第9話「調査六日目~七日目」
六日目は土曜日。
授業が無い分、校舎周辺の学生も減るはずだ。
問題視していた中庭も、今日なら片づけられるかもしれない。
そう考えながら、バネッサは学園へ向かった。
だが、学生寮があるせいか、敷地内には思った以上に人がいた。
校舎の窓からは、楽器を練習している生徒たちの姿が見える。
──これじゃ中庭は無理かも。部活って、何時までやるのかなあ。
図書館横の小庭も似たような状況だった。
大学施設も併設されているためか、私服姿の利用者が窓際に何人も見える。
明日の日曜日は、高校エリア自体へ入れない。
来週中に、この二か所を調査できるだろうか。
バネッサは少し頭を悩ませたが、時間は限られている。
ひとまず、他のポイントの調査を進めることにした。
午前中は順調だった。
人目の少ない校舎裏。
体育館横の植え込み。
南側エリアへ続く陸橋の脇。
昨日同様、忙しくセンサーを確認しながら結果を記録する。
そろそろ自分でも疑問に感じてきた。
私は少し変な女子高生に見られていないか。
<アキラさん、私は今、普通の学生に見えていますか>
<今のところは>
<今のところ>
<ただ、靴紐を直す回数が少し多いですね>
<靴紐は、便利な理由だと思ったのですが>
<便利すぎる理由は、何度も使うと不自然になります>
<学校、難しいですね>
通信機の向こうで、アキラが少しだけ笑った気配がした。
木陰のベンチへ座り、アキラが作ってくれた弁当を広げる。
日差しはかなり強くなってきていた。
夏の入り口の野外作業は、思った以上に体力を削る。
購買で野球部の帽子を見つけたので購入した。
これが思いのほか快適だった。
制服に野球部の帽子。
鏡を見なくても、かなり妙な姿だという自覚はある。
<アキラさん。この帽子、どうでしょう>
<熱中症対策としては良いと思います>
<見た目は変じゃありません?>
<……活動的な短期留学生に見えますよ>
<それは自然ですか>
<たぶん。野球部のファンだと思われるかも>
たぶん、という言葉は信用しづらい。
それでも帽子は快適だったので、深く考えるのはやめた。
午後の調査も順調に進んだ。
大汗をかきながら、本日予定していたポイントを調査し終える。
全体の進捗は、ようやく半分といったところ。
夕方。
バネッサは再び高校校舎の中庭へ向かった。
だが、まだ楽器の音が聞こえている。
中庭に面した校舎の窓が開いており、金管楽器の音や、先生らしき人物の指示が聞こえてきた。
「すみませーん」
思い切って、練習中の生徒たちへ声を掛けた。
「皆さん、何してるんですか? あ、私、交換留学生のバネッサです」
吹奏楽部の大会が近いらしい。
今日は閉門まで練習する予定だという。
──今日は無理か。
バネッサは落胆を見せないよう微笑みながら、
「頑張ってくださいね」
と声を掛け、その場を後にした。
<アキラさん。中庭は今日も無理そうです>
<吹奏楽部ですか>
<はい。閉門まで練習するそうです>
<では、来週ですね>
<来週まで残すのは、少し気持ち悪いです>
<分かりますが、無理は禁物ですよ>
分かってはいる。
だが、気になる場所を残したまま帰るのは落ち着かない。
採取師の仕事は、そういう小さな気持ち悪さを一つずつ潰していく作業でもある。
山なら、風向きも足跡も読める。
けれど学校では、人の流れが読みにくい。
◆ ◆ ◆
バネッサは、対人センサーの反応に気づいていた。
距離はある。
近づいてくるわけではない。
ここ数日、調査中に時折現れていた反応と同じだろうか。
振り返って確認することもできた。
けれど、それをすればかえって不自然になる。
だからバネッサは、気づかないふりをしてその場を離れた。
<アキラさん。また、動かない反応がありました>
<例の反応ですか? あいにくこちらからは見えませんが>
<距離は遠いですが、こちらを見ている気がします>
<監視でしょうか>
<……監視にしては、下手ですね>
バネッサはテニスコート横のベンチに座った。
ポーチから手鏡を取り出し、髪を直すふりをして後方を確認する。
本を抱えた、おとなしそうな生徒の姿が見えた。
校舎の陰からこちらを見ている。
初日に一度会話をした生徒のような気がするが、自信はない。
