第三章:「寄木細工の箱」
ホームズは、箱を表、裏隅々まで観察して言った。
「この箱は、開けるまでに少なくとも15…、いや、20の行程を必要としそうだな」
ホームズの細く長い指先が、箱の側面を滑る。
まずは上部の直線を右へ。カチリ、と微小な手応え。
続いて底面を反時計回りにずらし、開いた隙間から側面の細木を一本、下へと引き抜く。これで三手。
家城警部はただ黙って見守っていた。
引き抜いた木を鍵代わりに別の隙間へ差し込み、内側の仕掛けを押し上げる。五手、六手。
箱の角が奇妙な角度でスライドし、元の立方体から徐々にその形状を変えていく。十手、十一手。
「ほう……。少々手強いな、これは」
ホームズはそう愉しげに呟やくも、彼の指先は一切淀まない。
十五手を過ぎたあたりで、内部のバネが跳ねる微かな金属音が響く。
彼は迷わず、箱の底を親指で強く押し込んだ。十九、二十――。
最後の細木が滑らかな音を立てて横にずれると、箱の蓋が自ずと、観音開きに持ち上がった。
中から現れたのは、USBメモリであった。箱を動かしても音が出ないように、厳重かつ丁寧にテープで止めてあった。
「家城警部、これはなんだ?」
「USBメモリといって、いわゆる、記録媒体だな」
「例えば、分厚い辞書何百冊分もの情報が記録出来るものだ」
ホームズは興味深げに顔を近づけた。
「数百冊分の辞書がこの小さな金属に?実に合理的的ではないか」
「ただ残念ながら、ここでは確認できない。署に戻らないと」
「それなら、女中に会わせてもらえるかな。少し話を聞きたい」
「なんとかしよう」
二人が門から出た直後、ホームズがふと立ち止まった。
「ふむ……妙だな」
「どうした?」
「周りの生垣を見てみたまえ。綺麗に手入れされているのに、ここだけわずかに乱れている。それも新しい」
「それに足元にタバコの灰が落ちている。さすがに吸い殻は処分したようだが」
ホームズがそう言った後、車に乗り込み、家城警部の運転で箱根署に向かった。
ホームズたちが去った後の古民家には、重苦しいほどの静寂が戻っていた。 浜崎は、手際よく汚れた湯呑みを片付け、新しく湯を沸かし始めている。その背中は、やはりどこか頑なだった。
ワトソンは新聞を閉じ、彼女の様子をじっと見つめていたが、やがてぽつりと言った。
「……浜崎さん。無理に身体を動かし続けるのは、兵士が戦場で恐怖を紛らわす時のやり方だよ」
浜崎の手が、一瞬だけ止まる。
「私は……ただ、お二人のお役に立ちたいだけで」
「分かっている。君の手際は完璧だ。だがね、完璧すぎる日常は、時に悲鳴の裏返しでもあるんだ」
「……ホームズも、私も、君に完全な家政婦であることを求めているわけじゃない」
浜崎は、ただ小さく頭を下げた。
「ありがとうございます、ワトソン先生。……でも、今はこうさせてください」
ワトソンはそれ以上何も言わず、ただ静かに見守ることにした。




