第5話「チヅル・1」
チヅルは、退屈な毎日に飽き飽きしていた。
新設高校。
まだ一年生しかいない校舎は、どこか寒々しい。
先輩がいないので上下関係の息苦しさは無い。
だが、その代わりに刺激も無かった。
小説やドラマで見るような「高校生活」とは、まるで違う。
入学から数か月。
友達はできた。
けれど、「親友」と呼べるほど近い相手はいない。
中学まで続けていたハンドボール部も、この学校には存在しなかった。
他の部活も一応見学してみたが、結局どこにも入っていない。
母親からは、
「短大への優先入学もあるし、良い学校よ」
と勧められた。
だが、学校の周囲は山と森ばかり。
おしゃれなカフェも。
楽しそうな雑貨屋も。
放課後に寄り道したくなるような場所が、何もない。
……まあ。
仮にあったとしても、田舎臭い三つ編みの自分に、そういう店へ入る勇気があるとも思えなかったが。
毎朝。
住宅街にある家を出て、面白味のない駅まで歩く。
電車に乗り、面白味のない駅で降りる。
そして駅前のスクールバスに乗る。
帰りは、その逆を辿るだけ。
反対方向の電車へ乗れば、繁華街のある駅にも行ける。
けれど友達はみんな部活に入っていて、一緒に遊びへ行ける相手はいない。
一人で行く勇気も出せず、結局そのまま家へ帰ることになる。
家で小説を読んでいる時間だけが、チヅルのささやかな楽しみだった。
寮へ入っている友達は、それなりに楽しくやっているらしい。
ただ、自分には集団生活など無理だろうと思う。
寮へ入りたいとは、これっぽっちも思わなかった。
──もっと、ちゃんと考えて高校を選べばよかった。
◆ ◆ ◆
昼休み。
教室のあちこちで机が寄せられていた。
仲の良い者同士で弁当を広げ、購買で買ったパンの袋を開け、昨日見た動画や、週末の予定や、寮の部屋であった小さな事件の話をしている。
チヅルも、クラスの女子たちの輪に混ざっていた。
いじめられているわけではない。
避けられているわけでもない。
話を振られれば答える。
笑うところでは笑う。
「分かる」と言うところでは、ちゃんと頷く。
それでも、会話の流れに入るのが、いつも少しだけ遅れた。
「今度の休み、駅前行かない?」
「行く行く。新しい店できたんでしょ」
「この前行ったクレープ屋の二階だっけ?」
「そうそう。動画見たけど、クリームの量がすごかった」
チヅルは、その店を知らなかった。
知らないと言えばいいだけなのに、言い出すタイミングを逃す。
スマートフォンを開いて、こっそり検索する。
画面には、クリームの量を間違えたようなスイーツの写真が並んでいた。
楽しそうだと思う。
けれど、自分がそこにいる姿は、うまく想像できなかった。
「チヅルも行く?」
急に名前を呼ばれ、チヅルは顔を上げた。
「え、あ……うん。予定が合えば」
自分でも、曖昧な返事だと思った。
相手の子は気にした様子もなく、「じゃあ後で決めよ」と笑って、別の話題へ移っていく。
チヅルも笑った。
けれど、その笑い方が自然だったかどうかは、自分ではよく分からなかった。
昼休みが終わる少し前、チヅルは読みかけの文庫本を机の中から取り出した。
本を開くと、少しだけ息がしやすくなる。
誰かと話すのが嫌いなわけではない。
クラスメイトが嫌いなわけでもない。
ただ、みんなが当たり前みたいに進んでいく場所へ、自分だけ少し遅れて着く。
そんな気がするだけだ。
チヅルはページの端を指で押さえながら、小さく息を吐いた。
──私は、主人公タイプじゃない。
物語の中なら、こういう時に誰かが手を引いてくれるのだろう。
転校生とか。
幼なじみとか。
不思議な事件とか。
でも現実の昼休みは、ただチャイムが鳴って終わる。
予鈴が鳴った。
クラスメイトたちが机を戻し始める。
チヅルも文庫本を閉じ、何事もなかったように教科書を出した。
そして実際に何事もなくその日が終わった。
◆ ◆ ◆
朝のホームルームが始まる。
担任教師は、たぶん良い先生なのだと思う。
熱心だし、生徒思いでもある。
ただ、少し暑苦しい。
チヅルは、そういうタイプがちょっと苦手だった。
全校集会について何か説明している。
だが、話はほとんど頭へ入ってこない。
その時、教室前方の扉が開いた。
女の子が入ってくる。
「交換留学生の、イシノ・バネッサ君だ」
担任に紹介され、金髪の少女がぺこりと頭を下げた。
「みなさん、初めまして! イシノです。バネッサって呼んでください!」
チヅルは、こんなに近くで外国人を見たことがなかった。
綺麗な金髪。
緑色の瞳。
そばかす一つない白い肌。
軽やかな歩き方。
ただ立っているだけなのに、自然と目を奪われる。
声も明るい。
日本語も驚くほど上手だった。
灰色だったチヅルの日常へ、鮮やかな色彩が飛び込んできたように思えた。
バネッサの席は、出入口側の一番後ろになった。
チヅルはぼんやり考える。
──こういうの、ドラマだったら隣の席だったんだろうな。
そして少しだけ落ち込む。
──私はつくづく主人公タイプじゃない。
◆ ◆ ◆
休み時間になると、クラスメイトたちが一斉にバネッサの席へ集まった。
チヅルは少し離れた場所から、その様子を眺める。
輪の中へ入っていく勇気は無い。
ただ、聞き耳だけは立てていた。
聞いたことのない国から来たこと。
母親が日本人なので日本語が話せること。
本当は高校三年生だが、このクラスへ編入したこと。
二週間だけ滞在すること。
好きな食べ物は、うどん。
……そんな話が聞こえてくる。
話してみたい。
何か、きっかけは無いだろうか。
けれど、都合よくチャンスが転がってくることなど無かった。
気付けば放課後になっている。
チヅルがバネッサの席を見ると、もう彼女の姿は無かった。
クラスメイトたちも、
「もっと話したかったのに」
と残念そうにしている。
──まあ、そんなもんだよね。
チヅルは教科書をカバンへしまいかけ、
そこで、図書館へ返す本があったことを思い出した。




