第55話 「橋を守れ」
翌朝、リリアたちは帝都を出発した。目的地は帝都から半日ほど離れた川沿いの町。帝国軍から依頼された支援任務の最前線だった。
見送りには、ユナも来ていた。
「行ってらっしゃい!」
元気に手を振る。まだ少し悔しさの残る顔だった。
「今度こそ、次は連れて行ってください!」
「うん、約束」
リリアがそう言うと、ユナはぱっと表情を明るくした。
馬車が走り出す。ルシェが地図を広げながら言った。
「橋ってそんなに大事なんですか?」
その問いに、フィアナが答えた。
「大事よ。避難するときも使うし、物資を運ぶのにも使う」
ルシェも頷く。
「商売も橋がないと困ります」
その横で、リリアは寝ていた。非常によく寝ていた。
「勉強しなさい」
ミレーユが言う。
「起きてる」
目を閉じたまま答えた。信用されなかった。当然である。
窓の外を眺めていたルナは、今回も同行を許されていた。神様という立場もあってか、隊長からの扱いは特別だったが、本人はいつも通り気楽な様子だった。
「私、何すればいい?」
「見てるだけでもいい」
ミレーユが答える。
「見てるだけって退屈」
さっそく文句が出た。
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昼前、町へ到着する。思っていた以上に人が多かった。避難民。兵士。荷車。子供。みんな慌ただしく動いている。橋の近くでは兵士達が補強作業を行っていた。
帝国軍の隊長が近付いてくる。
「来てくれたか」
「こんにちは」
リリアが手を振る。隊長も少し笑った。
「状況を説明しよう」
全員が集まる。隊長は川の向こう側を指差した。大きな山が見える。その一部が崩れていた。
「数日前の地震で山肌が崩れた」
「避難民は増えている」
「だが物資が足りない」
さらに橋を見る。古い石橋だった。
「この橋が壊れれば終わる」
静かになる。重要性は十分伝わった。
「敵は?」
セリナが聞く。
「いない」
隊長は首を振る。
「敵は時間だ」
その言葉に、みんな少し納得した。戦う相手は魔物だけではない。そういう依頼だった。
「怪我人もいますの?」
エレノアが尋ねる。
「ああ、崩落の際に何人か。今、仮設の救護所にいる」
エレノアは頷き、その方角へ視線を向けた。
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作業はすぐ始まった。セリナとノアは周囲の警戒に回った。
「怪しい動きがあれば、すぐ言う」
ノアが短く言う。
避難で混乱している場所は、盗みや揉め事も起きやすい。狩人らしい鋭さで、周囲へ視線を巡らせていた。
ティアは補強工事を手伝う。カレンは橋の構造を調べ始めた。
「面白いです!」
楽しそうだった。職業病だった。
ルシェは物資確認。ルナは、しばらく物珍しそうに現場を歩き回っていた。
エレノアは、真っ先に救護所へ向かった。
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救護所には、簡易ベッドが並んでいた。包帯を巻かれた人々、うめき声、慌ただしく動く医師たち。エレノアはその光景を一目見て、状況を把握した。
「人手が足りませんわね」
「その通りです。見ての通り、猫の手も借りたい状況で」
疲れきった医師が答える。エレノアは袖をまくり、手伝いを始めた。包帯を運び、水を配り、負傷者に声をかける。貴族令嬢とは思えない、手際の良い動きだった。
「わたくし、これでも一通りの応急処置は習っておりますの」
「ありがたい限りです」
しばらく働いた後、エレノアはふと、あることに気付いた。負傷者の数に対して、治療の手段が明らかに足りていない。薬も、清潔な水も、限られている。
「少々、お待ちくださいませ」
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一方その頃、リリアは隊長から声をかけられていた。
「子供達の相手をしてくれ」
言われるまま、橋の近くの広場へ向かう。すぐに子供達が集まってきて、賑やかな声が響き始めていた。
「すごーい!」
「もう一回!」
リリアが風魔法で葉っぱを舞い上げる。子供達は大喜びだった。完全に遊んでいた。
「遊んでるわね」
ミレーユが呟く。
「結果的に役立ってます」
フィアナがフォローした。確かに。泣いていた子供達も笑っている。母親達から感謝もされていた。
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そこへ、エレノアが息を切らせながらやってきた。
「リリアさん」
呼ばれて、リリアが振り返る。
「なに?」
「少し手を貸してほしいんですの」
子供達には「また後で来る」と約束し、リリアは素直について行った。救護所に着くと、エレノアは大きめのタライをいくつか用意させていた。
