第64話 「レベル61」
帝都、救援隊談話室。平和だった。依頼も終わり、救助活動も一段落した、珍しく何もない日。
「平和ね」
ミレーユが言う。
「平和だな」
セリナも頷く。
「平和ですわ」
エレノアも紅茶を飲む。
「平和です」
ルシェ。
「平和ですね」
ユナ。
「平和」
ノア。
「研究日和です」
カレン。
工房から顔を出したティアも、珍しく手が空いていた。
「今日は注文もない。俺も平和だ」
そして
「お菓子おいしい」
リリア。平和だった、本当に。
その時、ぴこん、嫌な音がした。全員固まる聞き覚えしかない音が鳴った。
「まさか」
ミレーユが呟く。
「嘘よね」
フィアナも青ざめる。
「まだ早いです」
ユナが言う。
「来た」
ルナだけが笑っていた。次の瞬間、リリアの前に光の文字が現れる。
【レベル61到達】
静寂、完全な静寂。誰も喜ばない。普通なら喜ぶ。
しかしこの部屋には被害者の会がいた。
「始まるぞ」
セリナが言う。
「始まりますね」
カレンが言う。
「始まっちゃいますね」
ユナが震える。
「工房にいた方がよかったか」
ティアも顔をしかめた。
「もう遅い」
セリナが短く言う。逃げ場はなかった。
「ちょっと待って」
フィアナが手を挙げる。
「なんでまた選択肢が出るの?夜型はもう決まったはずでしょう」
もっともな疑問だった。全員が、その答えを求めてルナを見る。
「ああ、それね」
ルナは、あくびをしながら答えた。
「神器の選択、実は一回きりじゃないよ。レベルの節目ごとにまた選び直せるの」
「節目?」
ミレーユが聞く。
「うん。10ごとに選べるやつもあれば、20ごと、30ごと、50ごと色々あるの。今回のは、たぶん30ごとのやつ」
「たぶんって何ですか!」
カレンが叫ぶ。研究者として一番聞き捨てならない返事だった。
「細かいことは忘れた」
「神様なのに!」
いつものやり取りだった。だが今回ばかりは笑い事ではなかった。
「つまり」
ミレーユが額を押さえながら続ける。
「これから先も、レベルが30上がるたびに、また同じ地獄が来るってこと?」
「たぶんね」
ルナの軽い返事に、部屋の空気が一気に重くなった。
「鍛冶の手も、これじゃ落ち着いて振れないな」
ティアがぼやいた。装備整備担当として今後の予定に頭を抱えているようだった。
そして、神器が起動した。
【選択してください】
全員、「あああああああ!」
悲鳴だった、もはや様式美だった。
光の中に三つの文字が浮かぶ。
【昼型】
【夜型】
【何もしない】
沈黙。数秒後、ミレーユが立ち上がった。
「会議を始めます」
被害者の会、緊急総会。全員着席、リリアだけお菓子を食べていた。
「聞きなさい」ミレーユが言う。
「聞いてる」
信用されなかった、当然だった。
「まず現状確認」
ミレーユが黒板を出す、準備が良い、異常なほど。
「夜型」大きく書く。
「メリット」
セリナが挙手。
「強い」
「その通り」
フィアナも頷く。
「便利」
「便利ですね」
ユナも同意。ここまでは良かった。
ミレーユが続ける。
「デメリット」
全員挙手。
「レベル1」セリナ。
「理不尽」カレン。
「怖い」ユナ。
「転ぶ」ルシェ。
「重い」ノア。
「眠いですわ」エレノア。
「面倒」フィアナ。
「工具落とす」ティア。
呪詛のようだった。ミレーユは黒板いっぱいに書き込む。
レベル1/理不尽/怖い/重い/眠い/面倒/工具落とす
そして結論。
「何もしない」
満場一致、拍手まで起きた。
---
その時、カレンが神器の表示を覗き込み、眉をひそめた。
「あの、【何もしない】の文字、色が薄くありませんか」
「え?」
全員が覗き込む。
確かに、【昼型】と【夜型】の文字は鮮やかに輝いているのに、【何もしない】だけが、少しくすんで見えた。
