十一話【星空の下で】
てっぺんに上った二人を歓迎するように、一際強い風が二人の服を大きく揺らした。
その風に押されるように、壁の内側の街並みを見下ろした。それほど高くない壁とは言え、そこらの家の屋根より高い。初めてこの国を見下ろす形となった。足元に灯りは全く無く、遠くにある首都方面にぼんやり光が滲んでいる程度。セオは真っ黒の海に一人立っている気分になった。
振り向けば、ロットンが外側の手すりにもたれかかって手招きしている。それに誘われて二人で国の外側の景色に目を向けた。
海のような広大な湖を、真っ白な月が明るく照らしていた。水面はミルクを垂らしたように月の光を映し出し、風を受けて静かにその模様を揺らしている。月のすぐ横には、ガラス片のように尖った輪郭の山が空を突き刺している。その空を仰ぎ見ると、宝石をちりばめたかのような星々が、真っ暗な空に貼りついて地上を見下ろしていた。
大自然の抱擁に圧倒され、セオは思わず息をのむ。《息をのむほど美しい景色》というのは、同時に自然への恐怖や畏怖を呼び起こすのかもしれない。
ふと横にいるロットンを見ると、彼はそんなものどこふく風といった表情で、薄く笑みを浮かべてその風景を眺めている。
「ロットンは、この景色を見せたかったの?」
「ああ……」
彼らしくない、低く唸るような声で相槌を打つ。ロットンの意識が、この風景に溶け込んでいるように見えた。
「お前さ、過去に何かあったんだろ」
何分立っていたのだろうか。二人並んで、無言でぼんやりと大自然を肌で感じていた。そんな中、急にポツリと声をかけられたので、セオは一瞬声をかけられたことに気が付かなかった。
「え? なんで……」
「わかるさ。お前、自分の過去の話になると、急に顔が険しくなるじゃないか」
「そう……かな……?」
セオは内心焦っていた。これまで表情が険しくなるどころか、むしろポーカーフェイスに努めていたくらいだ。これまでに何度も体感した、ロットンの動物的なカンかもしれない。
「俺さ、旅に出たいんだ」
「――えっ?」
突然何の話になったのだろうか? 急な話の転換に、セオの混乱は一層強まった。
「覚えてるか? 俺が宙船を他所で故障させちまったって話」
「ああ。ゴルドーさんと初めて会った時の――」
二人が孤児院に着いてすぐの出来事だ。確か、何かの試合の練習場に行くはずが、全く別の場所に行っていたのではないか――という内容だったか。
「あれさ、いわば予行演習中だったんだよ、旅の。だけど整備不良だったのか、めんどくさいとこで不時着しちまったんだよなァ」
「なんでわざわざ秘密に?」
「そりゃぁさ、弟も妹も家を出てるんだ。いざというとき、長男の俺が孤児院を継ぐって、みんなそう思ってるからな」
「…………」
ロットンは今まで見せたことのない、その虚ろな目を空に向けた。その目を前に、セオは何も言葉が浮かばなかった。
「でもさ! 俺、もっと広い世界を見たいんだ。回遊国なんかじゃ物足りない。旅に出たいのさ! 跡を継ぐのは……まあきっと、ガキ共の誰かが引き受けてくれるさ!」
目に再び輝きを灯したロットンは、腕を広げ大声で叫んだ。頭の中のもやもやを吹き飛ばすように。
あの話の真相はわかった。しかしその話が、なぜ急に出てきたのか。
ふと気づく。真剣な、しかし優しげなロットンの瞳が全てを物語っていた。「俺の秘密は話した。これでお前も、心を開いてくれないか?」と。
ここまでお膳立てをされて、心を開かない人間などそういないだろう。事実セオも、ロットンの熱意に心を激しく動かされていた。
セオは、覚悟を決めた。
