二十六話【戦い終わって】
懐かしいベッドの上だった。初めてシュヴァルベにやってきた際も、この病院のベッドに寝ていた。静かで、穏やかな空気が充満した空間だ。
壁掛けの日めくりカレンダーを見ると、あの試合の日から三日が経過していることに気がついた。アメンボから引っ張り出された後、一度も目を覚ました記憶がない。つまり、丸三日眠っていたわけか。
「おう、兄ちゃん。やっとお目覚めかい」
突然の横からの声で、びっくりして飛び上がった。その瞬間、体中を鋭い痛みが走った。悲鳴を上げそうになるのを堪えながら、痛みを押し込むように体を抱いた。
何とか痛みを抑えて周りを見ると、以前の個室とは違って今回は他にもベッドが並んでいた。とはいえ、他の患者は隣にいる、頭をきれいに丸め肌をテカテカ輝かせるおじさんだけだった。シャクシャクと食べていたリンゴを差し出してくれたので、ありがたく一ついただくことにした。軽やかな食感と甘みが頭をスッキリさせてくれる。
「君がセオ君なんだろ? この前の試合、楽しませていただいたよ」
「ああ、そうでしたか。僕はもう、ただ必死だっただけで……」
「いや、大したもんさ。最後のアレは、ひょっとして事故だったのかい?」
やはり、セオの最後の一発は傍から見れば事故だったのか。それも仕方ない。地面を転がって、その後しばらくアメンボから脱出できなかったのだから。
「……実はアレ、僕の作戦だったと言ったら、信じますか?」
「――作戦だったとしても、事故だったとしても、あんな危ないことはやるもんじゃないよな」うんうんとうなずきながら、もっともな意見を言われてしまった。
病室のドアが開いた。そちらへ振り向くと、ロットンが立っていた。籠にはいくつか果物が入っており、そのうちの一つだったであろう梨にガリガリとかぶりついている。
「おっ! なんだ、やっと目覚めたのか」
そう言うと、ロットンはしげしげとセオを見下ろした。
「どうしたの、ロットン?」
「ああ、いや。お前と初めて会った時も、こんな感じだったなぁ……ってさ」
「……なんだか、申し訳ないです」
丸椅子を引っ張り出して腰を下ろしたロットンは、あのゴールの後のことを教えてくれた。
お互い一人ずつ選手を失った両チームだが、やはり経験の差が響いてロットン達はかなり深くまで攻め込まれた。もしもヤンが二点連取されたことで冷静さを欠いていなかったら、引き分けに持ち込まれたかもしれなかったらしい。
「しかしまぁ、俺たちはセオの覚悟を知っていたからな。お前の努力を無駄にしないためにも、そりゃ必死で頑張ったさ」
その言葉を聞いて、セオの胸が温かく響いた。結果として得点するだけでなく、その後の守備のモチベーションも支えていた。自分が人の役に立てたという喜びを、セオは噛みしめることができた。
「怪我も大したことないらしいし、明日には退院できるはずだ。また迎えに来てやるよ」
「うん。今度はもっと余裕を持って来てね。前は、随分乱暴だったからさ」
「……うるせぇっ。じゃあ、また明日な! おっちゃんも、早いところ退院しろよ。娘さんが寂しがってるぜ」
「ふふ。まあたまには、父親のありがたみを味わわせてやらんとな」
アッハッハと笑って、ロットンは病室を後にした。やはり、見舞いに来てもらえるというのは、とても幸せなことだ。
無事に医者からも退院の許可をもらい、翌日の昼近くまでぐっすり眠っていた。隣のおじさんに「三日も眠っていたのに、よくそんなに眠れるものだな」と呆れられたが、あれは眠りというより気絶という感じで、体が休まった気分がしなかった。自分の意志で眠るというのは心地いい。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「おう! もう二度と、こんな辛気臭いところに来るんじゃねぇぞ」
「それは、病院の人たちに失礼ですよ」
荷物をまとめたセオは、おじさんに会釈して病室を去った。と同時に、廊下で思いがけない人物と出会った。
「あ、兄貴! こっちですこっち! 迎えに来ましたよ!」
依然と見た目が変わっていたので、一瞬気づくのが遅れてしまった。紅くツンツンした髪の毛は、くしゃくしゃとおしゃれにまとめられた黄金色の髪に変わっていた。おそらく、これが地毛の色だろう。変化は髪だけでなく、ジャラジャラとぶら下げていた金属はかなり数が減り、服装も柄は派手だがトゲトゲしさは和らいでいた。
「いつの間に、僕は君の兄貴になったんだい?」
