七話【レイカ】
「あなたがセオ君だよね? 今日からよろしく!」
「え? あっ、よろしくお願いします……」
突然現れた少女が元気に挨拶をしてきた。その勢いに押され、わけもわからず挨拶を返す。
大きく開いた目にパッとした明るい表情は、彼女の性格そのものを表しているようだった。化粧っ気はないが、整った顔立ちはその必要性すら感じさせない。
スラリと伸びる手足は若い女性的な柔らかさがあるが、同時に力強さも感じさせる。おしとやかな淑女ではなく、スポーツに興じるわんぱくさを覗かせる。
何より目を引くのは、そのスラリと流れるしっとりとした黒髪である。彼が知る限り、シュヴァルベにはこのような美しい黒髪を持った人物はいない。
ひょっとしたら、彼女も旅人であったり、自分と同じようにほかの国からやってきたのかもしれない。そう考えると急に親近感が湧いてきた。
それにしても、今日からよろしくということは……
「ひょっとして、あなたもアルベルトさんのところに?」
「ええ。私もちょっといろいろあって、ここのお世話になってるの。あなたと同じね」
「ああ、そうだったんですか」
「実は、セオ君の隣の部屋に住んでるのよ? ロットンの妹さんの部屋だったみたいだけど」
「えっ? お隣……?」
階段を上って一番手前に、セオの部屋(ロットンの弟の部屋)がある。当然その隣にも部屋があるが、そこがレイカの部屋(ロットンの妹の部屋)らしい。
普通の男の子なら、同じくらいの歳の女性と、しかも隣同士の部屋だなんて興奮してしまうかもしれない。実際、セオも一瞬“ツいている”と思いもした。
しかし少し冷静になれば、彼は女性と話した経験がとても少ない。桃色の幸せ生活よりも、嫌われないかどうか気を使う生活をまず想像してしまった。
「なあに、セオ君? そこはもっと嬉しそうな顔するところでしょうが」
意地悪な笑みを浮かべて、セオのほっぺをツンツンとつっつく。
急に女性に触れられたことにひどく動揺し、びっくりしてドスンと尻餅をついてしまった。尻をなでながら苦悶の表情を浮かべると、指を指して大笑いされてしまった。
やはりこの女の子との生活は、一筋縄では行かないものになる予感がする。セオはそう直感した。
ムッとして起き上がり、尻をパンパン払う。
見た目からして、歳はあまり変わらない。むしろ彼女の方が若干年下にも見えるが、それだけに手玉に取られているのがなおさら悔しい。
「あっ、ごめんなさい。そんなに怒らないで下さいよ~」
「別に、怒っていませんよ」
口をへの字に曲げたその不満げな顔は、誰がどう見ても怒っていた。
「……え~っとね。そうだ! ちょうど今仕事先から帰ってきてね、そこでお菓子もらってきたの。だから、挨拶ついでにどうかなって?」
そう言って、セオの顔の近くに持っていたバスケットを掲げた。
その中にはクッキーがたくさん入っていた。土臭さと青臭さに慣れてきた鼻に、クッキーの甘く芳醇な香りが漂ってくる。労働の疲れとその香りに急かされ、腹の虫が「ぐうぅぅうぅ~」と大きく唸りを上げた。
彼女にも聞こえるくらいの大音量で少し頬が赤くなったが、どこからか「ぐぅっ」と似たような音が聞こえてきた。あれっと思うと、彼女が急いでお腹を押さえて、恥ずかしげに上目遣いをする。「聞いちゃった? 聞いてないよね?」とその目が訴えかける。
「あの……一緒に食べましょうか」
「……うん、そうする」
「私の名前はレイカ。あらためて、よろしくね!」
「僕はセオです。こちらこそ、よろしくお願いします」
家の前のベンチに二人で腰を下ろし、クッキーをつついている。ロットンの話からして、おそらくこのベンチもゴルドーの手作りなのだろう。太い木材を組み合わせただけのような簡素なものだが、その分木のぬくもりが直接伝わって心地いい。
レイカのくれたクッキーを口へと運ぶ。サクサクとした歯ごたえが軽快で、空きっ腹にクッキーが流れ込む。
「美味しい……!」
