第15話「バネッサの告白」
バネッサは、その後も何事もなかったように授業を受けた。
生徒総会後の授業は、先生も生徒も疲れているのか、教室全体の空気が気だるい。
ホームルームが終わると同時に、バネッサは教室を出た。
走り出したいのをこらえ、廊下では普通の学生らしく歩く。
普通に。
自然に。
目立たないように。
そのどれもが、今日ほど難しい日はなかった。
放課後、安全と判断したポイントを三か所調査する。
どの地点も、非常に優秀な反応だった。
作業をしながら、チヅルが「見ていない」と言ってくれた時の表情を思い出す。
――あの子は、嘘をついてくれた。
チヅルが、一瞬だけバネッサの手元の魔道具へ視線を向けたことに気づいていた。
あれが何かまでは分からなくても、「何かをしていた」こと自体は察していたはずだ。
それでも、見なかったことにしてくれた。
まずは、そのことに感謝しよう。
少なくとも、あの様子なら他人に言いふらすようには思えない。
だからこそ――中庭での件を、クロエ達に知られるわけにはいかなかった。
そのためにも、今日の調査報告は完璧にこなさなければならない。
◆ ◆ ◆
「ただいま戻りましたー」
拠点へ帰宅する。
手を洗い、バインダーを広げ、本日の調査結果を報告した。
中庭の調査結果を見た瞬間、アキラの表情が変わる。
「……これは、すごいですね」
その反応を見て、バネッサは内心ほっとした。
他の三ポイントの結果も上々。
今日の成果としては、十分すぎるほどだった。
成果が大きければ、細かな違和感は埋もれる。
そう思いたかった。
夕食は、アキラ特製の中華料理だった。
酢豚、水餃子、春雨サラダ。
以前、中華料理店で働いていたことがあるらしく、どれも驚くほど美味しい。
「おいしいです!」
バネッサはぱくぱくと箸を動かす。
綺麗な所作で春雨を持ち上げながら、アキラが静かに口を開いた。
「……今日、中庭で何かありましたか?」
◆ ◆ ◆
アキラは、ずっと違和感を抱いていた。
保健室前での通信を切ったあと、関係しそうな教師や生徒について調べ直した。
バネッサと特別に親しくなった人物はいない。
強いて言えば、女子寮の学生と一時間ほど雑談していた程度だが、それは本人から報告を受けている。
その後、教室で親密に会話している様子も確認できなかった。
誰かを庇っている、という感じではない。
庇うほど深い人間関係は、まだできていないはずだ。
だが、何かを隠している。
その確信だけは消えなかった。
誰かに監視されているかもしれない、という話も無視できない。
しかし、中庭の調査作業中は生徒総会の真っ最中だ。
大半の生徒は体育館に集まっていた。
外部の人間が入り込めば、警備に引っかかる可能性が高い。
アキラは、調査用紙を見返す。
問題の中庭のシート。
上から七割ほどまでは、いつもの整った筆跡。
だが、その残り三割が、明らかに乱れている。
何かが起きた。
そう考えるのが自然だった。
◆ ◆ ◆
バネッサは、追い詰められていた。
中庭での失敗は仕方ない。
だが、その後のフォロー通信もした。
調査も継続し、成果も出した。
それなのに、目の前のアキラは、まだ何かを疑っている。
どこでボロを出したのだろう。
チヅルとの接触は、他の生徒と比べても少ない。
自分の行動と彼女が繋がる材料など、無いはずだ。
中庭と、保健室へ向かう渡り廊下は、アキラの望遠鏡も補助カメラも届かない死角になっている。
チヅルの姿を見られていないことは、ほぼ確実なのだ。
それでも――アキラの視線が怖かった。
ピンポーン。
突然、拠点のインターホンが鳴る。
クロエだった。
「夕食中に失礼。中華ですか、いい匂いだ」
「クロエ……社長、どうして」
「アキラさん、昼過ぎに何度か連絡くれていたでしょう。その後、折り返しもできないままだったので。近くまで来たのでついでに寄ってみました」
クロエは自然な動作で食卓についた。
「これは失敗しましたね。夕食を済ませずに来ればよかったな」
バネッサとアキラは、言葉に詰まる。
「……どうしました、お二人とも?」
アキラが、本日の出来事を順番に説明し始めた。
・生徒総会を利用して、中庭の調査に成功したこと
・その割に、報告が妙に淡白だったこと
・その後、不自然なフォロー通信が入ったこと
・調査用紙の筆跡が途中から乱れていること
「私は、中庭で何か問題が発生したのではないかと考えています」
アキラは真っ直ぐバネッサを見る。
「先ほどから、その確認をしていました」
「なるほど」
クロエは静かに頷いた。
そして、穏やかな声で問いかける。
「で、バネッサさん。何があったんですか?」
「何もありません」
バネッサは即答した。
「最初の通信は、近くに教師がいたので短く報告しただけです。その後の連絡は……中庭の調査結果が上々だったので、アキラさんに早く知らせたかったのです」
「調査用紙は?」
「予想以上の成果だったので、少し興奮してしまったのだと思います」
「なるほどです」
クロエは、それ以上追及しない。
だが、その静かな反応が、逆に恐ろしかった。
――うまく誤魔化せただろうか。
筋は通っている。
証拠もない。
チヅルへ繋がる線も、まだ存在しない。
……今のところは。
バネッサは改めて、クロエを見る。
上質なスーツ。
黒い手袋。
無駄のない身体。
落ち着いたバリトンの声。
そして――うどん屋で、両手を揃えて頭を下げた姿。
「どうしました、バネッサさん?」
似ても似つかないのに、その奥にギルの姿が重なる。
ギルは、いつも見抜いていた。
どれだけ誤魔化そうとしても、自分の嘘も弱さも、全部お見通しだった。
この男も、同じなのかもしれない。
そんな恐怖が、胸の奥を締めつける。
このまま嘘を押し通すつもりではいた。
だが、チヅルはどうだろう。
明日、教室で態度が変わるかもしれない。
アキラは教室を観察している。
ほんの小さな違和感でも、見逃さないだろう。
チヅルに一言でも言っておけばよかった。
教室では自分に話しかけないでください、と。
――結局、自分はこの程度なのか。
昼間に固めた決意は、もう崩れ始めていた。
情けない。
長く生きてきたのに。
どうして私は、こんなにも知恵も力も足りないのだろう。
「バネッサさん?」
言われて、初めて気づく。
いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
「え……すみません。なんでもないのです」
「なんでもないって……」
「バネッサさん?」
クロエとアキラがおろおろと立ち上がる。
その慌てた様子を見て、余計に惨めになった。
バネッサは顔を伏せ、小さく呟く。
「……ごめんなさい」
そして、観念したように立ち上がった。
「……中庭で……調査しているところを……見られたんです」
部屋が静まり返る。
クロエもアキラも、黙ってバネッサを見ていた。
バネッサは唇を震わせながら続ける。
「……でも……その子のこと……殺さないでください……」
声がかすれる。
「……お願いします。お願いします……」




