九話【夜の誘い】
食器を片づけた後、セオは自分の部屋に戻った。
「――あれっ?」
部屋の中に入ってまず驚いたのは、部屋をうっすら覆っていたほこりがすっかりなくなっていたことである。そればかりかフローリングにはワックスまでかけられており、つややかな光沢をまとっている。タンスや本棚の上までチリひとつなく、指でなぞってみても汚れ一つ付かない。
ふと机の上を見ると、小さな鉢があった。その中には、太い幹を土にめりこませた観葉植物が植えられている。
「たしか……ガジュマルとかいう植物だったかな。育てやすいらしいから、結構人気があったっけ」
セオも、そのアンバランスなほど太い幹が個性的なガジュマルが好きだった。殺風景な部屋に、鮮やかな緑のアクセントが加わった。
ガジュマルの鉢の下に、一枚の紙がはさんであることに気が付いた。何事かと思って見てみると
「わたくしからの入居祝い、気に入っていただけましたでしょうか――あなたの部屋の掃除人、ロットン」
と書かれていた。
なるほど、この部屋をきれいにしてくれたのはロットンだったのか。畑仕事の前に彼がゴルドーに引っ張られていったのは、おそらくこのためだったのだろう。それにしても、そのキャラクターに似合わない丁寧な仕事ぶりである。
「――ん?」
文字が透けて見えていた。どうやら紙の裏にも何か書いてあるらしい。裏返して見たセオは
「これは……どういうことだろう?」
首をかしげずにはいられなかった。
ロットンに感謝しつつ、セオはベッドの上でゆっくり本を読んでいた。ロットンの弟が置いていった本だ。
手に取ったのは絵本だった。内容は簡単に言えば、《白馬に乗った王子様が、さらわれたお姫様を助け出す》というものだ。大人からすれば陳腐な設定に違いないが、このわかりやすいストーリーが子供たちに案外好評であり、その子たちが大人になっても思い出しやすかったりする。セオも小さい頃に似たような本を親に読んでもらったことがあり、懐かしい気持ちになった。
読み終わって物語の余韻に浸っていると、コンコンとノックする音が部屋に響いた。
「はい、ちょっと待ってください」
いったい誰だろう? 本を置き、扉の方へ歩いていく。その短い間にも、ノックの主はコンコン叩き続けている。
ひょっとして、何か急ぎの用事でもあるのか? 焦りを感じつつドアを奥へと開けると、それは杞憂だということが分かった。
扉の前にいたのは、石鹸の臭いをふりまく、お風呂上がりの子供たちだった。湯気を立てる肌は紅潮しており、焼き立てのお菓子を連想される。
「兄ちゃん! ご飯の時はあんまり話せなかったからさ、いろいろ話聞かせてよ!」
子供たちのリーダー格のような男の子が率先して話しかけてくる。後ろの子供たちも、外国の話を聞けるかもと目を輝かせている。
(これはどうやら、逃げ場はないな……)話下手のセオも、観念して子供たちの相手をすることに決めた。ため息を吐きつつも、ぎこちない笑顔を作る。
「とりあえず……絵本でも読んであげようか?」
子供たちの歓声が上がる。セオの長い夜が始まった。
「おいセオ。風呂、あとはお前だけだぞォ」
様子を見に来たロットンが呼びに来た。小さい子たちを連れている姿からして、つい先ほどまでお風呂に入れてあげてたのだろう。
結局子供たちが来てから、一時間ほどおしゃべりを続けていた。子供たちはどんな話も興味を持って聞いてくれるが、それでも話のネタは尽きかけていた。そういう意味では、ロットンは最高のタイミングで迎えに来てくれたと言える。
「ほら、ガキ共。お前たちももう寝る時間だぞ! セオだってもう疲れてんだろうがよ」
「ちぇーっ、わかったよ」「それじゃおやすみなさい」「またお話聞かせてね」
話のキリがついたことで、子供たちを睡魔が襲い始めたようだ。先ほどまで爛々と輝いていた瞳は、今はもうまどろみ始めている。
「ああ、みんなおやすみ」
みんなが自分の部屋へ戻ったところで、タンスからロットンの弟の寝巻を拝借して風呂場に向かった。
髪をタオルで乾かしながら風呂場を出る。汗まみれの体を湯で洗い流したときは、生まれ変わったかのような気持ちになった。コップに水を一杯注ぎ、部屋に戻る。
部屋に戻ると、すぐにベッドに横になった。柔らかい布団が、飛び込んできたセオを優しく受け止める。
「今日は本当に、いろいろなことがあったな……」
この日あった出来事を思い返そうと、頭を働かせる……が、体も頭も次第に重く沈み込んでいく。ベッドに横になって数分もしないうちに、セオは寝息を立てていた。
「――おい、起きろよ」
「ん……?」
家の中も外も静まり返った深夜、その男、ロットンはセオの部屋にいた。しばし夢の世界を漂っていたセオは、彼の声で目を覚ますと、その寝ぼけ眼を擦ってロットンの姿を確認した。
「鉢の書置きは見てくれたんだろ?」
「ん、ああ」
ガジュマルの鉢の下に挟まれた書置き。そこには「寝る時、部屋の鍵を開けておいてくれ」という謎の一文があった。そのためロットンが夜中にやってくることはなんとなくわかっていたが、それでも自分の部屋に忍び込まれるのは、あまり気分のいいものではない。
「それで、何の用なのさ……」
「そう不機嫌そうな顔するなよ。みんな寝静まったときにやることと言ったら、一つだろうが」
「それで、その一つって何さ?」
ロットンはもったいぶるように大きく間をおいて、高らかに言った。
「男同士、夜の散歩と洒落込むのさ!」




