第2話「黒い来訪者・2」
数か月前。
クロエが所有する商圏――鉱山群の一角にある学園で、大規模な拡張工事が行われた。
元々は大学のみだった施設だが、新たに中学と高校が新設され、敷地規模は一気に拡大した。
そして、山を切り開く造成工事の最中、それまで地中深く眠っていた巨大な鉱脈が露出したのである。
クロエ側としても、詳細な資源調査を行いたい。
だが、問題があった。
そこはすでに、稼働中の学園敷地内だった。
「で、私に高校生の格好をさせて、潜入調査しろと?」
「はい」
クロエは即答した。
「……夜に忍び込む、という選択肢はないんですか」
「難しいですね。この学園には学生寮がありますので」
「寮?」
「はい。寮生が多く、夜間も敷地内に人がいます。加えて、警備員、監視カメラ、巡回記録もある。外部の人間が夜間に忍び込めば、すぐに目立ちます」
「制服を着るよりは、まだ採取師の仕事に近いと思ったんですけど」
「お気持ちは分かります」
「本当に分かってるのかなあ」
バネッサは小さくため息をついた。
聞こえなかったかのように、クロエは話を続けた。
「私の手勢では、年齢的にも能力的にも対応できる者がいないのです」
「先生とか事務員とか、そういう形で入り込めばいいじゃないですか」
「もちろん、その線も探りました」
クロエは静かに頷く。
「ですが、新設校ゆえに教職員を大量採用した直後でして。今から潜り込める余地がありません」
バネッサは金髪をくるくると指に巻き付けながら唸った。
「いやぁ……でも私、高校生とか無理ですよ? こんな見た目ですし」
「外国からの短期交換留学生という形を考えています」
「……仮に調査したとして、採掘はどうするんです?」
「採掘までは必要ありません」
クロエは少し身を乗り出した。
「どういう資源が、どの程度そこに存在するのか。それさえ証明できれば十分なのです」
「そういうものなんですか」
「そういうものです。今回必要なのは、採掘ではなく調査報告です」
バネッサは少しだけ黙った。
掘らない。
見るだけ。
記録するだけ。
それだけ聞くと、普通の資源調査だ。
確かに採取師の仕事ではあるし、バネッサも何回も経験している。
制服を着て学校へ行くという一点が特殊過ぎるのだ。
◆ ◆ ◆
東北商人グループの頂点は、『総帥』と呼ばれる。
グループ全体の方針を決定する、実質的な最高権力者だ。
数か月前、その総帥が高齢を理由に引退を表明した。
それに伴い、次代の総帥を決める競争が始まったのである。
といっても、競争の内容は単純だ。
最も大きな資産を持つ商人が、次の総帥となる。
現在、クロエはグループ内序列二位。
長年、総帥の座を狙い続けてきた。
年齢的にも、今回がおそらく最後の機会。
水面下で着々と準備を進めていた――のだが。
半年前。
他の商人が有力な鉱脈を発見し、莫大な利益を得たことで、グループ内の勢力図が一変してしまった。
クロエは逆転を迫られていた。
そして今、学園の敷地内に眠る鉱脈こそ、彼にとって最後の切り札となっている。
周辺地質から推測する限り、その価値は極めて高い。
もし正式な調査結果を提示できれば、採掘前であっても莫大な資産価値を証明できるのだ。
◆ ◆ ◆
「高名なバネッサさんによる実地調査報告。それだけで、この土地には十分な価値が生まれます」
「えぇ……私、そんな大したものじゃないですよ」
「何をおっしゃいますか。『腹ペコ猫』の名は全国区ですよ」
「……その呼び方、好きじゃないのでやめてください」
「これは失礼しました」
クロエは素直に頭を下げた。
バネッサは額に手を当てる。
「本当にお願いします。その二つ名、すごく嫌なんです」
「承知しました」
「もう絶対、言わないで下さいね」
「かわいいと思うのですが」
「……」
「わかりました、もうそんなに睨まないで下さい」
二つ名の件は、正直どうでも良い。どうでも良くは無いが。
依頼内容を考えると、バネッサは途方にくれてしまう。
資源調査の経験なら何度もある。
だが、高校生への変装など無理だ。
そもそもバネッサ自身、学校へ通った経験がない。
制服。
教室。
学園生活。
どれも自分とは無縁の世界に思えた。
「私、学校生活なんて分かりませんよ」
「必要な範囲で資料は用意します」
「必要な範囲、という言葉が怖いです」
「身元、書類、在籍理由もこちらで整えます」
「整えられるのも怖いです」
「短期留学生ですから、多少不自然でも押し切れます」
「押し切るんだ……」
すると突然、クロエが黒い手袋を外した。
そして両手を揃え、深く頭を下げる。
「お願いします」
静かな声だった。
「バネッサさんしか考えられないのです」
そこで一度、言葉を切る。
「……私を、男にしていただけませんか」
その瞬間。
バネッサの胸に、軽い痛みが走った。
理知的で穏やかなクロエの姿が、一瞬だけギルと重なる。
頭を下げる時、嘘がない。
それはギルが持っていた、美点の一つだった。
豪放で大柄だったギルとは、外見も性格も違う。
それでも根っこの部分が、どこか似ている。
一瞬、押し切られそうになる。
だがバネッサは小さく息を吐き、
「……少し、考えさせてください」
と答えた。
クロエは静かに頷く。
「では、また明日伺います」
明日までに返事をくれ――ということだろう。
丁寧に一礼し、クロエは店を後にした。
店内に静けさが戻る。
バネッサはテーブルを片付け、厨房へ戻った。
クロエが綺麗に食べ終えたどんぶりを洗い、冷蔵庫の中身を確認する。
夜営業の仕込みは問題ない。
小さく息を吐く。
クロエはギルではない。
彼を特別扱いする理由など、一つもない。
依頼は断るつもりだった。
なのに。
あの真剣な「お願いします」が、頭から離れない。
そして、資料の中にあった航空写真も。
校舎。
寮。
グラウンド。
造成された土地。
その端に、白く削られた山肌が写っていた。
山が痛がるはずはない。
そんなことは分かっている。
それでも、長く山に入ってきた身体が、そこだけを見逃してくれなかった。
「……困りましたね」
バネッサは、洗い終えたどんぶりを伏せながら、小さく呟いた。




