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この世界を最初に震わせたのはこの産声だったのだろう

魔術の文言を考えるのは楽しいのですが、語彙力の低さに絶望します。辞書を買うべきですね。


 即金で馬を確保できたのは僥倖だった。持ち金の半分以上を使ってしまったが、余計な交渉に時間を割かれるよりは幾分か良い。何より、征伐隊の別動隊が街道を押さえていなかったことが、最大の幸運だった。


 飼料と保存の利く食料を買い込み、早々に街を出る。


 トウテツは久しぶりの乗馬と、初めての二人乗りに悪戦苦闘しながら、ルオンの街から南東の方面へと馬を走らせた。


 この旅の目的地、リオザス平原。豊かな丘陵に囲まれ、緩やかな川の流れる場所である。


 この平原は広く、見晴らしもいい。しかも大陸の外縁部であるため、交通量も少なく、昼からすれ違った人数は、両手で足りるほどだった。


「もうすぐなのですね」


 腕の中で、エイルが緊張を孕んだ声音をこぼす。顔からは表情が消えており、心なしか顔色も悪い。


「大丈夫だ。何年研究してきたと思ってる」


 気休めの言葉ではなく、確信を持ってトウテツは断言した。そうだ、大丈夫。彼女であるならば、二人の目的を達成することが出来る。そのために『学び舎』に追われる真似までしでかしたのだ。


「もし失敗しても、俺の人生がちっとばかし無駄になるだけだ。変に気負いするな」

 

本来であれば逆効果な励ましはエイルには効いたらしく、ようやく表情が綻ぶ。まだ緊張はしているだろうが、思いつめるよりはマシだろう。


「もうじき見えてくるはずなんだが」


 目の上に手を翳し、周囲を見渡す。空は茜色となっており、夕暮れまで一刻の猶予もないだろう。


 朱色の世界の中、眉間にしわを寄せて目を凝らす。エイルも似たように大きな碧眼を忙しなく動かした。


「あっ!」


 不意にエイルが声を上げ、とある方向へと真っ直ぐに指を示した。その方向へとよぉく目を凝らすと、地平線の彼方に【それ】は直立していた。


 これだけ離れていても、朱の中に混じっていても、はっきりと認識できる【緋色】。


 この世のものとは思えない不思議な色味であった。


 それとの距離は徐々に縮まっていき、その全容が明らかになっていく。


 人間と似た四肢を持つ骨格、しかしその臀部付近には太く逞しい尾が垂れ下がっている。顔は長細くて、口元から覗く牙は鋭く禍々しい。背には大樹の枯れ枝のような、大きな翼が一対となって備わっていた。


 ――端的言えば、それは龍であった。


 神話の世界で、最期まで神々に抵抗したとされる緋色の龍。


 小さき英龍アルヴィト。


 遥かな高みから人々を威圧するように、巨大な英龍の遺骸が仁王立ちをしていた。



「あれが、アルヴィト」


 エイルは、魂が抜け出たように呟く。その視線は緋色の龍に釘付であり、片時も逸らそうとはしない。


「……凄いな」


 視線を外せないのはトウテツも同じだった。その巨体が視界いっぱいになってもなお、この龍が死亡しているということが信じられない。


 眠っていると言われれば、納得してしまうだろう。それほどまでにアルヴィトの遺骸は覇気とも言うべき、迫力を有していた。


 気が付けば、アルヴィトの足下までたどり着いていた。ひたすらまでに大きいその身体は、闇夜に紛れ、目測での計測を拒んでいる。トウテツはようやく、太陽が完全に沈んでいることに気が付く。


「いかんな。アルヴィトに気がいき過ぎていた」


 馬から降り、なおも緋龍を仰ぎ見る。直下であるこの位置からでは、彼女の顔は見えない。


 灯りを生み出す魔術でも描こうかとも考えたが、この位置から彼女の顔を照らすのは、トウテツであっても容易にできることではなかった。


 ため息を一つ吐き、ようやくアルヴィトから顔を背ける。そしていまだに熱心な視線を送り続ける連れに声をかけた。


「どうするエイル。こいつは動かないし、夜明けが来るまで一休みしてから、作業を始めるか?」


 追われているとはいえ、悶着があったルオンの宿場街は、いくつもの街道が重なる場所だ。それにこのアルヴィトの墓所も、主だった街道からは外れた位置に存在している。この威容こそ遠くから見れるが、わざわざ遠回りして立ち寄る者も多くはないだろう。