試しにリリアがその文字へ手を伸ばす。指先が文字をすり抜けた。何の反応もない。
「……押せない」
「は?」
ミレーユの声が裏返った。
「表示はされてるのに、選べないってこと?」
「たぶん、そう」
リリアが淡々と答える。
「なんですのそれ!」
エレノアが声を上げた。
「選択肢に出しておいて、選ばせない気ですの!?」
全員がルナを見る。ルナは気まずそうに視線を逸らした。
「そういう時、たまにあるかも」
「知ってたなら先に言ってください!」
カレンが叫んだ。だが後の祭りだった。目の前の希望は最初から幻だったらしい。
満場一致で決めたはずの結論が、一瞬で崩れ去った。
「詐欺だろ、これ」
ティアが低く呟いた。誰も否定しなかった。
しかし、リリアが手を挙げる。
「質問」
嫌な予感、全員一致。
「なによ」
ミレーユが聞く。
「昼型って?」
静かになる、誰も考えていなかった、確かに、今まで選んだことがない。
「知らない」
フィアナ。
「分からない」
セリナ。
「研究資料もありません」
カレン。情報ゼロだった。
「じゃあ気になる」
リリア。全員立ち上がる。
「ダメ!」
綺麗に揃った、過去最高だった。
「なんで!?」
「偶然とはいえ、その好奇心で神器を押したでしょ!」
ミレーユが叫ぶ。ぐうの音も出なかった。
---
翌朝、拠点の玄関が慌ただしくなった。
「開けてください!」
聞き覚えのある声だった。扉を開けると、そこには数人の研究者たちが、寝癖もそのままに立っていた。あの日、遺跡や回復水を調べていた顔ぶれも混ざっている。
「昨晩、神器から新しい反応が検出されたと報告が」
「【何もしない】の選択肢が無効化されているという件、詳しく聞かせてください!」
「これは重大な発見です、記録させてもらえますか」
矢継ぎ早の質問に、ミレーユが目を回しそうになった。
「あの、朝ご飯もまだなんですけど」
「後でいいですから!」
研究者の勢いに、いつもの立場が逆転していた。カレンだけは、むしろ目を輝かせていた。
「昨日、私も同じことに気付いたんです。データ、共有します」
「おお、そちらの方が」
カレンと研究者たちは、あっという間に意気投合し、玄関先で専門用語を交わし始めた。
「あの二人、放っておいて平気か」
セリナが呟く。
「たぶん平気」
ノアが短く答えた。
工房の入口から様子を窺っていたティアも、呆れたように腕を組んでいた。
「朝から騒がしいな」
「慣れろ」
セリナが短く返す。ティアは小さく笑った。
結局、その日の朝食は研究者たちも巻き込んでのいつもより騒がしいものになった。
「つまり」
一人の研究者が資料をめくりながら言う。
「選択が固定化される前提の神器に、意図的な制限が加えられている可能性があります」
「誰の意図ですか」
エレノアが聞く。
研究者は首を振った。
「分かりません。神器そのものの仕様なのかあるいは」
言葉を濁す。全員の視線が、自然とルナへ向いた。ルナは、目を逸らしながらパンを頬張っていた。
「私は知らない」
「怪しいですわ」
「本当に知らない」
いつもの調子だったが、今回だけは、少しだけ歯切れが悪かった。
しかしリリアは考える、長い、とても長い。十分、一時間、三時間、夕方、夜、そして翌日、まだ悩んでいた。
「長い」
ノアが言った、珍しく。全員同意した。
---
二日後、被害者の会全員集合。神妙な顔、まるで判決を待つ罪人だった。ルナだけ楽しそう。
リリアが立ち上がる。
「決めた」
全員息を飲む、緊張感、過去最大。
「何もしないは選べないから、昼型か夜型しかない」
まず、そう前置きした。当たり前の確認だったが全員がもう一度、その現実を噛みしめるように黙り込んだ。
「夜型」
沈黙さらに沈黙。そして、
