十話【暗闇を走る】
セオとロットンはできるだけ物音を立てないように、抜き足差し足で家を出た。
時刻はすでに零時を回り、全員部屋の中で夢の世界に旅立っている。起こさないように出てきたのは、単に気を遣ってのことではないだろう。
「子供の悪影響にならないようにってさ、親父が門限に厳しいんだよなァ」
「だからばれないように、こんな時間に外出するの?」
「それもあるよ。それにさ」
「それに?」
「ワクワクするじゃないか。こんな夜中に、秘密のお出かけなんてよ」
そんなひそひそ話をしながら、二人は家の裏に回り込んだ。
そこには小さな家のような物置と、屋根付きの簡素な駐輪場があった。ロットンが向かったのは駐輪場の方である。駐輪場には十台ほど自転車が並んでいる。籠付きの頑丈そうなものもあれば、ホイールが太く悪路に強そうなものもある。
鍵を外し、ロットンが押してきたのは、ホイールやフレームが細いとても軽そうな自転車だった。ハンドルとサドルの高さが逆転しており、他の自転車とは別種の雰囲気を纏っている。
ロットンが颯爽とまたがり、もう一台に乗るようセオに促す。セオも自転車に乗ったことは当然あるが、こんな自転車には乗ったことがない。おっかなびっくり足を上げ、不器用にフレームをまたぐ。
「かっこいいだろォ! ロードっていう、最近発売された新型の自転車なんだぜ!」
「うん。かっこいいけど、ちょっと乗りづらいね……っと!?」
試しにサドルに腰を下ろし、べダルを踏んでみる。すると思いがけない軽い走りにバランスを崩しそうになる。慌てて足を地面に着けようとするが、サドルの位置が高く足が届かない。あやうく倒れそうになった。
「アッハッハ! まあ、走ってるうちにすぐ慣れるさ。それじゃ、そろそろ行こうぜ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
軽やかに門から出ていくロットンを、急いでセオも追いかけた。
「まずは舗装された道に出る。暗いけど、しっかりついてこいよォ!」
街灯もない真っ暗な農道に、ロードに取り付けられたライトの一筋の光が走る。その光をなぞるように、後ろからセオもついて走る。
少々頼りない灯りにも関わらず、ロットンは的確に荒れた路面を避けてスピードを上げる。まるで今が昼間かのような走りっぷりだが、見えているというより長年の経験で路面のコンディションを覚えているのだろう。
「……すげぇな、セオ」
「え? 何が?」
「こんな暗い中、マジでついてきてるじゃねぇか」
それもそうだ。ロットンが《見えているように走る》というのなら、セオはまさに《見えている》のだから。
セオは視力が非常に良い。それだけなら珍しくはないが、動体視力にも優れ、夜目もきく。視力に関することでは、気の弱いセオも自信を持っていた。もし今ライトを消しても、農道に転がる小石を一つ一つ見分けることすらできるだろう。
「なんかわからねぇけど、今のお前、妙に生き生きしてるな」
「――そうかもしれないね」
ゴツゴツした農道を走っているうちは、腕と尻の痛みがひどく走りに集中することもできなかった。
しかし二十分ほど走って舗装された街道に出るとそれは一変した。ザラザラした走り心地がスベスベしたものになり、街道の上を滑るように走り抜ける。ライトを光らせ前傾姿勢で疾走する二人の姿は、目を光らせて駆けるチーターのように疾走していた。
ひんやりと冷えた空気を、二人で裂くように駆け抜けていく。しんとした黒い静寂の世界に、シャーッという二つの音が吹き抜けていく。
今の二人は、この国で最も風に近い存在になっていた。
「ハァ……ハァ……。ここが、目的地?」
「ああ。この国、シュヴァルベの国壁さ」
一時間ほど走っただろうか。汗がじんわりと滲んできたころに、その壁、国壁にたどり着いた。
国壁とは、この世界の国々に設けられている、国をぐるりと取り囲む壁である。基本的に回遊国の壁は簡素なもので、逆に定置国の壁は重厚なものになる傾向がある。これは空を基点にする回遊国にとって、壁というものの存在は大きな役目を果たしにくいためだ。
その代わりとして、国壁付近には国の防衛の主力を担う空軍基地などが多い。また交易の拠点となる貿易港も多く、この付近は他国との交易の際には非常に大きな賑わいを見せる。
セオとロットンがたどり着いたのはそのどちらでもない、展望台が設置された公園らしき場所である。二人は壁のそばにロードを停め、上に上がる階段に向かう。既に門が閉められていたが、ロットンは南京錠の穴を針金のようなものでカチャカチャといじると、あっという間に開錠してしまった。
「孤児院から独り立ちした奴がここで働いててさ、開けるコツをこっそり教えてもらったのさ」
門を開けながら、ロットンは意地悪な笑みを浮かべた。セオも苦笑せざるを得なかった。
二人は足元を確かめ、壁に手を付きながら慎重に上を目指した。




