六話【新生活】
「まあ、上がってくれよ、セオ君。ちょうど今ガキ共が学校に行ってるから、静かでいい。おい、ロットン! 案内してやれ!」
やっと起き上がったロットンが「ちぇっ、クソオヤジめ」と悪態をつきながらやってきた。ゴルドーもその言葉を聞き逃さなかったようだが、マリーになだめられ、大きく息をついて腕を下ろした。
荷物をアルベルト夫妻に任せ、ロットンに家の中を案内してもらった。
孤児院というだけあって、部屋数は多い。一つ一つの部屋は大きく、机や二段ベッド三段ベッドが並べられている。部屋の様子から、年齢や性別で分けられているようだ。
リビングらしき部屋はとても広く、おもちゃがいたるところに散乱している。ボールにぬいぐるみ、ブリキの人形に可愛らしい着せ替え人形、積み木で作られたお城など、子供と言っても年齢層は幅広そうである。
キッチンに向かうと、マリーが夕食の下ごしらえをしていた。少し不器用ながらゴルドーも野菜を洗ったり洗い物をしたり、せっせと働いている。この家の住人全員の胃袋を満たそうと思ったら、日の高い内から準備をしておかないと遅くなるのだろう。子供は早く寝ないといけないからなおさらだ。
こちらに気づいたゴルドーが照れくさそうな仕草をし、「おいこら、セオの部屋も早く教えてやれ」と、しっしっと手を振りながら追い払おうとしている。
ギシギシと軋む階段を上がる。ロットンの話によると、アルベルト一家の部屋は二階に集中しているらしい。
「待たせたな。ここがお前の、新しい城だ」
ロットンが執事のように恭しく扉を開ける。そのわざとらしい仕草に苦笑しつつ部屋に踏み入った。
足を踏み入れた瞬間、床を薄く覆っていたほこりがふわりと浮かんだ。部屋が少しだけ白く染まっていき、よどんだ匂いが漂ってくる。
良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景な部屋だった。物がとにかく少なく、最小限にしか置いていない。
窓際には少し大きめの机。壁際にはベッドとタンスが置かれており、その反対側には大きな本棚が置かれている。中には本がぎっしりと詰め込まれており、絵本に小説、図鑑に外国の書籍など、ジャンルを問わずに集められている。
「ここには誰か住んでいたの?」
セオは人の痕跡が感じられるその部屋を見て尋ねてみた。
「ああ、俺の弟の部屋だよ。俺には弟と妹がいてさ、二人とも最近家を出て都会の方に住んでるよ。だからまあ、好きに使ってくれていいさ」
「本がたくさん置いてあるけど、読書好きだったの?」
「そうだな。俺は本の良さがよくわからないから、どんな本があるかも知らないが。内容は頭に入ってるらしいから、それ以外の私物を持って引っ越したんだよ」
なるほど、だからこんなに殺風景なわけだ。引っ越し先で必要なものを買う手もあるだろうが、ここまでの話からして、できるだけ出費を控えてのことだろう。
傍にあるタンスにそっと手を触れてみる。何か違和感を感じて見てみると、引き出しにところどころ隙間が見え、出し入れしてみると所々つっかえたりと少し使いづらい。よく見ると、他の家具もいくつかいびつな点が見られた。
「ああ、気づいたか? ここの家具、みんな親父が作ったんだよ。国から資金が出ているとはいえ、贅沢はできないからさ。作れるもんは自分で作っちまうんだよなぁ」
その情報にはさすがに驚いた。先ほどのたどたどしい料理風景からは、ゴルドーがそんな細かい作業ができるようには思えなかった。
ひょっとしたら、大きいものを作るのは得意なのかもしれない。コックと大工の違いだ。
セオは悩んだ。
彼も本が好きではあるが、それでも本と机とタンスとベッドだけの部屋というのも寂しい。とはいえ、いきなりやってきた自分が自分の部屋を充実させられるほど贅沢できる状況でもないらしい。