「いえ、すぐに始めましょう」


 野宿の準備を始めていたトウテツの考えとは裏腹に、エイルはしっかりとした声音で告げた。


「何? 何故急ぐ?」


 積んであった飼料を馬に喰わせてやりながら、振り返った。


 エイルはというと、トウテツに対して振り向きもせず、その蒼穹の双眼で、ひたすらに緋色の龍を仰ぎ見続けている。


「エイル?」


 トウテツの問いかけにも意を貸さない。憑りつかれたように一心に龍へと目を走らせていた。


 馬がいなないた。どうやら、もっと飼料を寄越せと愚図っているらしく、トウテツの手に鼻先をこすり付けてくる。


「おい、ちゃんと説明してくれ」


 馬を適当にあしらいながら、語調を強めて再度問いかけると、ようやく少女はトウテツに振り返った。鉄色の髪が翻り、平原の彼方からゆっくりと顔を出しつつある月の光に照らされ、奇妙な輝きを生み出す。


「核を見つけました。後は処置を行うだけです」


「何?」


 端的に告げられた言葉に対して、トウテツは驚きの声を上げる。


 そこまで速いとは予想外、やはり同種であれば何となく分かるものなのだろうか。


「最初の相手を彼女にして正解でした。アルヴィトは昔から、小さい小さいとからかわれていましたから」


「それでもお前さんよりはデカいけどな」


「……私は成長期ですので、これから伸びしろがあるのです。もうアルヴィトくらいの歳になれば、余裕です。余裕」


 薄い胸を張り、勝ち誇るエイルだったが、どう足掻いても彼女が大きくなるようには思えない。まあ、見た目だけでは測れないのだろうが。


「実際、母は仲間の中でも1、2を争うほどの大きさでしたし、将来性は十分にあります」


「誰も疑っちゃいない。……ところで父親似の場合だと、お前さんの伸びしろはここで終わりなわけだが、どう思う?」


「……似ていません。あの人とは全く似ていませんので心配無用です」


 上機嫌に母の話をしていた時とは打って変わって、少女の機嫌は斜めとなった。父の話は苦手だと、いつかの昔に言っていたことをトウテツは今更ながらに思い出す。少しだけ、申し訳ない気持ちになったが、瞬きの内にエイルの機嫌は元に戻っていた。


「さあ、始めましょうか。わたし達の始まりを」


「お前、さてはその文句を考える為に黙ってたな?」


 得意げに鼻を鳴らした少女に対して、トウテツは呆れ気味に返す。しかし少女から返ってきたのは不敵な笑みだけだ。やれやれと、頭を振りながらトウテツは馬の手綱を持って、エイルから距離を取った。


