この世界を最初に震わせたのはこの産声だったのだろう
ご飯を美味しそうに描写できた時が、文章を書いていて一番充足感のある時です。美味しそうにかけたかな?
予想通り、ルオンの宿場街に着いたのは、太陽が南の頂点へと至るよりも前だった。
街へと一歩踏み出せば、轍だけが目印だった街道が石畳となり、疲弊したトウテツの足裏を出迎えてくれる。
ルオンの街並みは大昔に一度来た時と、何ら変わっていなかった。大陸の端まで続く大街道に沿うように、黒っぽい石造りの食事処と、宿屋が立ち並んでいる。
街道から一歩踏み出せば、網目のように広がる裏路地たちがお出迎えだ。
「……まずは馬だな」
裏路地を彷徨った過去を思い返して苦い顔になりながらも、トウテツは今後の計画を立てていた。
宿をとるのは後でいい。今は商売人の活動が活発な時期ではないし、何より昼前だ。遅めに出立する連中と鉢合わせたら、余計に時間を食う。それらを鑑みた結果の結論だった。
――結論だった、のだが。
「トウテツ! あれがやたいですか!?」
興奮した声が鼓膜を響かせる。トウテツが声のした方へと目を向けると、鈍色の髪をした少女が瞳を輝かせてあっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返していた。
「おい、エイル! 勝手に動き回るな!」
「あ! あの小さな木組みの建物がやたいですか!?」
聞いちゃあいない。エイルにはトウテツの言葉が届かなかったようで、小走りで走って行ってしまう。
ここではぐれたら面倒だ。探し人を捜索する魔術もないではないが、かなり複雑で面倒くさい。何より、くだらないことで魔力を浪費するのは惜しい。
ため息を吐く間もなく、トウテツはエイルの後についていく。
不意に周囲の様子を見ると、街の住民や、通りがかりの旅人が微笑ましそうにこちらを見ていた。似ていない親子か、兄妹だと思われているのだろう。居心地の悪さを感じながらも、トウテツは歩を早める。背負った荷物がやけに重く感じられたのは、疲労のせいだけではなさそうだった。
◇
「あれも食べたいです! あれも! あとこっちも!」
右手にピリッとした辛味が特徴的な豚モモ肉の香辛焼き、左手にはチーズと朝市で仕入れた新鮮な葉野菜、鳥胸肉の燻製のスライスをこれでもかと挟んだ焼きたてのパンを持つ、エイルが口を忙しなく動かしながら、歓喜に打ち震えていた。
彼女は既に、柑橘のシロップ漬け、羊の甘辛串焼き、ルオン特産のとろける生チーズに山羊乳、豚と羊の合成肉の腸詰、リンゴに似た不思議な触感の果実、その他もろもろを平らげている。
今、エイルが指したのは山羊乳粥(山羊乳がお気に召したらしい)、川魚を発酵させ日干ししたもの、バターをたっぷりと吸った丸っこい芋だ。
もはや、彼女を止めることを放棄したトウテツは、胃袋のおもむくままに咀嚼を続けるエイルをなす術もなく眺めているだけである。
このままでは街の屋台をすべて制覇する勢いだ。太陽はとうに頂点を過ぎており、一刻もすれば、夕方の色も濃くなってくるだろう。
いい加減引き留めなければ、明日の朝一番にここを立つという計画が破たんしてしまう。
「おいエイル! そろそろ馬の調達に行くぞ!」
どうやって彼女の機嫌を取ったものか、と考えながら、トウテツは大声を張り上げた。
「も、もぐ、もうですか!? まだ、半分も食べきっていないですよ?」
案のじょう、ごねはじめる。半分も食べきっていない、ではない。半分近くの屋台を制覇した、の間違いだ。路銀はあるがこの先、稼ぐあてなどない。そのあたりをこのむすめには分からせないと――。
「いきなり、後ろからとはご挨拶だな」
トウテツは一歩、前へと歩を進めた。
直後、丹念に整備されていたであろう石畳が爆ぜ、もうもうとした土煙が上がる。
足元を見れば、そこには綺麗な円形の陥没と、粉々に砕けた石ころがいくつも転がっていた。
周囲は騒然となる。『学び舎』が治める街道で、白昼堂々爆発があったのだ。驚かないのは無理も
ない。ある者は路地へと逃げ、あの者は恐慌状態となっている。
誰もが等しく爆発の中心――トウテツの周りから遠ざかろうとしているのだけは一緒だった。
「?」
いや、エイルだけがよく分かっていない顔をしながら手に持った串焼きを片付けている。
思わず脱力しそうになりながらもトウテツは、ジロリともう一組の例外を睨み付けた。
「流石、ティナの慧人の一人だった男。背後からの奇襲を難なく躱すか」
白い外套を羽織った男たちが六人、警戒するようにトウテツの周囲を囲んで立っていた。こちらかは見えないが、彼らの外套の背には槍と天秤を持った魔術の女神ソフィアの金刺繍が施されている筈だ。
