父です。」


「神崎湊です。」


「三日間、お世話になります。」


 深く頭を下げる湊を見て、父は安心したように笑った。


「さあさあ、上がって。」


「長旅で疲れただろ。」


     ◇


 昼食は久しぶりの家族団らんだった。


 玲奈の母が次々と料理を並べる。


「神崎さん、お口に合うか分からないけど。」


「いただきます。」


 湊は一品食べると、自然に笑顔になった。


「とてもおいしいです。」


「本当?」


 母は嬉しそうに笑う。


「玲奈、この人ちゃんと食べてくれるじゃない。」


「お母さん。」


 玲奈は苦笑した。


「そんな言い方しないの。」


 食卓には自然と笑い声が増えていく。


 湊も気づけば、この家の空気に少しずつ溶け込んでいた。


     ◇


 昼食を終え、縁側でお茶を飲んでいると、父がぽつりと口を開く。


「玲奈。」


「はい?」


「今度は、本当に幸せそうだな。」


 その言葉に、玲奈の表情が一瞬だけ止まる。


 湊も静かに隣で耳を傾けた。


「前のことがあったから。」


「正直、心配してた。」


「……うん。」


 玲奈は小さくうなずく。


「でも、大丈夫。」


 そう言って、湊の方を見て微笑む。


「今はちゃんと前を向けてる。」


 父は安心したように何度もうなずいた。


「それならよかった。」


     ◇


 夕方。


 二人は近所を散歩することになった。


「少し歩きませんか?」


 玲奈が言う。


「昔、よく通った道なんです。」


「ぜひ。」


 二人は住宅街を並んで歩く。


「ここ、小学校です。」


「運動会の日は、この坂を全力で走ったんですよ。」


 玲奈は懐かしそうに笑う。


「神崎さん。」


「はい。」


「今日一日だけでも。」


「本当に婚約者がいるみたいでした。」


「僕もです。」


 湊が答える。


「ご両親、とても温かい方ですね。」


「そうなんです。」


 玲奈は少し照れながら笑う。


「だから余計に心配かけたくなくて。」


     ◇


 二人が商店街へ差しかかった、そのときだった。


「……玲奈?」


 聞き覚えのある男性の声。


 玲奈の足が止まる。


 ゆっくり振り向くと、一人の男性が立っていた。


 年齢は二十代後半くらい。


 一瞬だけ驚いた表情を見せ、それから少し困ったように笑う。


「久しぶり。」


 玲奈は小さく息をのむ。


「……久しぶり。」


 その空気だけで、湊には分かった。


 この人が。


 元婚約者だ。


 男性の視線が、ゆっくり湊へ移る。


「その人……。」


 玲奈は一瞬だけ迷ったあと、小さく微笑んだ。


「私の婚約者。」


 元婚約者は少しだけ目を見開いた。


 しかしすぐに穏やかな笑顔へ戻る。


「そっか。」


「よかった。」


 その短い一言が、玲奈の胸に静かに響いた。



 二日目。


 朝から町はどこか落ち着かない空気に包まれていた。


 今日は毎年恒例の夏祭り。


 商店街には屋台が並び、朝から準備をする人たちの声が響いている。


「神崎さん。」


 玲奈が部屋の襖を少しだけ開けた。


「準備、できました。」


「はい。」


 玄関へ向かうと、玲奈は淡い水色の浴衣姿で立っていた。


 髪はいつもより高い位置でまとめられ、小さな花飾りが揺れている。


「……どうですか?」


 少しだけ恥ずかしそうに尋ねる。


 湊は思わず目を丸くした。


「とても似合っています。」


「本当ですか?」


「はい。」


「涼しそうな色で、玲奈さんらしいです。」


 玲奈は照れくさそうに笑った。


「ありがとうございます。」


 その様子を見ていた母が嬉しそうに声を上げる。


「ほらね!」


「神崎さんなら、ちゃんと褒めてくれると思ったのよ。」


「お母さん!」


 玲奈は耳まで赤くなる。


     ◇


 祭り会場は、多くの人でにぎわっていた。


「玲奈ちゃん!」


「帰ってきてたんだ!」


 顔見知りから次々に声を掛けられる。


「こちらが婚約者さん?」


「爽やかな人だねぇ。」


 湊はそのたびに笑顔で頭を下げる。


 玲奈も自然に隣へ並び、紹介を続けた。


 まるで本当の婚約者のように。


     ◇


 射的、金魚すくい、かき氷。


 二人は祭りを歩きながら、自然と笑顔になっていた。


「昔は毎年ここへ来てたんです。」


 玲奈がりんご飴を見つめながら言う。


「懐かしいですね。」


「じゃあ、一つ買いましょうか。」


「え?」


「思い出は増やした方がいいですから。」


 玲奈は少し驚いたあと、優しく笑った。


「そうですね。」


     ◇


 そのときだった。


 突然、人の流れが大きく動く。


「花火始まるぞ!」


 大勢の人が一斉に歩き始めた。


「あっ……。」


 玲奈が人波に押される。


「神崎さん!」


 反射的に湊が手を伸ばした。


 二人の手が重なる。


 そのまま、しっかりと握る。


「大丈夫ですか?」


「……はい。」


 玲奈は少しだけ息を整え、小さく笑う。


「ありがとうございます。」


 手を離そうとした、その瞬間。


「あら?」


 近所のおばあさんが笑顔で近づいてきた。