 野宿のために少しだけ広げていた荷物も、適当に詰め込んで積みなおす。


 エイルは手を胸の前で組み、膝立ちとなる。その姿は何かに祈りを捧げているような格好となった。いや、実際に、彼女は祈りを捧げているのだろう。目の前にいる巨大な龍に。        


 母の裏切りにより、神々に屠られた一柱に。


◆◇


 昔々、この世界は龍に支配されていたのだという。


 世界には空しか存在しておらず、その空を龍たちは自由に飛び舞っていたそうだ。


 だが、その停滞した世界も、外からやってきた者達によって大きく変わることとなる。


 異邦者オンディを筆頭とする神々と、龍たちとの間に起きた争いだ。


 神々が龍を一柱屠るたびに、その遺骸が大地となり、流れ出た血が海となった。


 戦いは長引き、伝承によれば一万の星の巡りを繰り返したという。


 多くの神々と龍が倒れ、それでもなお、戦いは激化していった。だが、この戦は唐突に終幕することとなる。


 理由は単純だ。


 色狂いブルヒルデ。


 色に墜ちた純白の龍。


 一人の男の為に全てを捨てた女によって、世界を支配した強者たちは根絶やしとなった。


 ――幼く小さな龍を残して。



◇◆


 暗闇を塗りつぶす閃光が、トウテツの視界を潰す。見ていられない。反射的に目線を逸らし、手で目元を覆う。


 馬が大きくいななき、蹄を鳴らす。


ようやく目が光に慣れ、目蓋を開いたとき、そこに少女の姿はなかった。


「ひとまずは成功、だな」


 いまだ微動だにせず祈りを捧げ続けるエイルに声をかける。しかし彼女は返答をせずに、トウテツの腕ほどの太さがある尾を一つ揺するだけで答えた。


 鈍色の鱗。馬の倍ほどはある巨体。短く屈強な四肢に、鳥のそれとは形状の異なる大きな翼。頭部は細長く、唇の無い口元からは、狂暴な乱杭歯がいくつものぞいている。


 エイルは今、龍と化していた。いや、こちらが本来の姿なので化すという表現は適切ではないか。


 龍は自身の周囲にいくつもの紋を展開していく。トウテツを持ってしても一部しか解読することが出来ない。意味は『再生』『分解』『変性』……これぐらいが限界だ。


 集中しているようで、彼女は瞳を固く閉じたまま開こうとはしない。そのうちに秘められた蒼穹を思い、トウテツは始めてエイルと出会った時を想起した。


 彼女は最初、トウテツに対して酷く怯えていた。トウテツも初めは、巨大な龍に対して恐怖を抱くことしか出来なかった。


 二人が打ち解けたのは、ほとんど奇跡だった。


 たまたま持っていたパンの一かけら。それを分け合っただけだ。切っ掛けとしては酷く稚拙で、くだらないことだ。第一に、出会った時点で彼女は今とさほど変わらない大きさだった。パンの味が分かったのかも定かではない。


 だが、それでも二人は出会った。独りぼっちの龍は独りではなくなった。落ちこぼれだった少年の魂に火が灯った。


 二十年かかった。エイルにとっては瞬きする間程の短い時間だっただろうが、トウテツにとっては長すぎる時間だった。


「――ってなわけで、俺の人生の半分を邪魔するのは止めてくれねぇか?」


 瞬間的に空紋を描きしるし、防護の魔術を展開する。


 大雑把に描かれて、速さのみを優先した魔術は、突如として飛来した炎の槍によって脆くも砕かれてしまう。だが、勢いは殺せたらしく、狙いであるエイルの手前で墜落した。


「……何がというわけなのかは分からない、トウテツ」


 女性にしては低めのハスキーボイス。声のした方へと目を向けると、いつの間にか、緋色の髪を持つ長身の女が静かに立っていた。その瞳はジッと見据えている。


「久しぶりだな、イズ」


「久しぶりでもない。前にあったのは五日前。……その時はこんなことになるなんて全く知らなかったけど」


 女は言葉を切って、トウテツから視線を外す。無感情な黒曜の瞳が捉えるのは、こちらの悶着に意を貸さずに紋を展開し続けているエイルだ。


「ティナの慧人が一、トウテツ・ロウセン。……あなたがしたことは【学び舎】に対する明確な敵対行為。よってこれを処罰する――否、処分する」


 返答の余地は与えられなかった。一切の予備動作なく、イズの手中から紅蓮の炎弾が放たれる。トウテツの目を持ってしても、紋の成形所作を目視するのは不可能だった。


「っ」


 咄嗟に懐へと手を突っ込み、親指大で円形の物体を握りしめる。


 爆炎が視界を覆い、周囲に土煙が巻き上がった。しかし、その中心で直撃を受けた筈のトウテツは無事だった。


「あ~、クソ。……殺す気か」


 衣服の至る所から白煙が上がっている。魔性石の咄嗟の防御では、完全に守りきることは叶わなかったのだ。手のひらを見れば、メダル状の魔性石がボロボロと灰のようにこぼれ去ってしまっている。一度に多くの魔力を吐き出したせいで、完全にくたびれてしまったのだ。


