八話【団欒】
空が赤く染まってきた。太陽が地に沈んでいき、その逆からは青紫色のグラデーションが広がっていく。薄く広がる雲はその両方の色合いを映し、巨大な生き物のように国を、大地を見下ろす。
一日の終わりを告げるその光景を見て、今日はよく頑張ったなとその日の仕事ぶりを振り返りたくなる。振り向き、むしり終わった場所を確認する。半日かけた割には大した仕事量ではなかったが、病み上がりの体ならこの程度だろうとセオは満足した。
暗くなる前に、セオは最後にもう一度、顔を上げて自分の周囲を見渡した。
広大な畑。ぽつぽつ建つ大きな家々。柵の中の牛や羊などの家畜たち。遠くにうっすら浮かび上がる都会の建造物たち。
風がセオの髪を、頬を、体をなでていく。暖かく包み込むようにも、冷たく突き放すようにも感じる。
回遊国に住む者はみんな、この風と共に生きているのだ。
大きく深呼吸する。目を見開き、その光景を目いっぱい視界に収めようとする。その視界に映るものこそ、これからセオが生きていく世界なのだから。
ザクザクと足音が聞こえた。騒がしい足音からして、今度はロットンかゴルドーさんかなと思う。
しかしよく聞いてみると、なにやら複数の足音だと気が付く。おや、どういうことだと振り返った瞬間、腰やお腹のあたりに大きな衝撃がぶつかり、背中から地面に落ちた。畝を少し崩してしまったが、それがクッションになり大した痛みにはならなかった。
倒れて目を回したセオは、自分のお腹のあたりを確認してみる。
「おにいちゃん! ごはんだよー!」
セオのお腹にしがみつくその小さな子供は、天にも届く大きな声を発した。その声の大きさと唐突な出来事に、セオは目を点にすることしかできなかった。
「ああ、そういえば子供たちは学校に行ってたんだっけ」
「そうだよ! ただいま!」「はじめまして!」「ただいまー」「……ただいま」「兄ちゃん汗くせぇな!」「早くご飯食べに行こうぜ!」「お兄さん外国人なの?」
思い思いの挨拶をセオにぶつける子供たち。その目には好奇心が満ちており、どの子も目を輝かせている。何か言葉を発しないと、その好奇心に押しつぶされそうだった。
「え~っと。とりあえず……おかえりなさい」
「おう、お疲れさん!」
「お疲れ様。ご飯できてるわよ」
子供たちに手を引かれてキッチンに入ってきたセオに、ゴルドーとマリーがねぎらいの言葉をかける。
食卓には大量の料理が並んでいた。ホカホカのパン、採れたて野菜のサラダ、たっぷりの肉汁を閉じ込めたウインナー、大量の湯気が立ち上るホクホクのジャガイモ、子供たちが喜びそうなウサギの形をしたリンゴ。
しばらくぶりの料理らしい料理だった。抑えきれない食欲に「ぐるるうぅ~」と、レイカと会った時以上に大きな腹の虫が鳴る。
「おう、お疲れ! お前の席はそこだぞ!」
「あら、お疲れ様。早く手を洗ってきてね」
ふと見ると、ロットンが食器を並べていた。レイカの方は、小さい子供たちに手を洗わせたり、椅子に座らせたりとせわしなく歩き回っている。
セオも手を洗い、席に着く。キッチンには大きな長方形のテーブルが二つ並んでおり、アルベルト夫妻は一番の上座に座っている。それ以外は年長者(とはいえせいぜい十五歳くらい)と年少者(一番年下で三歳くらいか)がバランスよく着席している。ロットンに促されてセオが座ったのは、まさにキッチンの中央の席だった。
「そこはお誕生日席だ。要は、一番の新参者が座る席さ。お前が来るまではレイカが座ってたんだぜ」
なるほど、この席なら文字通り家族の輪の中に入れるのかもしれない。
しかし初対面の集団のど真ん中に入れられるというのは、誰しも多少は緊張するものである。コミュニケーション下手なセオにはなおさらだった。
美味しそうな料理に気を緩めていたセオの背中に、冷たい汗が流れる。
「まあまあ、緊張しないで。みんないい子たちだからさ」
運のいいことに、向かい側の相手はレイカだった。もしも昼間会っていなければ、子供たちに囲まれ、知らない美人と向い合せになり、セオの頭の中は真っ白に漂白されたかもしれない。しかし今のレイカはセオの頼もしい味方の一人だった。おかげで心に余裕が生まれる。
