第56話 「お湯と清潔」
橋の支援任務を終えた翌日、リリアたちはすぐに帝都へ戻らなかった。近くの村からも、支援の要請が届いていたからだ。
「もう一箇所、行くんですか」
ルシェが少し疲れた声で言う。
「困ってるなら行く」
リリアが即答した。反論できる者はいなかった。
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村へ到着すると、様子がおかしかった。人々の顔色が悪い。咳き込む声があちこちから聞こえる。子供も大人も、覇気がなかった。
「病気ですの?」
エレノアが眉をひそめる。
村の代表らしき老人が、疲れた顔で説明した。
「川の氾濫で、井戸水が汚れてしまいましてな。それ以来、みんな体調を崩す者が増えて」
エレノアは、話を聞き終える前から、既に医師のいる場所へ足を向けていた。
セリナとノアは、村の外周を確認しに行った。
「病人が多いと、盗みも出やすい」
ノアが言う。
「見回っておくか」
二人は頷き合い、村の境界を歩き始めた。
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簡易の診療所には、寝込んでいる村人が何人もいた。医師が、疲れた表情でエレノアを迎える。
「回復水があるとお聞きしましたが」
「ええ、リリアさんに」
「それは助かる。ですが」
医師は首を振った。
「今、この村に必要なのは、傷を治す水だけではないのです」
エレノアが首を傾げる。
「どういうことですの?」
「不衛生なんです。井戸水が使えず、体を洗う水すらない。傷口も、汗も、汚れたまま。病気が広がる一番の原因は、そこにあります」
医師の言葉に、エレノアは深く頷いた。
「つまり、清潔な水と、体を洗う環境が必要ということですわね」
「その通りです」
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その話を、隣で聞いていたカレンが手帳を取り出した。
「不衛生な環境からの発症、興味深いです。井戸水の汚染経路、確認してもいいですか」
「今はそれどころじゃ」
「分かってます。でも、原因が分かれば、次に活かせます」
カレンは早速、井戸の方へ向かっていった。研究熱心なのは、こういう時でも変わらなかった。
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エレノアは、すぐさまリリアを呼びに行った。事情を説明すると、リリアは首を傾げた。
「傷薬の水じゃなくていいの?」
「ただの、綺麗な水が欲しいんですの」
「できると思う」
リリアは、意識を変えるように少し目を閉じた。
「回復の力、入れなければ普通の水になる」
「知りませんでしたわ、そんな器用なことができるなんて」
エレノアが驚いた顔をする。
「意識するだけ」
「なるほど」
医師も、その説明に目を丸くしていた。
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さっそく、村の広場に大きな桶がいくつも並べられた。リリアが手をかざし、集中する。ぽこん。顔ほどの大きさの水球が生まれ、桶の中へ広がっていく。回復の力を込めない、ただの澄んだ水だった。次々と桶が満たされていく様子に、村人たちがどよめいた。
不安そうに集まっていた村の子供たちに、フィアナが声をかけていた。
「怖くないよ、綺麗な水を作ってるだけ」
「お姉ちゃんも魔法使えるの?」
「少しだけね」
フィアナが子供たちをあやしながら、水汲みの列整理も手伝う。同盟国育ちらしい、物腰の柔らかい対応だった。
「これで、飲み水と洗浄用の水は確保できますわね」
「あとは、体を洗う場所が」
医師が呟く。傷口の消毒や洗浄だけでなく、村人たちが体を清められる環境が必要だった。
その言葉を聞いていたティアが、腕を組んだ。
「浴槽なら作れる」
「本当ですの?」
「木材と金属の枠さえあれば、簡易のものならすぐだ」
さっそく、ティアは近くの木材と、工具箱の中の道具を使って、大きな浴槽を組み立て始めた。手際は、いつもの鍛冶仕事と変わらない。
「板の継ぎ目、しっかり打ち込め」
村の男たちも手伝いに加わる。半日もしないうちに、いくつかの木製の浴槽が出来上がった。
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「あとは、お湯ですわね」
エレノアが言う。全員の視線が、自然とリリアに向いた。
「水は出せるけど」
リリアは片手を浴槽にかざす。集中する。ぽこん。大きな水球が生まれ、浴槽の中へ広がった。あっという間に、浴槽の半分近くまで水が満たされる。もう片方の手のひらに、小さな炎を灯した。ゆらり、ゆらりと揺れる、弱い火だった。
昔は、種火程度しか出せなかった。今は、その火を水に混ぜることができる。少しずつ、湯気が立ち始めた。
「これで、お湯……」
リリアが自信満々に言いかけたところで、手を浴槽に入れたミレーユが眉をひそめた。
「ぬるい」
「え」
「これ、ただの生ぬるいお湯よ」
リリアがしょんぼりする。
「頑張ったのに」
「気持ちは分かるけど、これじゃ体が温まらないわ」
ミレーユはそう言うと、自分の手を浴槽の縁にかざした。
「貸して」
指先に、リリアのものよりずっと大きな炎が灯る。安定した、揺るぎない火だった。それを浴槽の水へ、慎重に注ぎ込むように広げていく。
じわり、じわりと湯気が濃くなり、やがて、はっきりと分かるほどの熱気が立ち上った。
「これくらいでどう?」
ミレーユが手を浸して確認する。ちょうどいい温度だった。
「すごい……」
リリアが素直に感心する。
「あなたの水魔法があってこそよ。私は温度を仕上げただけ」
「二人ですごい」
単純な感想だったが、間違ってはいなかった。二人の力が合わさって、初めて村人たちが浸かれる、ちゃんとしたお湯が出来上がった。
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その様子を、少し離れた場所からルナが眺めていた。焼き菓子を齧りながら、興味深そうに湯気を見ている。
「私も入る」
「神様が村のお風呂に入るの?」
ミレーユが呆れたように聞く。
「お湯はお湯」
理屈になっていなかった。だが、誰も本気で止めなかった。結局、村の子供達に混じって、ルナも一番風呂を堪能することになった。
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その日の夕方から、村の広場には湯気の立つ浴槽が並んだ。順番に、村人たちが体を清めていく。
「ああ、生き返る……」
老人が、しみじみと呟いた。子供達もはしゃぎながら湯に浸かっている。
「気持ちいい!」
「もっと!」
リリアが子供達の様子を見て、満足そうに笑った。
「役に立った?」
「立ったな」
ティアが浴槽の縁を軽く叩きながら頷く。
「俺の腕と、リリアの魔法と、ミレーユの火。三人がかりだ」
「私、水しか出せなかったけど」
「それが一番大事なんだよ」
ティアの言葉に、リリアは少し照れたように笑った。
村の外周を見回っていたセリナとノアも、夕方には戻ってきていた。
「異常はなかった」
セリナが報告する。
「静かだった」
ノアも頷く。二人とも、少し疲れた顔をしていたが、湯気の立つ浴槽を見て、わずかに表情を緩めた。
「あれ、俺たちも入っていいのか」
「後で交代制にしましょう」
ミレーユが手際よく仕切る。
カレンも井戸の調査を終えて戻ってきた。
「汚染源、特定できました。近くの土砂が流れ込んでいたようです。報告書にまとめておきます」
「助かるわ」
真面目な報告に、医師も感心した様子だった。
夕日が村を赤く染める中、湯気の立つ浴槽から、子供達の笑い声が響いていた。戦わない冒険者の仕事は、こうして、また一つの村を支えていた。