<問題になりそうですか>
<どうかなあ。距離もありますし>
<何をしているのか興味を持った、とかですかね>
<少なくとも、実際に調査している姿は見られていません>
<では記録だけしておきますね>
<お願いします>
通信を切る。
バネッサは、小さく息を吐いた。
ただの生徒。
ただ、少しこちらを気にしているだけの子。
それで済むなら、それが一番良い。
そう思いながらも、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
◆ ◆ ◆
七日目は日曜日。
学園の調査ポイントがあるエリアは、基本的に関係者以外立ち入り禁止だった。
予定通り、今日は調査を休みにする。
朝早く、アキラは自宅へ戻っていった。
バネッサは一人、布団を干しながら考える。
──さて、今日は何をしようかな。
冷蔵庫には、アキラが昼食と夕食を用意してくれていた。
あとはレンジで温めるだけ。
採掘仕事なら、休日でも道具の整備や消耗品補充、鉱石のチェックがある。
だが今回は、センサーしか使っていない。
しかも整備方法はバネッサの専門外だ。
洗濯を終え、宿題を片づけ、昼食を食べる。
それでも、まだ時間が余る。
──晩ご飯まで、何しようかな。
少し考えた後、バネッサは学校指定ジャージへ着替えた。
体育で数回着たが、このジャージはかなり着心地が良い。
──任務終わったら貰えないかな、これ。
昨日買った帽子を被る。
軽く準備運動をしてから、学校周辺の歩道を走り始めた。
普段は、雨の日以外ほぼ毎朝走っている。
ギルの家に住み始めた頃から続いている習慣だ。
いつもは仕事の期間中は走らない。
仕事だけで体力を使うからだ。
だが今回は違う。
身体は疲れていない。
その代わり、慣れない環境で神経が削られている。
来週からは朝も走ろうかな、とバネッサは思った。
やがて、学生寮エリアの近くまで来る。
この辺りは調査対象外だったため、近づくのは初めてだった。
小さな公園のような広場がある。
数人の学生がベンチで談笑していた。
おそらく寮の共有スペースなのだろう。
その中の一人が、こちらへ手を振ってくる。
見覚えのある顔だった。
クラスメイトの……ええと、名前なんだっけ。
バネッサは走る速度を落とし、ベンチへ近づいた。
「バネッサさん、日曜から元気やねー」
「こんにちは。いい天気だったので走ってました」
会話しながら、相手の名前を思い出す。
──そうそう、ミユキさんだ。
隣にいるのは同室のリンさん。
初めまして、と軽く挨拶を交わす。
特に予定も無い、日曜の昼。
なんとなく、そのまま雑談になった。
バネッサは質問の大半を嘘で返す。
少し申し訳ない気持ちにはなるが、仕方がない。
ミユキとリンは、主に寮生活や学校への愚痴を話していた。
バネッサからすると、どれも他愛ない内容だ。
けれど彼女たちにとっては切実なのだろう。
「あーあ、明日の生徒総会いややなあ」
「せーとそーかい?」
「全部の生徒が体育館に集まって、なんかやるやつ。退屈すぎて死にそうやわ」
「全部の生徒?」
「生徒会の話とかー。うち、中学の時も嫌いやったんよね」
「何時からですか?」
「たしか、昼休みのあと。午後一やったかな」
「午後一……」
バネッサの中で、地図が広がった。
高校校舎。
南館。
北館。
渡り廊下。
中庭。
窓からの視線。
廊下の人通り。
教師の巡回。
それらが、一斉に薄くなる時間。
──全部の生徒が、体育館に?
それは、中庭を調査するには絶好の機会だった。
ミユキが不思議そうに首を傾げる。
「バネッサさん?」
「あ、いえ。初めてなので、楽しみだなあと」
「そんなおもろいもんちゃうよ。まあ、寝んように頑張ろな」
「はーい。頑張ります」
バネッサは笑顔で頷いた。
だが、頭の中ではすでに別のことを考えていた。
明日。
午後一。
生徒総会。
全校生徒が体育館へ移動。
中庭。
あそこを調べるなら、おそらくその時しかない。
バネッサは二人と別れ、走りながら拠点へ戻った。
休日の軽い運動のつもりだった。
だが、思わぬ形で来週の予定が変わった。
「……明日、アキラさんに相談ですね」
小さく呟きながら、バネッサは走る速度を少し上げた。




