第22話「後日談:チヅル」
カランコロン。
うどん屋の扉が開いた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞー」
昼下がりの店内に、ミサトの明るい声が響く。
店に入ってきたのは、眼鏡を掛けた若い女性だった。
帽子を脱ぐと、一つに編み込まれたきれいな黒髪が見える。
大きなバッグを肩に掛けているところを見ると、旅行者だろうか。
少し緊張した様子でカウンター席に腰を下ろし、壁に貼られた手書きのメニューを眺める。
「えっと……天ぷらうどん、お願いします」
「はーい。天ぷら今から揚げるので、少しお時間くださいね」
女性は「お願いします」と小さく頭を下げた。
待っている間も、どこか落ち着かない様子で店内を見回している。
店長の知り合いだろうか。
ミサトはそう思ったが、今日はあいにく、本人は夜営業まで店には来ない。
しばらくして、湯気を立てる天ぷらうどんがカウンターへ置かれる。
「お待たせしましたー」
大きな海老天。
揚げたてのかき揚げ。
透き通った出汁の香り。
「わ……美味しそう」
「ありがとうございます。店長自慢の一杯なんですよ」
「へえ……そうなんですね」
女性は、少し嬉しそうに笑った。
最初の一口をすすった瞬間、目を丸くする。
それから夢中になったように箸を進め、最後はつゆまで飲み干していた。
「ごちそうさまでした」
会計を済ませる。
けれど女性は、財布を持ったまま固まっていた。
何か言いたげに視線を彷徨わせている。
「どうしました?」
ミサトが首を傾げると、女性は財布から古い名刺を取り出した。
「あの……これ。昔いただいたものです」
「はあ」
「えっと、大学の卒業旅行で、この近くまで来たのですが」
「はいはい」
「私、チヅルと言います。こちらのお店の店長さんの『姪御さん』……バネッサさんは、今どちらにいらっしゃいますか?」
姪御さん?
その言い方に、ミサトは少しだけ首を傾げる。
店長のバネッサは時々、妙な知り合いを増やして帰ってくる。
たぶん、その一人なのだろう。
「ああ、バネッサさんなら、今ちょうど山へ出張中でして。夜営業まで店には来ません」
「……え? 出張?」
女性――チヅルは、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「えっと……うどん屋さん、なんですよね?」
「はい?」
「山……?」
「ああ、うち副業多いので」
チヅルは混乱した。
数年前。
交換留学生としてやってきた、不思議な金髪の女の子。
学校中を歩き回って、
時々しゃがみ込んで、
スパイみたいな顔をしていた人。
あの人は今、またスパイじみたことをしているのだろうか。
ミサトは、そんなチヅルの反応を見ながら、くすりと笑う。
「夜営業は五時からです。お時間あるなら待っていきます?」
「……はい」
チヅルは少し迷ったあと、小さく頷いた。
カウンターの席に座り直し、手に持っていた名刺を見つめる。
何年も財布の中に入れて擦り切れた、小さな名刺。
自分のことを友達だと言ってくれた金髪の留学生がくれたものだ。
数年ぶりの再会が、あと少しで成し遂げられるのだ。
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東北編の第二部「久遠のバネッサ -夏の日-」もぜひご覧くださいませ。




