第65話 「穴の向こう」
救助隊談話室。あれから時が過ぎ、リリアたちは学校の最終学年を迎えていた。
あの十人達成の日から、何度も依頼をこなし救援活動にも数えきれないほど出向いてきた。
年月は確かに積み重なっている。ここ最近は平和な日々が続いていた。
昼下がりの談話室には、いつもの顔ぶれが揃っていた。カレンは机に資料を広げ、何やら熱心に書き込んでいる。ルシェは商人科の帳簿を眺めながら、時折うんうんと頷いていた。セリナは窓際で剣の手入れをし、エレノアは紅茶を淹れながら本のページをめくっている。
ノアは隅の椅子で静かに目を閉じ、ティアも珍しく仕事の合間に顔を出して、椅子に腰かけていた。ユナは宿題らしきものと格闘し、フィアナはそれを横から眺めて助言していた。
「平和ねえ」
ミレーユが伸びをしながら言う。誰も反論しなかった。それくらい穏やかな時間が続いていた。救援依頼も少なく、大きな事件もない。こういう日は久しぶりだった。
昨日までは。
「それで?」
ミレーユが言う。
「面白いものって何よ」
全員がルナを見る。ルナはお菓子を食べていた。真面目そうな雰囲気はどこかへ消えている。
「忘れた?」
フィアナが聞く。
「覚えてる」
珍しく覚えていた。全員少し驚く。
「帝国南部に大きな穴ができたんだって」
ルナが言った。沈黙。
「穴?」リリアが聞く。
「穴」
「大きい?」
「大きい」
リリアの目が輝いた。嫌な予感しかしなかった。
「行きたい」
「駄目」
ミレーユ即答。話はそこで終わるはずだった。本来なら。
その日の昼頃、帝国冒険者ギルド本部。リリアたちは呼び出されていた。原因はもちろん、嫌な予感である。
応接室には見覚えのある帝国職員がいた。これまで何度も依頼を持ってきた顔なじみだった。
「皆さんに依頼があります」
全員顔を見合わせる。
「帝国南部で巨大な穴が発見されました」
静寂。ルナが紅茶を飲んだ。
「知ってた」
リリアが言う。
「知ってた」
ミレーユも言った。誰も驚かなかった。
職員は説明を続ける。村人が山中で発見。直径数百メートル。深さ不明。底が見えない。調査隊を送ったが十分な情報が得られない。
「そのため、高レベルの冒険者パーティーに複数、協力を要請しております。皆さまには『被害者の会』としての参加を、正式にお願いしたく」
「そんなパーティー名じゃない!」
ミレーユが即座に叫んだ。全員が頷く。満場一致だった。
「え、違うのですか」
職員が資料を見ながら困惑する。
「登録名、確かにそうなっておりましたが」
「誰が登録したんですか!?」
カレンが詰め寄る。職員は慌てて書類をめくった。
「以前、皆さまの活動報告書にその呼称が繰り返し記載されていましたので、正式なパーティー名として登録の運びに」
「内輪のノリです!」
フィアナが叫んだ。だが、書類上は既に確定してしまっているらしい。訂正には手続きが必要だと、職員は申し訳なさそうに続けた。
「危険度は?」
セリナが尋ねる。
「不明です」
嫌な言葉だった。不明。つまり何も分かっていない。
「魔物は?」
「不明です」
さらに嫌だった。
「何が分かってますの?」
エレノアが聞く。
「穴があることです」
沈黙。全員同じ顔になった。
「それだけ?」
フィアナ。
「それだけです」
職員。
カレンだけは興奮していた。だが今回ばかりは、その興奮の半分がパーティー名への抗議に向いていた。
「未知の地形も気になりますけど、まずパーティー名をどうにかしてください!」
「絶対行きます! でも名前は変えます!」
即答だった。二つの主張が同時に飛び出す、珍しい光景だった。
リリアも手を挙げる。
「行く」
予想通りだった。ただし彼女だけはパーティー名に一切こだわっていないようだった。
「まだ説明終わってないわよ!」
ミレーユが叫ぶ。しかしリリアは聞いていない。未知。穴。調査。好きな単語しかなかった。
ノアも小さく頷いていた。
「気になる」
「お前もか」
セリナが呆れたように言う。狩人としても、正体不明の地形は放っておけないものらしかった。
ティアも工房から呼ばれて同席していたが、腕を組んで唸っていた。
「穴の調査に、俺の出番があるのか?」
「装備が壊れた時のためだ」
セリナが言う。
「なるほど、それなら」
納得したように頷いた。
結局、十人全員参加になった。ルナもついてくる。神様なのである。止められなかった。パーティー名の件は、結局その場では解決しないまま、なし崩し的に出発することになった。
数日後、帝国南部。馬車を降りたリリアは固まった。
「大きい」
久々だった。本当に大きかった。巨大な山々の中央、地面が丸く抉り取られている。まるで世界そのものが穴を開けられたようだった。
縁へ近付く。深い。暗い。底が見えない。風だけが吹き上がってくる。
「これは……」
セリナが言葉を失う。
「自然にできたとは思えませんわね」
エレノアも真剣だった。カレンはすでに観測を始めている。フィアナも不安そうだった。ルシェは穴を覗いて後退した。
「怖いです!」
正常な反応だった。ユナも頷く。
「私も怖いです!」
正常だった。
ノアは縁にしゃがみ込み、地面の様子を静かに観察していた。
「土の質、違う」
「どう違うんだ」
ティアが聞く。
「焼けたみたいな跡がある。自然の崩落じゃない、気がする」
短い言葉だったが、その場の空気を一段と引き締めた。
リリアは違った。
「面白い」
異常だった。ミレーユが額を押さえる。
「知ってた」
誰も否定しなかった。
その時だった。ルナが穴を見つめる。そして、ぽつりと呟いた。
「あー」
全員振り向く。嫌な予感がした。
「どうした?」
セリナが聞く。
ルナは首を傾げた。
「まだ残ってたんだ」
沈黙。風が吹く。
「知ってるの?」
リリアが聞く。
「うん」
ルナは普通に答えた。
「昔見たことある」
静寂。全員固まる。今とんでもない発言があった。
「昔っていつですの?」
エレノアが聞く。
「昔」
参考にならない。神様だった。フィアナが頭を抱える。
「説明してください」
「また今度」
全員、
「今!」
綺麗に揃った。しかしルナは笑うだけだった。
「先に見た方が早いよ」
そう言って穴の底を指差す。暗闇の奥、何も見えないはずだった。だがリリアには見えた。遠く、本当に遠く小さな光。まるで誰かが灯した明かりのような光が、穴の底で静かに輝いていた。
「何かある」
リリアが呟く。ルナが頷く。
「あるよ」
その声は珍しく真面目だった。
「たぶん君たちが思ってるより、ずっと面白いものがね」
ミレーユは嫌な予感しかしなかった。だが、リリアは笑っていた。未知の場所。未知の発見。未知の冒険。好奇心が止まらない。
こうして少女たちは巨大な穴の調査へ挑むことになる。その先に待つものが、失われた歴史であることも。世界の常識を覆す真実であることも。この時の彼女たちは、まだ知らなかった。




