第18話「南側エリア・1」
今回の調査対象である学園は、とにかく広大だった。
敷地の中央を東西に一般道路が横切り、それを境に北側エリアと南側エリアに分かれている。
もともと大学が建てられたのは南側だった。
その後、北側の山林を買収し、山を切り崩しながら校舎や施設を増築した結果、現在の巨大な学園が完成した。
現在の南側エリアには、スクールバスの整備場やガレージ、施設管理業者の事務所などが並んでいる。
学校としての機能は、ほとんど残っていない。
旧大学校舎も、数年後には解体予定だ。
今は一部が部活動用の部室として使われている程度だった。
山が削られたのは北側エリアであるため、調査ポイントの大半も北側に集中している。
しかし――。
ぽつんと一か所だけ、南側エリアにも調査ポイントが存在していた。
◆ ◆ ◆
朝食のお茶漬けをすすりながら、バネッサはアキラへ尋ねる。
「アキラさん、なんで南側にもポイントがあるのでしょう?」
「うちの採取師が、『あそこは怪しい』って言うんですよ」
「なるほど。念のため調査しておけ、って感じですかね」
「高校の校舎から、だいぶ離れてますけど……大丈夫ですか?」
「あ、それは大丈夫です。いいもの見つけたんですよ」
いたずらっぽく笑うバネッサ。
昨夜、あれほど泣いていた人とは思えない顔だった。
アキラは思わず胸の内で苦笑した。
久遠というのは立ち直りが早いのか。
それとも、単純にバネッサの性格なのか。
残り数日、ぎくしゃくした空気で仕事を続けるのは避けたかった。
だからこそ、普段通りに戻ってくれたのはありがたい。
残る調査ポイントは、全体の四分の一ほど。
順調に進めば、土曜日は予備日にできるくらいには予定が前倒しできている。
さらにクロエから、
『人目の多い図書館横のポイントは、今回の調査対象から除外して良い』
という判断も出た。
これで精神的にも、かなり余裕ができたのだろう。
「今日、昼休みに南側を見てきますね」
制服のリボンを鏡で整えながら、バネッサはいつものように登校していった。
◆ ◆ ◆
「せんせー、バネッサ、トイレ行っていいですか?」
午前最後の授業中。
バネッサは席を立ちながら手を挙げた。
数学教師が、じろりと彼女を見る。
「……仕方ありませんね。行ってきなさい」
「はーい、ありがとうございますー」
バネッサは軽やかに教室を飛び出した。
この授業を少し早めに抜け、昼休みを丸ごと使えば、南側まで往復できる。
高校校舎は、北側エリアの北東の端に位置している。
学園内は循環バスが運行しているものの、各停留所を細かく停車するため移動に時間がかかる。
昼休みの間に南側を確認し、さらに教室へ戻るには厳しかった。
そこで、バネッサは先週から目を付けていたものへ向かう。
学園内各所に設置されているレンタルサイクルだ。
交換留学生向けに貸与されたゲストカードを端末へかざす。
小さな電子音とともにロックが解除された。
緑色のフレームの自転車を選び、ペダルを踏み込む。
(自転車なんて十数年ぶりですけど……意外と乗れるものですね)
学園内には、造成前から残された樹木が各所に点在していた。
中央には、山の一部を残したまま整備された大きな公園もある。
森の中を縫うように遊歩道が続き、学生たちの憩いの場になっていた。
バネッサは、木漏れ日の遊歩道をすいすいと駆け抜けていく。
風を切る感覚が、心地良い。
昨日の出来事については、もちろん反省している。
今まで以上に慎重に調査を進めると、心の中で誓った。
泣いてしまったこと。
クロエに笑われたこと。
恥ずかしい。
ものすごく恥ずかしい。
けれど、仕方がない。
まだまだ自分は未熟なのだ。
久遠なのに。
──お前は、いつまでものんびりだな。普通はもっと早く覚えるもんだぜ。
数十年前、ギルにそう言われたことを思い出す。
少し悔しくなって、ペダルを強く踏み込んだ。
「まだまだ、成長の途中なんですー!」
誰に言い返すでもなく、バネッサは一人でそう叫ぶ。
木漏れ日が流れていく。
制服のスカートが風に揺れる。
バネッサは樹々の間を、もう一度すいすいと走り抜けていった。




