第68話 「神様のお願い」
巨大地下都市の中心部。調査開始から数日。リリアたちは石碑の発見以降も探索を続けていた。しかし今日は少し違った。ルナが静かだった。
「静かですね」
ルシェが言う。
「静かだな」
セリナも頷く。普段のルナならもっと適当なことを言う。お菓子も食べる。空も飛ぶ。人をからかう。だが今日は違った。ずっと前を見ている。
「どうしたの?」
リリアが聞く。
ルナは少し考えた。
「んー」
珍しく言葉を選んでいる。
「近いから」
「何が?」
ミレーユ。
ルナは前方を指差した。
「目的地」
静かになる。目的地。その言葉に全員反応した。
「最初から目的があったの?」
フィアナが聞く。
「うん」
即答だった。全員固まる。
「先に言いなさいよ!」
ミレーユが叫んだ。
「聞かれなかったし」
神様だった。いつものことである。
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この日は、被害者の会の担当区域が特に広く、隊長と、隊長付きの隊員二名、そして職員が同行していた。他の冒険者パーティーや学者たちは、それぞれ別の区画を任されており、この一帯には近付いていない。
「今日は珍しく人が少ないな」
隊長がぽつりと呟いた。
「進行方向、他のパーティーとは被らないよう調整されてます」
職員が地図を確認しながら答える。
「ルナ様の希望らしいので」
その一言に、ミレーユが眉をひそめた。
「え、それも知ってたの?」
「うん」
ルナは悪びれもせず頷いた。誰にも咎められる前に、既に段取りを整えていたらしい。
隊員の一人が、周囲を警戒しながら小声で相方に言う。
「聞いてた話より、規模が段違いだな」
「今日一日で何回驚いたか、数えるのやめました」
もう一人の隊員も苦笑していた。二人とも、この調査に同行してから、常識が何度も塗り替えられているらしい。
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しばらく進む。遺跡の様子が少しずつ変わっていく。建物は減り、通路は広くなる。そして、巨大な扉が見えた。今まで見たどの建造物より大きかった。高さ十メートル以上。白い金属のような材質。傷だらけなのに壊れていない。
「何これ」
ユナが呟く。
「扉」
ルナ。
「見れば分かる」
全員頷いた。それは分かった。問題は、何の扉なのかだった。
隊長も、目の前の建造物を見上げて息を呑んでいた。
「これほどの規模の建造物、これまでの調査記録にはない」
「報告が必要ですね」
職員も緊張した面持ちで、手元の記録用紙にペンを走らせ始めた。隊員二人も、扉の大きさを目測しながら、何やらメモを取っている。
扉の中央には見慣れた紋章が刻まれていた。リリアが固まる。
「あれ?」
近付く。そして目を丸くした。
「神器と同じ」
その瞬間、リリアの手が、吸い寄せられるように紋章へ伸びた。
「触らないで!」
ミレーユ、セリナ、ティア、そして隊員二人までもが、ほぼ同時に叫んだ。数本の手が、リリアの腕や肩を掴んで引き止める。
「またか!」
「学習しろ!」
「経験上、絶対に良いことがない!」
口々に叫ばれながら、リリアは紋章の手前で完全に押しとどめられていた。
「触ってない、まだ触ってない」
「触ろうとしたでしょう!」
ミレーユが叫ぶ。隊員の一人が、額の汗を拭いながら息を吐いた。
「噂には聞いていましたが、本当なんですね……」
「事前に聞いておいて助かった」
もう一人の隊員も、心底安堵した顔をしていた。
空気が変わった。全員も気付く。確かに同じだった。神のイタズラが発動する時、リリアの前に現れる紋章。それとよく似ている。
「本当ですわ」
エレノア。
「同系統だな」
ティアも頷く。石材の継ぎ目や意匠を、職人らしい目で観察していた。
「加工技術が、今の帝国の水準を明らかに超えている」
カレンは既に興奮していた。
「関連施設!」
危険だった。非常に危険だった。
「落ち着け」
セリナ。
「無理です!」
いつも通りだった。
隊長が、少し困った顔で二人を見ていた。
「これは、正式な報告が上がってから、上層部の判断を仰ぐべき案件かもしれん」