食事の準備が整い、全員が席に着いた。
急に、それまでの騒がしさが水を打ったように静かになる。アルベルト夫妻も、ロットンもレイカも、子供たちも、その気配を察知した幼児たちも全て。そして胸の正面で両手を合わせ、そっと目を閉じる。
そうか、この国の食事前の儀式か。そう判断したセオも、見よう見まねで手を合わせ、目を閉じる。
「風の神様、太陽の神様。本日の恵みに感謝いたします――」
ゴルドーが低く厳かな声でその言葉を唱えると、その場にいた全員が同じように唱えた。少し遅れて、セオも追いかけるように唱える。
「――よし! いただきまぁすっ!」
先ほどまでの静けさを吹き飛ばすように、ゴルドーが勇ましい声で夕食の開始を告げる。それを合図に子供たちも、
「いただきまーす!」「飯だ飯だ!」「もぐっ、もぐもぐ」「学校の後のミルクは格別だな!」「この一杯のために学んでるぜ!」「コラ、急いで食べないの!」と、各々鎖から解放されたように食事を楽しんでいる。その中でもロットンの食べっぷりときたら、猿山のボス猿そのものと言っていい豪快さだ。反対にレイカは、サラダを取り分けたり小さな子の面倒を見ている。食事が始まってもなお忙しそうだが、その表情はむしろ楽しそうでもある。
「さて、僕もそろそろ」とセオはスープに手を伸ばす。玉ねぎの冷製スープというものらしい。冷たいスープというものはセオも初めてだったが、いざ飲んでみると玉ねぎの自然な甘みが冷たさと相まって、火照った体に沁みわたっていく。
「ねえねえ! お兄ちゃんってどこから来たの?」
隣に座っている、十歳くらいの女の子が尋ねてきた。
視線を感じて周りを見てみると、子供たちがこちらを見ていた。興味深そうに目を輝かせる子もいれば、おっかなびっくりといった子もいる。大人で外国人の新入りとなれば、興味を引かないわけにもいかないだろう。
「おいおい。みんなその兄ちゃんが気になるだろうが、今は食事に集中しなさい。冷めちまうぞ!」
ゴルドーがそう注意したおかげで、子供たちは好奇心を押し留めて料理にがっつき始めた。落ち着いたセオも、パンにかぶりついた。
「よし、ご馳走様でした!」
「ごちそうさまでしたー!」
食事はあっという間に終わった。小さな子供たちが少し騒いでいた以外は、思いのほか静かな食事だった。この孤児院の方針で、食事中は食事に集中し、団らんはその後にでもゆっくりするらしい。
「さあ、みんな。今までずっと気になっていたよな? 飯も食い終わったし、そろそろ彼に自己紹介でもしてもらおうかァ!」
後ろに座っていたロットンが、急に高らかに宣言した。どういうことだと狼狽していると、こちらにやってきたロットンが肩をつかんで立たせようとする。
「ロットン、どういうつもりだよ」
「まあまあ、いい機会じゃねぇか。せっかく全員そろってるんだし、こういうのは最初が肝心なんだ」
「まあ、一理あるな」
「うん、いいんじゃないかしら」
「セオ君、ガンバ!」
ゴルドーたちまで急かしてくる。
しかし確かに、いきなりやってきてだんまりというのも良くはない。人から注目されるというのは苦手だが、ここは覚悟を決めるしかなさそうだ。
立ち上がり、みんなの顔を確かめる。この人たちが、僕の新しい家族なんだ。そう考えると、なんだか力も湧いてくる。拳を握りしめた。
「僕の名前は、セオといいます。二週間ほど前に、森で遭難していたところをこの国の人に拾われました。今日から、お世話になります!」
そう言い終えると、深く一礼した。
少し堅苦しい挨拶だったからか、子供たちはしんと静まり返っていた。
するとどこからかパンパンと拍手が聞こえた。その音の発生源は、ロットンだった。シンバルを持った猿のおもちゃのように、頭の上で大きく手を叩いている。
それにつられるように、パチパチ、パチパチと拍手の音が上がっていく。そうして、キッチンは拍手の音に包まれた。
照れくさくなってきたセオは、もう一度、大きく一礼した。