「仲がいいねぇ。」


「若いっていいね。」


 二人は顔を見合わせる。


 玲奈は少し照れながら、小声でつぶやいた。


「……まだ。」


「見られてます。」


 湊も小さく笑った。


「じゃあ、このままで。」


 玲奈は恥ずかしそうにうなずく。


「はい。」


 演技のはずなのに、不思議と手を離しづらかった。


     ◇


 花火が夜空へ打ち上がる。


 ドン――。


 大きな音とともに、色鮮やかな光が広がる。


「きれい……。」


 玲奈は空を見上げたまま、小さくつぶやく。


 その横顔は、どこか寂しさを手放したような穏やかな表情だった。


 そのとき。


「玲奈。」


 後ろから聞こえた声に、二人は同時に振り返る。


 そこには元婚約者が立っていた。


 昨日とは違い、今日は一人ではない。


 その隣には、彼の両親の姿もあった。


 玲奈の表情が少しだけ強張る。


 この三日間で、一番大きな瞬間が訪れようとしていた。



「久しぶり。」


 元婚約者が静かに声を掛ける。


 昨日と同じ穏やかな笑顔だった。


「……久しぶり。」


 玲奈も落ち着いた声で返した。


 その隣では、元婚約者の両親も少し驚いた表情で立っている。


「玲奈ちゃん。」


「元気そうでよかった。」


「ありがとうございます。」


 玲奈は笑顔で頭を下げた。


 昔から家族ぐるみの付き合いだった。


 だからこそ、お互いに気まずさが残っていた。


 少しの沈黙のあと、元婚約者の父が湊へ目を向ける。


「こちらは……。」


 玲奈は一度だけ湊を見る。


 そして、優しく微笑んだ。


「私の婚約者です。」


 湊も自然に一歩前へ出る。


「神崎湊と申します。」


「初めまして。」


 深く頭を下げる。


「玲奈さんには、いつも支えてもらっています。」


 その言葉に、元婚約者の母は安心したように微笑んだ。


「そう。」


「玲奈ちゃん、幸せそうね。」


 その一言に、玲奈の肩から力が抜ける。


「はい。」


「今、とても幸せです。」


 演技のはずだった。


 けれど、その言葉は不思議なくらい自然に口から出ていた。


     ◇


 少し離れた場所へ移動すると、元婚約者が湊へ声を掛けた。


「少しだけ、いいですか。」


「もちろんです。」


 二人は屋台の灯りが届く場所まで歩く。


 祭りのにぎやかな音が、少しだけ遠くなる。


「玲奈を……お願いします。」


 突然の言葉だった。


 湊は少し驚く。


 元婚約者は苦笑しながら続けた。


「別れたのは、お互い納得した結果です。」


「後悔はしていません。」


「でも。」


 祭りの明かりを見つめる。


「玲奈には幸せになってほしい。」


「ずっとそう思っていました。」


 湊は静かにうなずく。


「伝えてくれて、ありがとうございます。」


 その短いやり取りだけで十分だった。


 元婚約者は安心したように笑う。


「それじゃ。」


「お幸せに。」


 そう言って家族のもとへ戻っていった。


     ◇


 玲奈は少し離れた場所で待っていた。


「何を話してたんですか?」


「秘密です。」


「えっ。」


 玲奈は少し頬を膨らませる。


「気になります。」


「でも。」


 湊は優しく笑った。


「一つだけ言えます。」


「玲奈さんの幸せを願っていました。」


 玲奈は目を丸くした。


 それから、小さく空を見上げる。


「……そっか。」


 花火が夜空いっぱいに広がる。


 色とりどりの光が、玲奈の瞳に映った。


「これで。」


 小さく笑う。


「やっと前を向けそうです。」


 その横顔は、三日前とは違って見えた。


 過去を振り返る表情ではなく、未来を見つめる笑顔だった。


     ◇


 三日目の朝。


 駅のホーム。


 帰りの電車がゆっくりと入ってくる。


「三日間。」


 玲奈は少し寂しそうに笑った。


「長いと思っていたのに。」


「終わると、あっという間ですね。」


「そうですね。」


 湊も笑う。


「ありがとうございました。」


 玲奈は深く頭を下げる。


「神崎さんだったから。」


「ちゃんと前を向けました。」


「それは玲奈さん自身の力ですよ。」


 その言葉に、玲奈は照れくさそうに笑った。


「また困ったら。」


「便利屋みなとにお願いします。」


「もちろんです。」


「便利屋ですから。」


 二人は顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。


 電車のドアが開く。


 湊が乗り込むと、玲奈は最後まで手を振り続けた。


 もう、その表情に迷いはなかった。


     ◇


 湊のスマホが震える。


『便利屋みなと 新しい依頼が届きました。』


 画面を開く。


『元彼へ渡す最後のプレゼント、一緒に選んでください。』


「……最後のプレゼント?」


 湊は首をかしげる。


 その依頼には、たった一行だけ続きが書かれていた。


『ちゃんと笑って、さよならを言いたいんです。』


次回『最後のプレゼント。』


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