「そこは普通に夜型なんですね……」
ミレーユが脱力したように呟いた。散々「ダメ!」と止めていた昼型は、結局試されることさえなかった。あれだけの攻防は何だったのか、という空気だけが残る。
「慣れてるし」
リリア。
それだけだった。カレンが崩れ落ちる。
「理論が負けた……」
ユナも膝をつく。
「私の人生……」
フィアナが机に突っ伏すルシェも同じ。ミレーユは天井を見上げた。
「知ってた」
諦めの境地だった。セリナも苦笑する。
「まあリリアだしな」
ティアは、ただ深いため息をついていた。
そして、ぴこん、神器が反応する。
【夜型が選択されました】
【夜型 Lv.2へ進化】
【神のイタズラ継続】
【被害者の会 継続】
「進化した!?」
「最後いらないでしょ!」
ミレーユが立て続けに叫んだ。ルナは大爆笑しているリリアも笑っていた。
「なにが変わるんですか!?」
カレンが即座に食いつく。研究者の血が騒いだらしい。悲鳴の合間でも、好奇心は止まらなかった。
説明の文字が、続けて浮かび上がる。
【発動中の能力、変化なし】
【固定時間終了後のレベル、1→2に上昇】
静寂。誰もすぐには意味を飲み込めなかった。
「……それだけ?」
フィアナが呆然と呟く。
「それだけみたいですわね」
エレノアも、光る文字を何度も読み返していた。
「レベル1が、レベル2になる」
セリナが確認するように言う。
「そう」
「弱いことに変わりはない」
「うん」
要するに朝六時のあの絶望的な弱体化がほんの少しだけマシになる。ただ、それだけの進化だった。
「地味すぎません!?」
ユナが叫んだ。誰も反論できなかった。
「レベル2でも、あのスライムには勝てませんよね」
ルシェがぽつりと言った。その一言で全員の脳裏にあの朝の光景が蘇った。訓練場の隅、ぷるんと揺れる雑魚スライム。レベル1の自分たちが情けなく逃げ惑った記憶だった。
「勝てない」
セリナが即答する。
「勝てませんわね」
エレノアも遠い目をした。
「レベル2だと、たぶんもう少し上手に逃げられるくらいだ」
ティアが冷静に分析する。誰も否定しなかった。進化とは名ばかりのささやかすぎる恩恵だった。
こうしてレベル61の選択は終わる。何も変わらない、いや、ほんの少しだけ変わった。そしてそれこそが一番リリアらしい選択だった。
少女たちは次の舞台へ向かう。世界の秘密、古代文明、神器、封印、まだ知らない真実の待つ場所へ。
しかし、今だけは被害者の会の悲鳴が談話室に響いていた。
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第64話終了時点
リリア・フォルネス 年齢:14歳/レベル:61
ミレーユ・アスター 年齢:14歳/レベル:59
セリナ・クレスト 年齢:15歳/レベル:60
エレノア・ローゼンベルク 年齢:15歳/レベル:56
ティア・ブロム 年齢:15歳/レベル:58
フィアナ・ルーク 年齢:15歳/レベル:57
ルシェ・マリオン 年齢:15歳/レベル:55
ノア・ウィンドベル 年齢:15歳/レベル:60
カレン・ホワイト 年齢:14歳/レベル:61
ユナ・ベルフラワー 年齢:11歳/レベル:49
ルナ 年齢:不明(神様)/レベル:測定不能
普通のスライム 年齢:不明/レベル:5
64話、いかがだったでしょうか。せっかく満場一致で出した「何もしない」が最初から選べない選択肢だったという、被害者の会にとってはたまらないオチになりました。結局リリアは迷いに迷った末、いつも通りの選択をするあたり、彼女らしさが出せた回だったかなと思います。
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