腕を組み、さてどうするべきかと考えた。まずはロットンが先ほど言っていたように、自分も仕事をし、この家族の一員として胸を張れるようにならなければいけないだろう。ゆくゆくはお小遣いくらいもらえるようにはなるかもしれない。
「よしっ!」
グッと拳を握りしめて、気合を入れた。
なんにせよ、ただの穀潰しだなんて耐えられない。ここは心機一転、新生活のために頑張ろうではないか。
「おっ、なにやらやる気だな? そんなセオ君にさっそく仕事を進ぜよう!」
「ははー!」
いつの間にかロットンのテンションにつられていることに気が付いて、顔が赤くなった。そしてなんだか悔しくなった。
任されたのは、畑の草むしりだった。
いきなり家の中のことを任せても不安だし、リハビリにもなるし、シンプルでわかりやすい。一石三鳥くらいだと、ロットンが任せてくれた。
当のロットンは、彼を呼びに来たゴルドーに耳を引っ張られて連れて行かれた。「離せ親父! 俺は今からバイト先の友人と今後の政治について語らいに――」と、苦しい言い訳を響かせて消えて行った。その姿に合掌する。
とりあえず着替えなければならない。今来ている服は洗ってはあるものの、遭難していた時のままであるのでボロボロである。当然着替えなど持っていなかったので、それしか着るものがなかったのだが。
タンスにロットンの弟の服が残っていたので、それを使わせてもらうことにした。運のいいことに体格が似ていたようで、シャツもズボンも靴のサイズもぴったり合う。あちこちにつぎはぎが縫ってあり、大事に使い古された服はもはや歴史を感じさせる。家を出る際マリーが貸してくれた大きな麦わら帽をかぶり、タオルを肩にかける。
今、この瞬間から、僕はシュヴァルベのセオだ! その気持ちを胸に勇ましく家を出て、新たな生活の一歩をしっかりと踏み出した。
しかし甘かった。
もともとあまり体力がない上に、今日の朝まで入院していたのだ。体がなまっているのは当然である。
風は常に吹いているが、思いのほか日差しは強い。麦わら帽が日差しをかなり防いでくれるが、直射日光が当たる部分からは汗がじわじわとにじみ出てくる。彼の短く癖の強い髪の先から、汗のしずくがポタポタ落ちていく。
脚がピリピリと痛み、ふうふうと呼吸が荒くなっていた。腕を上げていることすらだるい。顔や腕から落ちた汗の滴が乾いた地面に染みを作り、すぐにジュワッと染み込んでいく。
立ち上がり、一度大きく体を伸ばした。縮こまっていた体が伸び、滞っていた血液が指先までドクドクと行き渡っていく感覚が心地いい。乾いたスポンジに水が染み込んでいくようだ。
畑を見渡せば、自分には刺激の強い日光を草花が気持ちよさ気に浴びている。その広大な光景は美しいが、今はそれが逆に恨めしい。仕事を終えた部分が相対的にちっぽけに映ってしまい、つい、ため息が出る。
しかし今自分にできる仕事はこれしかない。「よっし!」と気合を入れ、腕をぶんぶんと回し、再び仕事に没頭することにした。
ぶち……
ぶち……
草をむしる。草をむしる。
ぶち……
ぶち……
「……ん?」
気が付けば草をむしる機械になっていた。頭が空っぽになった代わりに体中に歯車が埋め込まれ、カタカタとからくり人形のように草をむしり取っていた。
彼を人間に呼び戻したのは、人の気配だった。土を踏む音が聞こえ、歩み寄る影が彼の視線の先に延びてくる。
静かな足音からして、マリーさんあたりがおやつに呼んでくれたのかもしれない。手を止め、影の主の方へ視線を向ける。
太陽を背にしたその女性は、しっとりとした黒髪を揺らす端正な顔立ちの少女だった。




