十七話【暗雲】
昼に一悶着ありはしたが、その後はみんなで空の戦いを楽しんでいた。
地上でもボールを蹴って遊ぶことは子供でもするが、それが宙船での空中戦となればたちまち大人のスポーツだ。
アメンボたちは風を切り、ボールを叩き、空中を縦横無尽に飛び回る。可愛い外見とは裏腹に、殺気にも似た熱情を発散しながら虎視眈々と相手バルーンを狙う。
観客たちは大きな海になる。アメンボの動きに合わせて右へ左へ。首や体を動かして、それは大きな波となる。ゴールが入ればその応援席は高波となり、入れられた側には大きな渦潮が現れて観客の熱気をその中にぐるぐる引きずり込む。
ちゃぷちゃぷ。
ザザー!
ザバァーンッ!
サァーッ……。
何度目の空砲が鳴った後だろうか。人の海は夕日に赤く照らされていた。
その日最後の試合は、互いのチームが一点ずつ獲得したまま後半戦を迎え、そのままお互いシュートを決めることができずに引き分けとなった。選手たちの集中力の限界を考え、同点の場合は延長せずにそのまま引き分けとなるのだ。
最後の試合の選手たちが下りてくる。キャノピーを開け、汗を拭きながら夕日に負けない熱い笑顔をニッと浮かべる。その場にいた誰もが、彼らの健闘を称えて拍手を送る。パチパチ、パチパチと、水面でたくさんの泡が弾けるようにその乾いた音は鳴り響いた。
「選手の方々、彼らを応援してくださった、ありがとうございましたァ~!」
拍手の音に負けない音量で、ニッカがスピーカーから自分の声を響かせた。
「これにて、本日の試合は全て終了いたしました! 名残惜しいですがぁ、今日はこの辺でお別れ。皆さん、明日の試合も楽しみにしつつ、今日はお気をつけておかえりくださぁいっ!」
彼が言い終わると、代わりに物悲しい音楽がスピーカーから流れ始める。子供のころ、遊び疲れて家路につく記憶を思い起こさせる、ノスタルジックな曲だ。
観客たちは冷めやらぬ熱気を荷物と共に鞄にしまい込み、夢心地の世界から現実へと舞い戻る。首をコキコキと鳴らしながら、棒になった脚を不器用に前後させてそれぞれのビートルへと歩を進める。屋台を広げていた店員たちは、酒やジュースを飲みながらだるそうに片づけをしている。
「よし、俺たちも帰るぞ!」ゴルドーの熊の、いや鶴の一声で、セオ達もまた帰路に着いた。
夕食は帰りに屋台で安く買い叩いたものと、簡単なスープやサラダだった。さすがに半日も熱狂していれば、料理を作る気力など湧かないだろう。子供たちも、こんな時にしか食べられないジャンクフードを楽しんでいるのでよしとしている。
片づけもお風呂も済ませて、セオの部屋のベッドで本を読んでいた。視線はページに落ちつつ、しかし焦点はどこか遠くへ向かっていた。
「いいかげん、自分の部屋に戻ってくれないかな……」
ベッドの上でたそがれているロットンに、セオは声をかけた。
「今から宙船の指南本なんて読んでも、明日に影響しないよ。というよりそもそも、読めていないじゃないか」
ロットンは本を読むのが苦手だ。それだけでなく、昼間の出来事が尾を引いているのだろう。その目は、本を読むにはいささか険しすぎる。
「お前は冷静だな。こっちはムカついて仕方ないっていうのに」そう言ってバタ足で布団をぼふぼふと蹴飛ばす。
「僕だって、ああいうタイプは嫌いだよ。ムカついてる」
「だよなァ。あいつにだけは負けらんねぇよ」
「それより、気が付いた?」
「ん? 何に?」
「あいつ、レイカのこと好きみたいだよ」
「えっ、マジかよ!?」
「あんな熱い視線飛ばしてれば、すぐわかるよ。あれは絶対――」
「惚れてる?」
「惚れてる」
確認するや否や、ロットンは本を放り投げてベッドの上にすっくと立ち上がった。先ほどまでの陰鬱とした表情が消え去り、いたずらを思いついた子供のようににやけた笑顔を見せる。
「そうかそうか、そいつはイイ! そんなら、明日はアイツらをコテンパンにして、二度とレイカに顔向けできないようにしてやらぁ!」そう言ってグッと拳を握る。
「そうと決まったら、体調を万全にしておかねぇとな。じゃあな、おやすみセオ。お前も明日は寝坊するんじゃねぇぞ!」
そう言ってロットンはベッドから飛び降り、扉を乱暴に開けて自分の部屋に戻って行ってしまった。途端に部屋が空っぽになったかのように静けさが戻る。
「……まぁ、その意見には賛成だよ」
散らかった本を片づけながら、セオは彼に激励を送った。絶対にアイツをブッ飛ばしてくれよ、と。
暗雲が立ち込めたのは翌朝だった。
天気は一日目と同様に快晴。つまりは、天気が悪いという意味ではない。状況が悪くなったのだ。
廊下におかれた電話が、朝からけたたましく鳴り始めた。その電話に出たのはロットンだが、話を進めているうちに彼の顔からは血の気が引き、口をパクパクと頼りなさそうに動かしている。「ああ……うん、うん……そうだな。仕方ないよな……」と同じような相槌を淡々と打っている。
「じゃあ、お大事に」と言い、ロットンは受話器を置いた。意気消沈したその姿に、セオの方が「お大事に」と声をかけたくなった。
「ねえ、ロットン。いったい何の電話だったのよ」食事の支度をしていたレイカが心配そうに声をかける。
「……ラが」
「え?」
「ノーラが、体調を崩した。今日は無理だってさ……」
初めて聞く名前だが、レイカ達の呆然とした表情から、何が起きたのかは推測できた。
ノーラは、ロットン達のチームの一員で、しかし今日の試合には出られなくなったのだと。
どうするんだよロットン。戦う前にコテンパンにされてるじゃないか。