「ですが、隊長」
職員が声をかける。
「今この場を離れれば、扉が再び閉じてしまうかもしれません。それに」
ちらりとルナを見る。
「神が同行されている以上、この判断は我々だけのものではないかと」
隊長はしばらく黙り込んだ後、小さく頷いた。
「……分かった。ここは、彼女たちに任せよう」
隊員の一人が、もう一人に小声で囁いた。
「俺たち、今日のことを報告書にどう書けばいいんだ」
「正直に書いたら、上に信じてもらえない気がする」
二人とも、遠い目をしていた。
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ルナは扉の前に立つ。そして、珍しく真面目な顔になった。全員が黙る。神様が真面目。それだけで緊張する。
数秒。やがてルナが振り返った。
「お願いがある」
静かな声だった。リリアたちも姿勢を正す。遊んでいる時のルナではなかった。神様としてのルナだった。
「お願い?」
リリアが聞く。
ルナは頷く。
「うん」
少しだけ笑う。でもどこか寂しそうだった。
「この場所を調べてほしい」
全員顔を見合わせる。
「それだけ?」
ルシェ。
「それだけじゃない」
ルナは扉へ手を置く。
「ここには昔の記録が残ってる」
「古代文明の?」
フィアナ。
「もっと前」
静寂。全員固まった。古代文明より前。そんなものがあるのか。
「神代」
ルナが言う。風が止まる。誰も話さない。神代。神話の時代。誰も実在したとは思っていない時代。
「本当にあったの?」
ユナ。
「あったよ」
ルナは当然みたいに答えた。
「私その時いたし」
全員。
「あ」
忘れていた。神様だった。当事者だった。
「そうでしたわ」
エレノア。
「そうだったな」
セリナ。
「そうでした」
ルシェ。
少しだけ緊張が消えた。ルナが苦笑する。
「ひどい」
「よく忘れるから」
フィアナ。正論だった。
ルナは小さく肩を落とした。それから再び扉を見る。
「昔ね」
静かな声。
「守れなかった」
全員がルナを見る。初めて聞く声だった。冗談もない。笑顔もない。ただ少しだけ悲しそうだった。
「だから知ってほしい」
「何を?」
リリアが聞く。
ルナは答える。
「本当のこと」
短かった。でも、それだけで十分だった。神様ですら忘れたくなかったもの。神様ですら残したかったもの。それがこの先にある。
隊長、隊員二名、職員は、少し離れた場所で静かにその様子を見守っていた。これは自分たちが立ち入るべき場面ではない、そう感じ取っているようだった。
リリアは扉を見る。怖さはある。知らないものへの不安もある。でも、
「分かった」
即答だった。
「見に行こう」
ミレーユが苦笑する。本当に迷わない。セリナも笑った。
「そういうと思った」
ルシェも頷く。
「ここまで来ましたしね」
フィアナも前を見る。
「帰ったら気になり続けそうだし」
エレノアは優雅に微笑む。
「最後まで付き合いますわ」
カレンは既に調査する気満々だった。ティアも頷く。ノアも静かに立ち上がる。
「行く」
短い一言だったが、迷いはなかった。ユナは少し緊張しながらも笑った。
十人全員、同じ方向を向いていた。
ルナはそんな仲間たちを見て、少しだけ安心したように笑う。
「ありがとう」
神様らしくない言葉だった。
隊長が小さく敬礼をした。
「ここから先は、報告義務を一時保留する。存分に確かめてくるといい」
そして、ルナへ向き直ると、少し声のトーンを落とした。
「ルナ様、皆様に危険はありませんよね?」
真剣な問いだった。神への礼儀を保ちながらも、部下のように扱ってきた少女たちを案じる気持ちが、はっきりと滲んでいた。
ルナは少し考えてから、正直に答えた。
「絶対とは言えない。でも、私も一緒に行く」
隊長はしばらく黙り込んだ。それが、今出せる精一杯の保証なのだと理解したらしい。
「……分かりました。無事の帰還を待っています」
「感謝します」
職員も深く頭を下げた。隊員二人も、緊張した面持ちで敬礼を返す。二人の見送りを受けながら、巨大な扉が、ゆっくりと動き始める。
失われた歴史。神代の記録。世界の真実。その全てが眠る場所が、ついに少女たちの前に姿を現そうとしていた。