 使い物にならなくなった魔性石の残滓を握り潰す。そうこうしている間にもイズは炎の鏃を執拗に放ってくる。


 トウテツは顔を顰めた。だが、今度は余裕がある。


『壁、万物、隔絶、弾け』


 単語だけを発声し、魔術の発動を早める短縮声紋。特異なテンポによって紡がれた言葉によって不可視の障壁が生み出される。


 炎の連弾は全て障壁へとぶつかり、弾けて、霧散した。


「っく……バカみたいな威力しやがって」


 苦しげに呻くと同時に、障壁が音を立てて崩れ去る。トウテツの額にはじっとりとした汗が滲んでおり、短い攻撃だけで酷く消耗させられたことが窺えた。


「よく防ぐ。流石ね」


 対するイズは感心した様子で、疲労のようなものは感じられない。これは生来のスタミナの差もあるが、決してそれだけでなかった。


 見れば彼女の引き締まった腕や肩口、そして腿など身体の至る所に不思議な印が浮かび上がっている。


「お前さんこそ、刺青紋を完全にものにしたみたいだな。……起動時の痛みはないか? 吐き気とか、頭痛とか……あと、手足の感覚はしっかりしているか? 魔術の起動の詰りがあったら、すぐに戦闘から離脱するんだぞ。万が一、不発でもしたら完全に的だ」


「……トウテツ、今は私の心配をしている場合じゃない」


 冷めた声が降りかかり、トウテツは我を取り戻した。気まずそうに頬を掻き、ため息を吐く。


「……そうだな。つい癖で」


 いかに彼女の身に刻まれている刺青紋が、自身の発案で誕生したモノであっても、気をつかうタイミングというものがある。魔術馬鹿で済む話ではないだろう。


「それに、私がそういったことに悩まされていたのは、ティナの慧人に選定される前。一年も経つ」

 彼女もため息を吐いた。頬を綻ばせたその表情は身内に対する気安さが滲んでいる。


 瞬きする間にそれは掻き消え、冷酷な眼光に逆戻りしたが。


 もとよりイズが身内であっても手心を与えない性格なのは承知している。『学び舎』も的確な人選をしたものだ。かの組織における最強の手駒を即時に切ってくるとは、龍の脱走は即急に処理したい事案らしい。


「そうだったか? ……そうだったな」


 とぼけながらも、素早く視線を巡らしエイルの状態を確認。彼女の方はまだ時間がかかりそうだ。紋は彼女の全身よりも大きく広がっているが、全体の完成まで半分ほどしか進んでいない。


「……あなたがあれと何をするつもりかは知らないけれど」


 姿勢を低く屈める予備動作。それを認識した時には、トウテツは多重起動による紋の展開を始めていた。


 前の征伐隊相手に用いた複数魔術の同時起動ではない。同じ系統の魔術の相乗起動。威力と速さを底上げする技術。


 洗練を欠く無理やりな起動で、自身の魔力が大きく減ったことが感じられた。鋭い鈍痛が頭に走る。だが恐らく、生半可な威力では――。


『風、切断、狂乱』


 三節の短縮声紋も上乗せし、三重起動となった魔術。


 生み出されたのは、全てを両断する鎌鼬の刃。


「うっ」

 

 不可視かつ神速な斬風は、一瞬のうちに肉薄していた女の左肩を、逆袈裟に切り裂いた。


 完全に不意をつかれたイズは、身体を切り裂かれながら、吹き飛んでいく。


 様子を観察しながらも、トウテツは動揺を隠せないでいた。


 彼の知るイズの魔術能力は、あそこまでの身体強化を可能としていなかった筈だった。もっと手前で安全に迎撃するつもりだった。だが、三節の短縮声紋を咄嗟に追加していなければ、彼女の膂力によってトウテツが殺されていたかもしれない。


 冷や汗が顎を伝った。正直、スタミナには自信がない。慣れない旅に慣れない寝床。コンディションも良くないし、性に合わない強引な魔術を一度ならず、二度も行ってしまった。今の一撃が決まっていなかったら、かなりの劣勢を強いられていただろう。


「……こういうのってさ、ロクでもないことを考えると、大体当てが外れるんだよな」


「……かなり、やる」


 ゆったりとした動作で女は立ち上がった。出血はおろか、身体には傷らしい傷が出来ていない。咄嗟に躱されたか、と考えたが、彼女が身に纏っていた衣服がズタボロになっているところを見ると、