「一滴ずつでは、とても間に合いませんわ。まとめて出せますこと?」
「桶いっぱいなら」
以前、研究の実験で出した、あの大きな水球のことを思い出しながら答える。
「タライでも大丈夫ですかしら」
「たぶん」
リリアは両手をタライの上にかざす。集中する。ぽこん。顔ほどの大きさの水球が生まれ、タライの中へ広がった。透き通った水が、なみなみと満たされていく。
「これで足りる?」
「十分すぎますわ」
エレノアは満足そうに頷き、医師の方を振り返った。
「たくさんありますから、遠慮なくお使いくださいませ」
医師は、目の前の光景が信じられないという顔をしていた。
「これが……噂の」
「回復水ですわ。効果は保証いたします」
エレノアが淡々と説明する横で、医師は震える手でタライの水を掬い、近くの負傷者の傷口へそっとかけた。傷が、みるみるうちに塞がっていく。
「おお……!」
周囲の避難民からも、驚きの声が上がる。
「もう少し出せる?」
エレノアが聞く。
「うん」
リリアは、次々とタライに水球を生み出していった。骨折した子供、深く切った腕の兵士、熱を出した老人。順番に、治療の水が行き渡っていく。
「これは……」
隊長も、噂には聞いていたが、実際に目にするのは初めてだったらしい。
「ありがとうございます」
治療を受けた兵士が、涙ぐみながら頭を下げた。リリアは少し照れたように笑う。
「どういたしまして」
「よくやりましたわ」
エレノアが、リリアの肩に軽く手を置く。
「エレノアが呼んでくれたから」
「お互い様ですわ」
一通りの治療を終えると、二人は再び子供達のところへ戻っていった。
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橋の横では、リリアが戻ってくるのを待っていたように、子供達がまた集まってくる。
ルナも子供達の輪に加わり、一緒に笑い転げていた。神様であることは、この場では誰も気付いていなかった。
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夕方、問題が発生した。橋の一部に大きな亀裂が見つかったのである。兵士達が騒ぎ始める。
「まずいな」
隊長が眉をひそめた。大勢が通れば崩れる可能性がある。しかし避難は止められない。
セリナが橋を見る。ティアも見る。カレンも見る。全員真面目な顔だった。
その時、「直せない?」リリアが聞く。
ティアが腕を組む。
「できなくはない」
「時間が足りない」
悩ましい状況だった。
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すると、カレンが橋のひび割れを指でなぞりながら口を開いた。
「亀裂の走り方、規則性があります。ここと、ここ」
一部を指差す。
「魔力を通す術式なら、応力を分散させられるはずです。故郷の学科で、崩落した坑道の補強に似た事例を読んだことがあります」
理論だけでない、根拠があった。それでも即答は難しい話だった。
「本当か?」
隊長が聞く。
「成功率は、高くはないと思います。でも、やらないよりはいいはずです」
正直な言葉だった。だが、やるしかなかった。
ティアが補強。カレンが術式。兵士達が資材運搬。全員で作業を始める。リリアも手伝った。珍しく。本当に珍しく。
「私も手伝う」
ルナが術式の光に、興味深そうに手をかざす。
「触らないで」
カレンが慌てて止める。
「触らないよ、見てるだけ」
言葉とは裏腹に、指先が何度も光に近付いていた。
その間も、ノアとセリナは警戒を続けていた。
「作業中、一番無防備になる」
ノアがぽつりと言う。
「分かってる」
セリナが短く応じ、二人並んで周囲へ目を光らせていた。
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そして、日が沈む頃、補強は完了した。橋は持ちこたえた。避難も続行できる。
隊長は大きく息を吐く。
「助かった」
心からの言葉だった。みんな少し嬉しくなる。戦っていない。魔物も倒していない。それでも、誰かを助けることはできた。
「治療の方も、本当に助かりました」
医師も駆け寄ってきて、深く頭を下げた。エレノアが微笑む。
「わたくしたちにできることをしたまでですわ」
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リリアは橋を見上げる。少し考える。そして言った。
「橋ってすごい」
「今さら?」
ミレーユが言う。
「みんな渡れる」
単純な感想だった。だが、間違ってはいない。その橋のおかげで、今日も多くの人が助かったのだから。
夕日が川を赤く染める。避難民達は少しずつ橋を渡っていく。それを見ながら、リリアは小さく笑った。
「守れたね」
セリナも頷く。
「ああ」
初めての帝国依頼。その最初の一歩は、確かな成功だった。