「お前さんの紋が雑過ぎるんだよ。あんだけ魔力を無駄に消費してたら、馬鹿だって気が付く。……
ホントに『学び舎』の征伐隊か?」
「なっ」
リーダー格であろう、魔術を使用した男の顔が朱に染まった。彼の手には召紋帳《スペルブック》――魔術を起動する紋をあらかじめ書き記しておく媒体――が握られている。
「召紋帳を使った魔術ってのは何より出の早さが重要なんだ。相手に悟らせず、紋を認識するだけで即時に現実改変を行える……だってのにお前さんのは魔力の空ふかしが起き過ぎて、発動は遅いわ、気配が丸わかりだわで最悪だぞ? それになんだ、あの爆発は。察するにシュトー派系の炎の術紋なんだろうが……威力が弱すぎだ。まあ? 恐らくは上から俺のことは生かして捕えろだとか言い含められて、頑張って調整して、しかも万が一が無いように足下を狙ったんだろうけどよ。人間には生まれ持って魔力による現実改変に対して、耐性を持ってるんだぞ? それなのに石畳が2、3枚爆ぜる程度って……お前さん、ティナの慧人舐めすぎだろ! こちとら魔術の研究続けて、知らぬ間に三十歳越えてたんだぞ? んで、ようやく願い――てか、まあ目標まで到達したってのに、言わば俺人生かけてここにいるんだぜ? もはや伝説上の魔法使いと遜色ねえよ。というか、下品な蔑称で三十歳でどうて――」
怒涛の勢いで吐き出されるトウテツの説教(愚痴)に、征伐隊の面々は呆気にとられていた。トウテツが油断なく、全員の顔を確認すれば皆十代半ば頃。恐らく、そこまで才能は無いが魔術は続けていたいといった考えで、征伐隊の試験を受験した者達だ。
そんな若輩者たちを、追跡に寄越すとは『学び舎』は何を考えているのやら。
「ええい、くそ! わけのわからない言葉に惑わされるな! 総員、やれぇ!」
声を上げ、仲間を叱咤したリーダー格の男の合図で、周りの男たちも一斉に魔術をきどうさせるべく紋を描き出す。どうやら召紋帳を持っているのはリーダー格の男だけらしく、他の五人は、思い思いの紋を描いていた。
――魔術は時間差で行うのが基本。同じタイミングで同じ場所に撃っても、互いの改変が相互に作用し合って、威力は出辛い。……基礎中の基礎の筈なんだがなぁ。
呆れを通り越して、いっそ憐みすら覚えてきてしまったトウテツであったが、このまま大人しく魔術が発動するのを傍観するつもりはなかった。
「ったく、しょうがない。先人のお兄さんがお前さんたちに手本を見せてやるよ」
そこからの行動は迅速の一言だった。
空中に紋を描く天紋と呼ばれる高等技術を持って、紋を成形、それと同時に声紋による魔術の発動までやってのける。結ばれた紋は、
『雲間よりいでよ、速き者』
つまるところ、雷撃の魔術であった。
「ごお」「あ」「……」「はしゅっ」「げぃ」「ぐっ」「んぎ」
バチバチバチと派手な音と眩い閃光を発し、前方後方に紫電が疾駆する。それは寸分の狂いもなく紋の成形に注視していた征伐隊達へと殺到し、彼らは反応することすらできずに直撃を受けることとなった。
「雷の魔術が一番早く対象に接触できる。んで、見た目こそ派手だが、威力もそこまでだ。全力でも精々半年ほど介護が必要になるくらいだな。もし次があるなら、こっちを勧めるぜ」
勝ち誇るでもなく、トウテツは倒れ伏した少年たちに語りかけた。征伐隊の者達は辛うじて意識こそあるようだったが、四肢を投げ出して身体を揺するだけで、起き上がれそうにない。
「エイル!」
少し離れた場所で様子を窺っていたエイルを連れて、裏路地へと潜り込む。あれだけの人数に大立ち回りをしたのだ。噂が回る前にこの街を出た方が賢明だろう。急いで馬を調達する必要がある。
「よかったのですか? 彼らを生かしておいて」
唐突に物騒な言葉が飛び、トウテツは一瞬だけ息を止める。だが、すぐに全身から力を抜き、エイルの頭を乱暴に撫でた。
「心配するな。あいつらはこっちの目的地も、何で俺が追われているのかも分かっちゃいねぇよ! それに」
「それに?」
「いちいち殺してたら魔力の無駄だろうが。無駄は嫌いなんだよ」
冗談めかして言い、歯を見せて笑う。それにつられて、エイルもにっと歯を見せて笑って見せた。
――だが、嫌な予感がするな。
彼らの練度や、魔術の知識は控えめに言ってもお粗末だ。それなのに、無駄に魔力を使って擬装した痕跡を追って来られたのか。不思議でならない。
……偶然か? トウテツの魔術も完ぺきではない。時間が立てば綻びるし、ちょっとしたきっかけでその誤魔化しを見破られる可能性だってある。
考え過ぎだと思いたい。だが何故か、ある女の顔が脳裏に張り付いて剥がれようとはしなかった。
赤い髪の女。……彼女なら、あるいは。