 直撃を受けてなお、この程度の損傷だったというわけだ。


「……ったく、自身失くすやら、誇らしいやら複雑だ」


「誇ればいい。トウテツの想定以上に刺青紋は進化する魔術」


 言葉と共に拳が握られる。彼女の身体に巡る刺青紋が赤黒く浮かび上がり、起動した。


 刺青紋には声紋も空紋も術紋も必要ない。


 肉体に刻まれた刺青により、即座に魔術を行使することが出来る。


 簡単に言えば、肉体に刻まれた術紋だ。だが、術紋が比較的使いやすいのに対して、刺青紋は酷く難儀な魔術だった。それこそ、生み出したトウテツが全く適応できないほどには。


 イズの拳に炎が燈る。彼女が操る魔術は二つ。身体強化と炎だ。この組み合わせは彼女が提案してきたのだが、最初は疑問しかなかった。身体強化はともかく、炎はオーソドックスな魔術で、いかなる紋においても魔術の基礎と言っていい。刺青を刻む前から、彼女は優秀な魔術師だったので、もっと汎用性が高かったり、数を多くしても良いと思ったものだ。


「――行く」


 一歩踏み込まれただけで、彼我の距離は零に等しくなった。炎を纏った拳のまま、腹部に鋭い一撃が捩じり込まれる。



 身体が浮いた。肺から空気が全て吐き出された。見事に後方へと吹っ飛んでいった。地面を無様に転がる。受け身をとる余裕さえなかった。


「ぐ、ごほごほっ」


 起き上がろうとしても、膝が笑って言うことを聞かない。障壁とはまた違った種類の防護を身体に纏っていたのだが、普通に殴られたくらいには痛かった。それでも、死力を振り絞り立ち上がる。


「……まだ立つ?」


「当ったり前だろ……っ」


 腹部に残る鈍痛を無視し、空紋を展開、精度、速度共に最高の魔術が描き出される。


「遅い」


 声を認識したのは、宙を舞った後だった。背から地面へと落ち転がる。どこを殴られたのか分からないが、全身が熱を帯びて痛かった。


 今度は防護の魔術すら間に合わなかった。ジワリと口の中に鉄の味が広がる。それでも、立ち上がることを止めようとはしなかった。


 起き上がりざまに、地に描いた術紋を起動、雷の一撃をイズへと見舞う。


 この一撃は予想外だったのか、イズの回避は間に合わず、直撃を受けた。


「往生際が悪い」


 それでもなお、狂戦士は悠然と立ったまま、眉一つ動かさなかった。未発動のまま佇んでいた空紋をも利用した、二重起動の一撃だったのだが、少々のダメージにすらならなかったようである。


「……やれやれ」


 もはや呆れるしかない。あの三重起動の斬風の直撃を受けて無事だった時点で、薄々察してはいたが、イズの成長は規格外に過ぎる。これほどの間、刺青紋を起動し続けていることも底なしだ。


「次で決める」


「……へえ。そいつは楽しみだな」


 震える脚で精いっぱいの虚勢を張るしか出来ない。もう魔力の底も近い。それに魔術師というのは基本的には研究職の人間――詰まる所引きこもりだ。喧嘩慣れしていないものがほとんどで、トウテツも例に漏れず、というよりもその筆頭である。


 身体中が痛すぎて、意識が飛びそうだった。論文の為に十徹した時よりも辛い状態があるなんて聞いてない。


 心中でボヤキながら、紋を描く。その動作を目聡く気が付き、イズが高速で接近、炎を纏った拳がトウテツの顎を捉えた。


「がっ!」


 魔術は間に合った。攻撃の魔術が照準のことを考えて、彼女に当てるのは難しいだろうと、防護の魔術を起動していたのだ。障壁の魔術でなければ、座標を意識する必要はない。身体の周囲に纏えばいいだけである。


 また、受け身も取れぬまま、背から地面へと落ちた。無様に転がり、固い何かにぶつかる。


 炎を拳に纏うことに、演出以上の意味があるのかと思っていたが、身を持って理解した。見栄えが良い以上に、拳の威力が底上げされている。しかも炎の球を放つのとは違って、手の辺りに対流させているので、燃費もいい。長期戦を見込んだ際に使う奥の手の一つなのだろう。