こんなに甘くて美味しいものは久しぶりで、ついつい何度も手が伸びてしまう。
さすがにちょっと食べ過ぎかなと隣に座るレイカを見ると、彼女はそれ以上のペースでひょいひょいと口に放り込んでいくから呆気にとられる。そんなセオの視線に気づいたレイカは、ニッと笑うとクッキーを五つくらい一気に口に詰め、リスやハムスターのようにほっぺを膨らませてモグモグしている。豪快さと可愛らしさを両立した面白い表情だった。
レイカが淹れてきてくれたお茶を飲む。暑さとクッキーで乾いた口に潤いが満たされていく。
「セオ君も、この国の人っぽくないよね。あなたもどこか別の国から来たの?」
「えっと……僕はまあ、家出みたいな感じですかね」
この国に来てから、たくさんの優しい人に出会ってきた。そのぬくもりのおかげで、自分の中に蠢く暗いモノも抑え込めるようになってきた。
それでも、ふいに過去の話を振られるとどうしても動揺してしまう。その動揺をこの子の前で見せたくはなく、なんとかポーカーフェイスに努めた。
「へぇ~。顔に似合わず、大胆なことするのね、君」
「どうせ僕はぼんやり顔ですよ」
「いやいや、優しげでなかなかハンサムよ。うん、私が太鼓判を押してあげる!」
「あ……っと。ありがとうございます」
女の子にハンサムと言われて、嬉しくない男などまずいないだろう。
そうか、僕も男なんだなとセオはいまさらながら実感した。
「じゃあ、レイカさんはどうしてこの国に? あなたも――ということは、他の国から来たんですよね?」
逆にセオの方から質問をすると、レイカは難しい顔をして唸り始めた。
「それがちょっとわからなくてね。どうやら私、記憶喪失みたいなのよ」
「えっ?」
予想外の答えにセオはつまんだクッキーを落としそうになる。
記憶喪失という言葉は本で何度も目にしてきたが、いざその本人を前にすると、急にどうしていいのかわからなくなってしまう。話を広げようと前に踏み出した途端、壁に衝突してしまったようだ。
「ちょっと前に旅をしていてね、宙船の調子が悪くなって、この国に不時着したの。その時の当たり所が悪かったのか、昔のことはすっかり忘れちゃったのよねぇ……」
「えっ、あの……不安じゃないんですか? 記憶をなくして」
記憶喪失ということにも驚いたが、記憶喪失という重大な障害をあっさりとした口調で話すレイカにセオは更に驚いた。
「まあ、旅をしていたくらいだからね。たぶん、昔嫌なことがあって旅に出ちゃったんじゃないかな。そんな過去なら忘れてもいいでしょ」
「う~ん。それはちょっと早計じゃないですかね」
「私もそう思うけど、思い出せないことを考えても仕方ないでしょ!」
レイカはアハハと軽く笑い飛ばした。その笑い声を聞いただけで、セオは何だか、それ以上踏み込む気にもならなくなった。気を遣ってではない。レイカと同じように、大した問題じゃないように感じ始めたからだ。
なるほど、そういう過去との決着方法もあるんだなと、セオは心に留めておいた。
「あっ、もう全部なくなっちゃった」
いつの間にかクッキーがなくなっていた。かなりの枚数あったはずだが、話に花を咲かせているうちに食べきってしまったようだ。
時計を見せてもらうと、いつの間にか三十分は経っていた。休憩時間としては十分だろう。汗はひいたし、体の痛みもすっかり回復した。夕飯前に、もうひと頑張りできそうだ。
「ごちそうさまです、レイカさん。僕はもうちょっと働いてきます」
「お粗末様です。今日は暑いけど、頑張ってね」
「ファイト!」と小さくガッツポーズをし、黒髪をさらりと翻してレイカは家の中に入って行った。
その姿に見とれている自分にハッと気づいた。出で立ちは貴族のお嬢様のようでありながら、性格はわんぱく。そのギャップに少し惑わされていたのかもしれない。
「ロットンに、ゴルドーさんとマリーさん。そしてレイカさん。みんなと仲良くなれたらいいな――」
そう小さくつぶやき、セオは畑仕事に戻って行った。




