二話【出会い】
「なんだ、随分とノリが悪いな。それとも、おはようの挨拶にしてはちょいっと刺激的だったかな?」
突然現れた猿のような不審者は、口を尖らせて勝手な不満を述べた。ベッドの中の青年から言わせれば、むしろ一般的に言えば、不審者と急に親しく会話ができる人間などいないだろう。
佇むカエルを正面から見たようなポーズの男は、開放感のある服装から日に焼けた瑞々しい肌を存分に露出していた。長くしなやかなその手足は、そのまま大きくなった少年のようでもあった。大人の男の色気などは微塵もなく、夏に虫取りと川遊びにはしゃぐ姿をイメージさせた。
「ん? ああ、ゴメンな。まだゲッソリしてるのな、やっぱ」
うむうむ、それは申し訳なかった。挨拶だけとはいえ、ちょっと早すぎたなァと猿男は一人で納得している。不機嫌をいっぱいにした顔は、一瞬で謝罪感いっぱいの顔になった。ころころ変わるその表情は、子供のそれそのものである。
青年はぼやけた頭をカリカリと掻いた。
初対面のこの数分で、彼はこの猿男がとっつきにくい相手だと頭に刻み込んだ。とはいえ、こんな場所では逃げ場も何もない。つまり、会話をしなければならない。
「えっと、あなたは……」
「ロットンな、俺の名前は。顔が猿っぽいとか一瞬でも考えたら鼻ァつまむぞ?」
そう言いつつキーキィーと猿の鳴きまねをするのだから、間違えてほしいのか否か判断が難しい。実際にその猿加減は顔や鳴きまねにはとどまらないのだが、もちろん口にはしない。これ以上無駄に傷は増やしたくない。
「それにしても今日は暑いな。これ以上脱げねぇぞ」「ここの看護師は美人が少ねぇよな」「リンゴでも買ってこようと思ったが、やっぱ節約した。悪いな!」と一人で楽しそうに言葉をぶつけてくる。数日ぶりの目覚めに、この珍客の相手は軽い拷問のようでもあった。
ついに頭と体がギブアップしたのか、青年は大あくびをしたと同時に、まぶたが何倍にも重くなっていった。もう今日はこの辺でいいだろう、早く寝て英気を養おうぜと主張している。
「お、寝るか? そうかそうか、それじゃ邪魔しちゃ悪いから俺はもう帰るよ」
言うが早いか、ロットンは器用に窓枠の上でターンし、背中を向けて飛び降りようとした。
良かった、これで一休みできる。
お見舞いが来ないのは寂しいなと思った後ではあったが、まさかこんな珍客が来るとは思わなかった。
「こうして俺たちが出会えたのは、風の思し召しだな!」
ビシッと指をさして決め台詞を決めたかと思うと、ロットンはやはり猿そのものの跳躍を見せて軽やかに去って行った。あの跳躍なら、花壇の花たちは一輪も踏まれていないことだろう。人に厳しく、花にやさしい男だ。
その姿を見送った後、頭を枕に沈め、布団をかぶり直した。ほどなくして意識にもやがかかっていき、暖かい暗闇に落ちていく。
白と茶色の病室、緑のじゅうたん、カラフルな花とパワフルな少女、童顔の医者、煩い猿男。詰め込まれた情報が整理整頓されながら脳みそのどこかに収納されていく。その中の一部は、収納されたと見せかけてゴミ箱に捨てられていく。そうして頭が、一定の容量を確保している感覚だった。
ただ、完全に眠りに落ちる前に、一つだけつっこんでおきたい部分があった。
「それを言うなら、神の思し召しじゃないのか?」
入院生活は至って問題のないものだった。
初めのうちは食べて寝て、時々読書を挟む程度だった。痛むが和らいでからは、病院内や庭を散歩することにした。早く回復する必要はなかったが、お金も身寄りもない自分が病院に長く居座ることは好ましくないだろう。そう思ってのことだった。
ある日のこと、花壇の女の子と母親に出会った。庭を歩くのに疲れて、ふらりと休憩室に立ち寄ったときのことだった。
女の子の方は母親の膝を枕にして、すやすやと寝息を立てていた。ふわふわで栗色の長い髪が、母親のスラリとした脚を包み込んでいた。
こちらに気が付いた母親が顔を上げた。女の子と対照的な墨色のショートヘアがサラリと垂れた。彼の顔を思い出したのか、優しく微笑みかけた。
「あら、初めまして。私はエルナといいます。先日は娘のエミがお邪魔をして申し訳ありませんでした」
ペコリと頭を下げられて、彼は動揺した。普通なら「いえ、そんな」と軽く受け流せばいいものを、彼はそうできなかった。
しばらく人との触れ合いが無かったからではない。控えめに言っても、彼は大真面目だった。真面目過ぎて、言葉をそのままの意味で捉える傾向が強かった。加えて不幸なことに、彼は女性との触れ合いの経験が酷く不足していたのだ。
「ああ、いいえいいえ! お邪魔だなんてとても……!」
「ふふっ。必死に謝るようなことじゃないですよ」
彼の顔が少し赤くなった。自分の不器用な性格を呪いたくなってくる。
「えっと……ああ! そういえば、この国ってどんなところなんでしょうか? 僕はまだ、この国に来たばかりなので……」
恥ずかしさを紛らわすために咄嗟に質問をした。
口にしてから気が付いたが、彼はまだこの国のことを何も知らなかった。退院する前に情報を仕入れておくことは、決して無駄にはならないだろう。
エルナに促され、彼は隣に腰を下ろし、話を聞くことにした。




