第7話「チヅル・2」
図書館は、この学園の共通施設だった。
中学、高校、大学、短大が併設されている。
その共通施設のため、一般的な高校の図書館とは比べものにならないほど広い。
少し歩けば、購買や学食などの共通棟もある。
便利ではあるが、――少し遠い。
――図書館はすごいけれど、少し歩くから面倒なのよね。
返却する小説を持って教室を出たチヅルは、なんとなく廊下の窓から外を見た。
中庭を、金髪の人物がふらふら歩いている。
──バネッサさんだ。何してるんだろう。
声を掛けてもいい気はする。
でも、その後に何を話せばいいのか分からない。
チヅルは、窓のそばで少しだけ立ち止まった。
バネッサは中庭のベンチの近くで足を止め、地面を見ているようだった。
ただ眺めている、というより。
しげしげと観察しているように見える。
外国の人は色々と珍しく見えるのだろうか。
チヅルは深く考えるのをやめて、階段を下り、下駄箱へ向かった。
◆ ◆ ◆
図書館の返却棚へ、本を二冊置く。
古いSF小説。
格好良い女性スパイが主人公のシリーズで、チヅルのお気に入りだった。
続刊を二冊、書架から抜き取って腕に抱える。
今夜読むのが楽しみだ。
ついでに同じ作者の別シリーズも借りようかと思ったが、今日の図書館内は妙に大学生が多かった。
静かではあるのだが、人の気配が多い。
ゆっくり本を選ぶ気分になれず、チヅルは図書館を後にした。
教室へ戻る。
廊下を、とぼとぼ歩く。
──今日も退屈な日だったな。
そんなことを考えながら教室前まで近づいて、チヅルは足を止めた。
教室の入口に、バネッサが立っていた。
しかも、こちらを見ている。
「え、バネッサさん?」
「えっと……?」
「あ、同じクラスのアサイです。アサイ・チヅル……です」
「チヅルさん、こんにちは」
バネッサは柔らかく笑っていた。
近くで見ると、やはり綺麗な人だった。
金髪も、緑色の目も、教室の白い壁の中では少しだけ現実離れして見える。
けれど、その笑い方はふわふわとしていて、思っていたより話しやすそうだった。
「チヅルさんは、今からお帰りですか?」
「は、はい」
「私はこれから散歩です」
「散歩?」
「色々、学校を探検しようかなって」
チヅルの胸が少し跳ねた。
──これ、チャンスかも。
案内します、と言って一緒に歩けば、もっと話せるかもしれない。
「あの、よければ案内しましょうか」
「大丈夫ですよー」
バネッサはひらひらと手を振った。
「一人で回ってみます。では!」
そのまま軽やかに教室を去っていく。
チヅルは小さく息を吐いた。
──まあ、こんなもんだよね。
やっぱり、自分は主人公タイプではない。
こういう時、物語の主人公なら、きっと自然に一緒に歩けるのだろう。
──助かるわ。あなたの案内が必要だったのよ。
金色の髪の少女は穏やかに微笑む。
けれど緑色の瞳だけは、油断なく廊下の奥を見ていた。
──案内はおまかせ。でも私、レーザーは苦手なの。美容的にね。
──安心して。レーザーがないことは確認済みよ。
──よかった。じゃあ問題は数学の先生だけね。
──日本の先生はレーザーより危険なの?
──もちろんよ。レーザーは一回避ければ済むけど、宿題は毎日来るもの。
二人は、そこで初めて小さく笑う。
ただの学校案内。
そう見えるように振る舞いながら、二人は中庭――敵のアジトへ向かった。
……なんてね。
でも現実では、手を振られて終わりだった。
チヅルは借りてきた本をカバンへ入れ、教室を出る。
下駄箱で靴を履き替え、校舎を出た。
スクールバス乗り場へ向かおうとして――ふと、足を止めた。
「探検」
さっきのバネッサの言葉が引っかかる。
そういえば。
自分は、この学園のことをほとんど知らない。
入学時に施設案内ビデオを見せられた記憶はある。
だが、その頃は、
友達はできるだろうか。
授業についていけるだろうか。
そんなことで頭がいっぱいで、内容などほとんど覚えていなかった。
スクールバスは、まだ何本もある。
──私もちょっと、探検してみようかな。
チヅルは、学園内でまだ行ったことのない方向へ歩き始めた。
◆ ◆ ◆
比較的なじみのある図書館や学食などの共通棟の横を抜ける。
さらに奥へと、足を踏み入れたことのないエリアへ進んでいく。
この辺りは大学や短大の施設だっただろうか。
白衣姿の学生。
スポーツユニフォーム姿の学生。
大きな楽器ケースを背負った学生。
図面ケースらしき筒を抱えた学生。
高校の校舎とは、空気が違う。
様々な格好の学生たちが、当たり前の顔で行き交っている。
同じ学園内だからか、咎められることもない。
チヅルは流れに混ざるように歩いた。
知らない建物。
知らない掲示板。
知らない学生たちの会話。
同じ学園の中なのに、いつもの教室とはまるで違う場所だった。
少しだけ、胸が軽くなる。
退屈だと思っていた学園にも、自分の知らない場所がたくさんあった。
三十分ほど歩いただろうか。
新しい建物の工事現場が見えてきた。
チヅルはスマートフォンを取り出し、学校のサイトを開く。
地図によると、この辺りは学園敷地の北端らしい。
工事看板には、
『第七学生寮建設中』
と書かれていた。
自宅通学のチヅルには、縁のない施設だ。
寮に入っている子たちは、こういう建物で毎日を過ごしているのだろうか。
放課後に友達と学食へ行って。
夜に部屋で話して。
朝、一緒に学校へ向かう。
想像はできる。
けれど、自分がその中にいるところは、やっぱりうまく想像できなかった。
特に成果があったわけではない。
でも、少しだけ気晴らしになった気がする。
そろそろ戻ろう。
そう思って振り返った時だった。
遠くに、金髪の少女の姿が見えた。
──バネッサさんだ。
チヅルが立っている場所の横には、陸上グラウンドがある。
その反対側を、バネッサが歩いていた。
時々しゃがみ込み、何かをしている。
だが、距離が遠くてよく分からない。
──あんな場所を探検して、面白いのかな。
チヅルは、カバンの中のSF小説をまた思い出した。
主人公の格好良い女性スパイ。
──もしかして、バネッサさんって実はスパイだったりして。
金色の髪。
油断なく周囲を見る緑色の瞳。
人気のないグラウンド脇で、何かを調べる謎の留学生。
……いや。
そこまで考えて、教室でふわふわ笑っていたバネッサを思い出す。
──全然スパイっぽくないな。
思わず、くすくすと笑ってしまった。
バネッサは、またしゃがみ込んだ。
何かを落としたようには見えない。
地面を見て、少しだけ周囲を確認して、すぐに立ち上がる。
その動きは妙に滑らかで、無駄がなかった。
教室で笑っていた時とは、少し違う人に見える気がする。
遠すぎて、表情までは分からないが。
それでもチヅルは、しばらく目を離せなかった。
今度チャンスがあったら、グラウンドで何をしていたのか聞いてみよう。
バネッサと話せそうな話題が、一つだけできた。
それだけで、チヅルは少し嬉しくなった。




