第21話「エピローグ」
金曜日。
あいにくの雨だったが、早朝のうちに最後の調査を終えた。
これで予定していた全ての調査ポイントの確認が完了したのだ。
──もっと早く、早朝の時間帯が使えると知っていれば楽だったのにな。
そんなことを思いながら、バネッサはレンタルサイクルを返却した。
時間に余裕があったため、校門前まで来てもらったアキラに、調査シートを手渡す。
「お疲れ様でした。これで本当に終わりですね」
「はい、やっと肩の荷が降ろせます」
明日の土曜日は予備日として空けていた。
「せっかくですし、明日はどこか遊びに行きましょうか」
通信越しではなく、直接聞くアキラの声は、どこか安心したように柔らかかった。
◆ ◆ ◆
昼休み。
約束通り、チヅルが学食へ案内してくれた。
「俺も一緒に行っていい?」
調子の良い男子生徒が割り込んできたが、チヅルが「席、なくなるから」と断る。
昼休みの学食はかなり混むらしい。
学食は、想像していた以上に広かった。
カウンターの奥に広い厨房が見える。
巨大なフライヤーや寸胴鍋を見て、バネッサは思わず足を止めた。
(あのサイズ、便利そうだなあ……)
しげしげと厨房を眺めていると、チヅルに袖を引っ張られる。
「バネッサさん、食券を買わないと」
「あ、はい」
食券機の列に並びながら、壁に貼られたメニュー表を見る。
全体的に安い。
「チヅルさん、なんでこんなに安いのでしょう」
「え、なんでだろう」
後ろに並んでいた大学生らしい青年が、苦笑しながら口を挟んだ。
「学園側が家賃とか設備費を持ってるからじゃないかな」
「あー、なるほどです」
バネッサは素直に感心しながら礼を言い、うどん定食の食券を購入した。
カウンターで定食が乗ったトレイを受け取り、空いていた席を見つけて座る。
若者向けなのだろう。
かなりのボリュームだった。
バネッサはうどんを一口すすり、わずかに眉をひそめる。
……出汁が浅い。
麺のコシも弱い。
やはり、自分の店の味には及ばなかった。
ただ、定食についていた小さなカレー丼は、妙に美味しかった。
「バネッサさん、どうかしました?」
「いえ、勉強になります」
「……勉強?」
チヅルは意味が分からず首を傾げていた。
◆ ◆ ◆
食後、バネッサは前から気になっていた事を口にした。
「チヅルさん、聞きたいことがあるのです」
「な、なんでしょう」
「先週、私のこと尾行してましたか?」
チヅルの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「え、あ、あの、その……ご、ごめんなさい」
「いえ、怒っている訳ではないのです。ただ、どうしてだろうなあと」
やはり、チヅルさんだったのか。
バネッサは半分安心する。
「その……バネッサさん、学校の中をいっぱい歩いてたから……。時々しゃがんでたりして、何してるんだろうって……」
チヅルは俯きながら、小さな声で続ける。
「聞けばよかったんでしょうけど……そんな勇気、なくて」
ああ、それは分かる。
バネッサも、人付き合いは得意ではない。
あまり親しくない相手に話しかけるのは、今でも緊張する。
私も、クロエさんやアキラさんから見たら、こんな風に見えているのだろうか。
少し考えたあと、バネッサは鞄の中を探った。
あの日のことを、話題に出すつもりはない。
けれど、何もせずに別れるのも違う気がした。
「えっと……これ」
取り出した名刺を、チヅルに差し出す。
「わたしの……おばがやっているお店です」
「え? うどん屋さん?」
「遠いですけど、もし近くまで来ることがあったら」
少しだけ迷ってから、付け足した。
「……友達価格で、一杯くらいならサービスしてくれると思います」
「友達」
チヅルは、小さく繰り返した。
「ええ。一杯だけですよ」
チヅルは、ぱちぱちと目を瞬かせたあと、嬉しそうに笑った。
◆ ◆ ◆
アキラは作戦室で、バネッサから受け取った調査シートをPCへ入力し終えた。
学園全体の資源量は、予想をはるかに超えている。
これなら、クロエが総帥選で負けることはないだろう。
しかも、調査レポートの主筆は、伝説の採取師――『腹ペコ猫』バネッサ。
彼女が実地調査を行ったとなれば、情報の信ぴょう性を疑う者はいない。
彼女の名前の価値は、本人が思っているよりも高い。
けれど実際の中身は、泣きべそをかいて、笑われると拗ねる、不器用な人だ。
そのことを知る者は、きっと少ないのだろう。
今晩の夕食は、ごちそうにしよう。
料理を見たときのバネッサの顔を想像する。
アキラは思わず吹き出し、コーヒーを一口飲んだ。
◆ ◆ ◆
最期のホームルーム。
「短い間でしたけど、ありがとうございました」
交換留学最終日。
担任が用意してくれたのだろう。
クラスメイト達が、バネッサに花束を渡してくれた。
チヅルの笑顔も、クラスメイトたちの声も、どれも思っていたより胸に残った。
別れが苦手だから。
後が辛くなるから。
バネッサは、ずっと周囲と距離を取ってきた。
けれど今は、もう少しちゃんと話しておけば良かったと思う。
転生者であるバネッサにとって、「学校」は初めての場所だった。
安全で、明るくて、穏やかで。
転生者社会から見れば、まるで天国みたいな環境。
けれど、その中で彼らなりに悩み、迷っているのだと知った。
少し前の自分なら、
「そんなことで悩むなんて」
と、心のどこかで思っていたかもしれない。
けれど今週、自分もまた、クロエ達の前で泣いた。
程度は違っても、自分も彼らと同じなのだ。
未熟で、不器用で、誰かに助けられながら生きている。
それを知れたことが、今回一番大きかった。
花束を抱えながら、
バネッサは、この学校に来て良かったと思った。




