第6話「中庭」
<授業終わりました。最初のポイント、高校校舎の中庭に向かいます>
<了解です。授業はどうでしたか、バネッサさん>
<よく分かりませんでした。英語とか、ちんぷんかんぷん>
通信機越しに雑談を交わしながら、バネッサは人気の少ない廊下を歩いていた。
周囲には理科室や準備室など、特別教室のプレートが並んでいる。
初日の授業は、少し疲れた。
授業。
教室。
先生。
ホワイトボード。
教科書。
どれも、山には無いものばかりだった。
採取師としては五十年以上の経験がある。
だが、学生としては初日である。
採取師の修業時代、座学はあった。
美也子先生に日本語を教えてもらったこともある。
ただ、集団で教えてもらうという経験はほとんど無かった。
真面目に聞いている生徒もいれば、寝ている生徒もいる。
真面目さと不真面目さが、同じ教室に混ざっている。
学校というのは不思議なところだと、バネッサは改めて思った。
そして、自分が思っていた以上にこの場に馴染んでいないことを実感した。
探索用魔道具――「センサー」は二つ用意してある。
一つはバネッサ自身の私物。
もう一つは、クロエから貸与されたものだ。
それぞれ調律は済ませてある。
片方は対人観測用。
もう片方は対鉱石観測用。
一台だけでは、人と鉱脈を同時に観測できないためだ。
本来なら、認識阻害の魔道具を使えば、人目はかなり減らせる。
周囲の人間から、そこにいる者を「気にしない」状態にする魔道具だ。
だが、今回は使えない。
認識阻害は、センサーの観測結果に悪影響を与える。
鉱石反応の揺れが増え、対人反応も曖昧になる。
隠れるために使った魔道具のせいで、肝心の調査結果が信用できなくなっては意味がない。
だから今回は、制服姿の短期留学生として、普通に歩くしかなかった。
通常の資源調査であれば、複数人で役割を分担する。
だが今回は、バネッサ一人。
複数センサーの同時運用は、彼女にとっても初めての経験だった。
資源調査とは、対象地域にどの鉱物が、どれだけ分布しているかを調べる作業である。
鉱物ごとにセンサー設定を調整し、何度も観測を繰り返さなければならない。
本来なら、地面に触れ、石の混じり方を見て、必要なら少し掘る。
一つの調査ポイントで、三十分ほど身をかがめることもある。
だが、ここは学校だ。
制服姿の短期留学生が、中庭で三十分もしゃがみ込んでいたら、さすがに不自然だろう。
<アキラさん。学校では、どのくらいしゃがみ込んでいても自然ですか>
<十分もしゃがんでいたら、心配されて誰かに声を掛けられるでしょうね>
<え、高校生はしゃがまないのですか>
<落とし物を探す時くらいでしょうか>
<では、私は何かを落としたことにします>
<毎回それをやると不自然ですよ>
「……学校とは、思ったより難しい場所ですね」
バネッサは小さくため息をついた。
今日は手始めに、高校校舎の中庭を調査する予定だった。
高校校舎は北館と南館の二棟構成になっている。
北館には職員室、事務室、保健室など。
南館は一階が特別教室で、二階より上が教室専用。
とはいえ、まだ一学年しか存在しないためか、両館とも三階部分は封鎖されていた。
校舎同士は、東西にある屋根付きの渡り廊下で接続されている。
生徒や教師たちが、そこを頻繁に行き来していた。
中庭は、その北館と南館の間にある。
若い樹木。
新しい花壇。
ベンチ。
出来立ての公園のような場所だった。
まだ植物が土地へ馴染んでいない。
バネッサは中庭の入口で足を止める。
石の混じり方。
土の湿り方。
植え込みの根の張り方。
地面のわずかな傾き。
整えられた場所ではあるが、造成前の地形の癖が少し残っている。
ここは、元は山だった。
削られ、均され、舗装され、植え直されている。
それでも地面の奥には、昔の癖が残っている。
人が忘れても、土地は完全には忘れない。
長年山を歩いてきた感覚が、足元の奥に何かが残っていると告げていた。
「……調査する価値はありそうですね」
中庭の中央に出たバネッサは思わず眉を下げた。
想像以上に、人目が多い。
校舎のあちこちの窓から、こちらを見下ろす生徒たちの姿がある。
渡り廊下も常に人通りがあった。
樹木はまだ若く、身を隠せるほど葉が茂っていない。
ベンチに座っているだけなら不自然ではない。
だが、三十分も地面を気にしていれば、たぶん目立つ。
バネッサは通信機へ小声で状況を伝える。
<初日ですからね>
アキラが落ち着いた声で返した。
<今日は『放課後、ぶらぶらしている人』という印象付けだけで十分でしょう>
<了解です。閉門まで、他のポイントも見て回ります>
さて、と。
ならば、今日は下見だ。
ただの散歩だと思えば、少し気が楽になる。
ただし、ただの散歩にしては、教科書入りのカバンが重かった。
──そういえば、ロッカーがあったっけ。
一度教室へ戻ることにする。
教室には誰もいなかった。
ロッカーへ入れても良かったが、どうせすぐ戻る。
バネッサは入口近くの自分の机へカバンを置いた。
学生カバンを机に置いただけなのに、妙に落ち着かない。
採取師なら、道具を手放す時は必ず周囲を確認する。
出入口。
窓。
死角。
人の気配。
校舎の中の雑音は多い。
バネッサは無意識にそれらを選別していた。
こちらに近づいてくる足音を聞き逃さなかった。
背後に、人の気配。
反射的に振り返る。
教室入口の扉前に、一人の女子生徒が立っていた。
三つ編みの、おとなしそうな少女。
「え……バネッサさん?」
バネッサは、ただの散歩と気分を切り替えていたので、対人センサーの反応を確認していなかった。
完全に油断していた。
だが相手は、ただのクラスメイトだ。
警戒しすぎだ。
目の前の女の子に何の脅威があるというのだ。
バネッサはすぐに、短期留学生らしい柔らかな笑顔を作った。
「えっと……?」
少女は少し慌てたように、胸の前で本を抱え直す。
「あ、同じクラスのアサイです。アサイ・チヅル……です」
チヅル。
たしか、朝のホームルームで名前を聞いた気がする。
ほけんがかり、という役目だったか。
おとなしく、あまり目立たない生徒。
だが、今はこちらをまっすぐ見ている。
「チヅルさん、こんにちは」
バネッサは笑顔でそう言った。