「わかった。ロットンになら、話せるよ」
「――ありがとよ」
ロットンはいつものように、ニッと歯を見せて笑った。
「国が……滅ぼされた……?」
驚きを隠せないロットンに、セオは噛みしめるようにうなずいた。
それは悪夢のような出来事だった。
陽が一番高く上ったある日の昼、セオの祖国『クラーニヒ』を巨大な影が覆った。クラーニヒの国民たちが空を見上げると、太陽を遮るように巨大な塊が浮かんでいた。
「……空の民だ!」
その中の誰かが叫んだ。
その叫び声を黙らせるかのように、その塊は雨を降らせた。黒く、硬く、重い。その砲弾の雨は地面を抉りながら、クラーニヒを蹂躙していった。
ほぼ真上からの攻撃に反撃する術など、そう多くはない。多くの住民はただ逃げ惑うことしかできず、しかしその逃げ場すら無いに等しかった。
クラーニヒ空軍は戦闘用の宙船を総動員したが、それを迎え撃つ敵の宙船に次々と撃ち落された。勇猛と謳われたクラーニヒ空軍も、地の利と、見たこともない戦闘機の前には無力だった。機銃を受けて無数の穴をあけて空中分解する機体たちは、燃え盛る流れ星となって国土に降り注いだ。
その中にはセオの姿もあった。しかし彼も、奮闘むなしく撃墜された。やがて彼の機体は風に流され、国土を外れた。代わりに地表の川に不時着した彼の戦闘機は、木製だったこともあり沈むことなく流され、それがやがてシュヴァルベのコースにある森に着いたのだ。
仲間を失った悲しみ、何もできなかった自分への怒り、空の民への恨み。あらゆる激しい感情が渦巻き、セオの心の中で『暗いモノ』として定着した。
仲間のために生き続けるべきか、自分も仲間の元へ旅立つべきか。激しい葛藤を続けるうちに、心身ともに限界を迎えていた。そうしてセオが静かにその生涯を終えようとしたとき、偶然にもシュヴァルベの狩人に拾われて今に至ったのだ――。
「そうか……」
「…………」
二人の間に、重く長い静寂が流れた。風は止み、月も星々の光もその輝きを潜めていく。この世界全体が、追悼の意を捧げているようだった。
話しているうちに、セオの頬にいくつもの涙の筋が流れていた。呼吸が荒くなり、平静を保てない。隣にロットンがいなければ、大声で泣き叫んでいたところだ。「……ぐっ……ひぐっ……」と声にならないうめき声が、涙と共に地面にこぼれ落ちていく。
突然ロットンが背を向け、大股でスタスタと歩いて行った。不思議に思いその後ろ姿を見つめていると、彼は大きく息を吸い込み、叫んだ!
「ウオオオォォォォーーーーーッッ!!」
「なんだよそれ! 悲しすぎるだろうがッ! 悔しすぎるだろうがぁッ!」
「うわああぁああぁーーーッ! うぐぅっ、ひぐっ! がぁああーッ!!」
地団太を踏み、腕を乱暴に振り回しながら泣き叫ぶロットン。
思いがけない反応に、セオは涙をぬぐうのも忘れてその奇妙な光景に見入っていた。やさしく慰められるだとか、言葉も出なくなるだとか、それらの予想をすべて裏切るその反応に呆気にとられていた。
「チッキショオ! ソラノタミとかいうクソ野郎共が! 許せねぇぞコラァッ!」
ロットンの怒りと涙はますます激しさを増していく。感情が爆発し、その爆風が体中を駆け巡っているようだ。放っておいたら、夜が明けるまで続きかねない。
「ちょ、ちょっと! 落ち着いてよロットン!」
「だってよ、セオォ……!」
ロットンの肩を抱いて、なんとかその熱を抑え込もうとする。慰められるはずのセオが、逆にロットンを慰めていた。立場は完全に逆になっている。
しかしセオは、とても嬉しかった。自分と、仲間たちのために本気で怒り、泣いてくれる。そんな人間にいったい何人出会えるだろうか。しかし、今セオの腕の中には『その人』がいる。