「…………」


 咳すら出なかった。短く荒い呼吸を繰り返すだけで精一杯。それ以上は全身の倦怠感が許してはくれない。


『トウテツ、大丈夫ですか』


 頭の中に直接響くような声が降りかかる。どうにかして、顔を向ければ、すぐ横にエイルがいた。


 先ほどぶつかった固い何かは、彼女だったらしい。


「な、んだよ。見てたのか……よ」


『一応、聞きますけど、助けはいりますか』


「必要、ない。……お前さんは魔術の展開に集中してろ」


 咳き込まなかったのは僥倖だった。消え入るような声で返答し、トウテツはよろめきながらもまた立ち上がる。


 エイルは心配そうに、大きな碧眼を細めたが、龍の姿では器用に支えることは出来ないと判断したのか、紋の展開へと意識を戻した。


「……まだ立つの?」


 表情を歪めながら、困惑したようにイズが問う。彼女の額には、知らぬ間に珠のような汗がいくつも浮かんでいる。ようやく疲労が表に出てきたようだ。


「……どうして、立つの? 龍の為にどうしてそこまで必死になるの」


 緩慢とした動作で、一歩イズが踏み出した。


 両手に纏う炎が大きさを増し、赤色から青色へと輝いていく。離れていても伝わる熱量に、トウテツは生唾を呑みこんだ。


 本気なのだろう。これまでは一応、殺さない様に手加減していたのだろう。だが、あれは正真正銘、必殺の一撃だ。まともに喰らえば、龍体のエイルですら、無事では済まない。


 覚悟を決めるしかあるまい。立ち塞がるように前へと出て、イズを睨み付ける。


「決まってるだろ」


「何?」


 沈黙を破って呟いた言葉に、イズは敏感に反応した。声紋だと判断したのか、びくりと肩を震わせたが、その声に何の力も籠っていなかったことを察し、短く問い返してくる。


「必死になる理由だよ」


 草や泥にまみれて、ボロボロになった外套の内ポケットへと手を滑り込ませる。


「……昔から――それこそ、神様の時代から男が女の為に必死になる理由なんて決まってんだよ」


 指先に固い感触が触れた瞬間、反射的にそれを掴む。素早くそれを取り出すと同時、コインを弾くように、親指のつま先で当てずっぽうに弾き飛ばした。


「っ!?」


 イズは優秀な戦士だ。敵が不審な行動をとれば、即座に行動に移す。今回はそれがあだとなった。


 はじき出された小石が、緩やかな曲線を描いて、イズへと飛来していく。彼女にしてみれば、苦し紛れの魔術が起動されると思っていたのだろう。トウテツから見て、左へと大きく回避行動をとろうとした。無論、飛ばされた物が何かを確認しながら。


「っが!?」


 ――閃光。石は大量の紫電を吐き出しながら、凄まじい光量を持って爆発した。周囲に大量の光と、雷がのた打つ音を撒き散らす。


 その直撃を受けたイズは、目を押さえて声にならない叫びを上げる。


「――好きな女のためなら、男は全部捨てられるんだぜ?」


 魔性石の外部圧力による自壊暴発。


 魔性石を敬遠しがちな魔術師は、このような現象が起きることは知らないし、普段利用している一般人は、自壊にまで至れる外部圧力を生み出せない。


 トウテツが持ちうる正真正銘の奥の手だった。


「さて。んじゃ、ちと悪いがしばらく……あー、いや、せめて俺らが立ち去るまで眠ってくれると、助かる」


 視界を遮られたままの、イズに攻撃するのは忍びなかったが、仕方ないだろう。


 彼女の身体を守る刺青紋はいまだに起動している。効率よく無力化するには、やはり電撃の魔術だろう。


 少ない魔力がグングン減るのを感じながら、トウテツは紋を組み上げ、彼女の首筋に鋭い一撃を与える。


 『学び舎』最強の魔術師も、この一撃には耐えられず、呆気なく昏倒したのだった――。


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