そう、セオはヤンに尋ねた。
ビートルに乗って孤児院に向かう。あの時と同じように、後部座席には食料が満載されていた。ガチャガチャ音がするのは、今回はお酒やジュースの瓶がたくさん積まれているからのようだ。
セオは運転席に座る、一番の違いである存在のヤンに話を聞いた。
「いろいろ聞きたいことはあるんだけどさ、なんで僕は『兄貴』なの?」ついこの間まで嫌悪感を滲ませる関係だったのに、いつのまにやら妙に親密になりつつある。
「――まぁ簡単に言えば、この前の試合ですっかり魅せられちまったんすよ。特に最後のゴール、あんなバカげたシュートは初めて見ました! あ、いや。バカげたって、褒め言葉っすから」
失言したかとあたふたするヤン。演技というわけでもないし、どうやら本音で話してくれているようだ。
「俺ってさ、いつも退屈してたんすよ。嫌味じゃないけど、俺の周りの奴は何でも言うこと聞いてさ。楽だけど、楽しくはなかった……。
そんな時に、あの試合すよ! 心震えたっす! 俺、この人にならついて行ってもいいと、本気で思ったんすよ!」
横から見てもわかるほど、ヤンの目はキラキラと輝いていた。そこまで率直に褒められたら、誰も悪い気はしない。セオも、照れくささで頬が緩んでいた。
「と、ところでさ。この大量の食べ物はなんなの? 宴会でも開きそうな感じだけどさ」
「兄貴ィ、ドンピシャっす! 今日は兄貴たちとの宴会なんすよ!」
「……ホントに? なんで?」
「あの試合の後、優勝したキルシュバオム地区の至る所で勝利のお祝いをしてたんすよ。優勝地区は一目置かれるだけでなく、経済的にも潤うんすよねぇ。
でもほら、兄貴は病院で寝てたわけじゃないすか。だから今日は、兄貴がお世話になってる孤児院で仲間内だけの宴会をまたやるんすよ」
言って、ヤンの頬が赤く染まって、顔がだらしなく緩んでいく。おそらく、レイカと会うのもまた目的の一つなのだろう。まぁ、それくらいならいいとして――
「ロットンとは、仲良くなれそうかい?」
「いや、無理っす。いくら兄貴に頼まれても、アイツはちょっと無理があるっす」
ごめんな、ロットン。君たちの問題は、君たちで解決するほかないようだ。そうセオは心の中でつぶやいた。
「なんだか、僕の部屋のプライバシーがどんどん侵されていく感じがする」
「いいじゃん。この部屋が一番片付いてるんだからよ」
「ロットンはもうちょっとお部屋片づけなさいよ。いつもガラクタばかり溜めこんでるんだから」
「あ、皆さん。グラス空いてますよ。僕が注ぎますね」
「へぇ~、ここが兄貴の部屋っすか。なんか寂しいから、熊の剥製でもプレゼントしましょうか?」
セオ・ロットン・レイカ・ポレロ・ヤンの五人が集まったのは、セオの部屋だった。つい先ほどまで食堂で宴会に参加していたのだが、セオの希望で五人だけで部屋に戻ってきていた。
今宵の宴会には近所の農家の人や、なぜかバードンやニッカまでやってきていた。どうやら二人とも、昔はゴルドーと仕事仲間にあったらしい。
普段の倍近い人数を収容した食堂は熱気に包まれ、正直セオにはかなり息苦しい空間になっていた。それに加えて「あのゴール、すごかったね。怖くなかったかい?」「君たちのおかげで、我らがキルシュバオムが優勝したのだ!」と同じ言葉を何度もかけられたことが拍車をかけていた。その場はアルベルト夫妻に任せ。セオ達は料理とお酒を適当に持ってセオの部屋で一息ついたのだ。
「……って、そういえばなんでヤンがいるんだよ! お前はツェーダー地区の人間だろーが!」
「うるせぇな! 試合後の宴会はノーサイド、敵味方なしっていうのが常だろ。兄貴の宴会に参加するのは自由だ!」
「まあまあ、二人とも……」
そんな三人の様子を見て、セオは目を細めた。
全く知らない国に拾われて、心細い時もあった。しかし今は目の前に友達がいる。自分の失敗を受け入れ、バカな考えを全力で支えてくれる友達が。
「ん、セオ。なにニヤニヤしてんだよ」
「あ、わかった! この肉食べたかったんすね? 言ってくれればよそってあげたのにィ」
苦笑しながら、ヤンが取ってくれた肉を口に放り込んだ。ちょっと冷めてはいるが、噛み締めると溶けた脂が舌に絡みつく。それをビールで流し込むと、得も言われぬ幸福感が湧きあがった。
どうか、この幸せが消えてしまわないように。長く続いてくれますように。
セオはそう祈りながら、仲間たちと温かい夜を過ごした。