知らず、セオのぐしゃぐしゃに汚れた顔には、笑顔が浮かんできていた。
セオの目から再び涙が溢れた。しかし、その涙は温かかった。
ようやく熱が冷めたのだろうか、ロットンは鼻水をすすりながらも、とりあえず暴れることはやめた。慰める側に回っていたセオは、涙を流すことをいつの間にか忘れてしまっていた。
そんな二人は、仰向けになってぼんやりと星空を眺めていた。顔を覆っていた涙と鼻水が乾き、顔がパリパリに固まって少し気分が悪い。
「――僕さ、ロットンに会えて良かったよ」
「恥ずかしいこと言うなよなぁ」
「いや、本心だよ。僕の本心なんて、滅多に出ないよ」
「そりゃ光栄だなァ」
「こういうの、ああ言うんでしょ?」
「ん?」
「『風の思し召し』って、さ」
「ああ、だな。風の思し召しさ」
「『神』じゃなくて、『風』でいいんだよね?」
「まあな。この国じゃ、風が神様みたいなものだから」
その言葉を聞いたのか、暖かい風が応えるように吹き、二人の髪を浮かせる。
「さすがに眠くなってきたな。帰るか」
「うん、そうだね」
起き上がり、背中の砂をパンパンはらう。
最後にもう一度月を見た。涙を流し疲れたはずの瞳は、来た時よりも鮮明に月の姿を映していた。
「ねえ、ロットン」
「ん?」
「ありがとう」
ロットンはガリガリと頭を掻き、そっぽを向いてしまった。
「俺は何もしてねぇよ。バカヤロ」
朝になっていた。夜中の疲れもあり、初めての寝床に関わらず熟睡できた。
朝日が部屋の中に差し込んでいる。赤みを帯びた光に照らされた室内は、昼間とはまた違った空気を含んでいた。
軽くストレッチをして体をほぐし、階段を下りていく。キッチンからは包丁のトントンというリズミカルな音が聞こえてくる。既にアルベルト夫妻は起きて朝食の準備をしているようだ。それ以外の音は聞こえないから、子供たちはまだ眠っているのかもしれない。起こさないよう、できるだけ音をたてないように廊下を進んでいく。
顔を洗うために洗面所に入る。鏡や蛇口がいくつも並んでいるため、朝の忙しい時間でも渋滞は発生しそうにない。
そこに先客がいた。薄いオレンジのパジャマを纏った女の子、レイカだ。ちょうど歯磨きを終えて、口の中をすすいでいるようだ。日常の何でもない姿だが、女性の普段見ない私生活の一面を見たようで、セオは動揺してしまった。
「あっ、セオ君! おはよう!」
「あっ、おはようございます」
小鳥のように澄んだ声を聞いて、セオの寝ぼけた頭は水をかけられたようにパッと目覚めた。
「どうしたの、その顔? ロットンに泣かされたの?」
「えっ!? あぁ、いえ。そういうわけじゃ……」
鏡で自分の顔を確認する。乾いた涙と鼻水で顔がテカテカしており、目はほんのり充血している。しまった、せめて顔を洗って寝れば良かったとセオは後悔した。
いや、それよりも。レイカはなぜセオとロットンが会っていたことを知っているのか? これが女の勘というものなのだろうか。セオの頭にはてなが浮かぶ。
「たまには夜遊びもいいけれど、あんまりみんなを心配させるようなことはしちゃだめよ?」
「す、すみません……」
人差し指をピッと立てて、上目づかいで訴えかけるレイカ。その気迫に押されてセオは一歩後ろへ下がった。
「それじゃあ私はお料理手伝ってくるから。セオ君は部屋でゆっくりしてていいわよ」
そう言って彼女は颯爽と洗面所から出て行った。あとに残されたのは、呆然と立ち尽くすセオただ一人だった。
「おい、ロットン。バレてるじゃないか」




