↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/22

第13話「チヅル・4」

バネッサと一緒に保健室へ入る。


保健の先生は不在だった。

お手洗いにでも行っているのだろうか。


バネッサが、ベッドへ横になるよう促してくる。


「チヅルさん、少し休んでください」

「あ、はい」

「先生が戻ってくるまで、ここにいれば大丈夫です」

「バネッサさんは?」

「少しだけ、席を外します」

「……はい」


そう言って、バネッサは保健室を出て行った。


扉が閉まる。


保健室の中は静かだった。


白いカーテン。

消毒液の匂い。

壁の時計。

誰もいない机。


チヅルはベッドに腰掛けたまま、しばらく膝の上で指を組んでいた。


本当は横になった方がいいのだろう。


でも、落ち着かなかった。

さっきの中庭の光景が、頭から離れない。


金色の髪。

しゃがみ込むバネッサ。

バインダー。

真剣な顔。


そして。


「三分だけ、このまま待っていてください」


教室で聞く、ふわふわした明るい声とは違った。


大人の声だった。

秘密を抱えている人の声だった。


チヅルは、そっとベッドから降りる。


自分でも、よくないことをしているとは思った。

けれど、気になってしまった。


静かにドアへ近づく。


廊下から、バネッサの声が聞こえる。

誰かと電話しているようだった。


いや、電話ではないのかもしれない。


声は小さい。


けれど、ところどころ単語だけは拾えた。


「調査」

「報告」

「中庭」

「完了」


チヅルの胸が、どきんと鳴る。


調査。


やっぱり、何かの調査だったのだ。


しかも、いつもの柔らかな口調ではない。

大人びた、落ち着いた話し方だった。


──バネッサさん、本当にスパイなのかな。


そう考えると、妙にしっくりくる。


美人だし。

金髪だし。

学校中を歩き回っていたし。

地面を見ていたし。

何かを隠しているし。


それに、さっきの中庭の顔は、完全に普通ではなかった。


え、すごい。

本当にスパイだったら格好良い。


そう思った次の瞬間、チヅルは少しだけ怖くなった。


もし本当にスパイなら、自分は何を見てしまったのだろう。

知らない方がいいことを、知ってしまったのではないか。


それでも。


バネッサは、チヅルを怒らなかった。

逃げろとも言わなかった。

ただ、待っていてください、と言った。


それなら──。


チヅルは、バネッサのことを怖がりたくなかった。


電話が終わりそうな気配がした。


チヅルは慌ててベッドへ戻る。

何事もなかったように、毛布を膝へかけた。


その直後、バネッサが保健室へ戻ってきた。


その顔を見て、チヅルは少し緊張する。


深刻そうだった。

教室で笑っている時とは、まるで雰囲気が違う。


バネッサは扉を閉めると、しばらく黙って立っていた。


それから、ゆっくりとチヅルの方へ歩いてくる。


「体調はどうですか?」

「少し、落ち着きました」

「それは良かったです」


バネッサは柔らかく笑おうとしていた。

けれど、うまく笑えていない。


チヅルはどきどきしながら、バネッサの言葉を待った。


「チヅルさん、あの……」


バネッサは少し迷うように視線を揺らす。


「さっきの中庭の件なんですが……あの、……えっと」


その声は、小さかった。


チヅルは、怖いというより。

かわいそうだと思った。


たぶん、バネッサは何かの調査で学校へ来ている。

そして、自分が重大なものを見たと勘違いしている。


だったら、協力した方が良い気がした。


……というか、自分でも何を見たのかよく分かっていないのだけれど。


チヅルは三つ編みの先を指でくるくる回しながら言った。


「バネッサさん」

「はい」

「私、目が悪いので……特に何も見てないですよ?」

「え?」


バネッサが目を瞬かせた。


「バネッサさんがしゃがんでたから、気分悪いのかなって思って声を掛けただけです」

「……本当に?」

「はい。というか、私……」


チヅルは少し迷ってから、続けた。


「気分が悪かったので、それどころじゃなかったんです」


その瞬間。


バネッサが、へなへなと椅子へ崩れ落ちた。


「そ、そうですか……それは、良かった……です。いえ、良くはないですね」


心の底から安堵している声だった。


さっきまで青ざめていた顔に、少しずつ色が戻っていく。


それを見て、チヅルはなんだか嬉しくなった。

自分は、たぶん何も分かっていない。


バネッサが何をしていたのかも。

どうして学校に来ているのかも。

何をそんなに怖がっていたのかも。


けれど。


今、自分の言葉で、バネッサは少しだけ安心した。


それだけで、胸の奥が少し温かくなる。


体育館で感じていた気分の悪さは、もう無い。

代わりに、少しだけ胸がどきどきしていた。


──これで、バネッサさんの役に立てたなら良いけど。


校内チャイムが鳴る。


バネッサは、はっとしたように顔を上げた。


それから立ち上がる。


「私は次の授業から戻ります。チヅルさんは、もう少し休んだ方が良いですよ」

「あ、はい」

「先生が戻ってきたら、ちゃんと体調を伝えてください」

「分かりました」


バネッサは保健室の扉へ向かう。


出て行く直前、少しだけ振り返った。


「チヅルさん」

「はい」

「ありが……いえ、お大事に」


それだけ言って、保健室を出て行く。


入れ替わるように、保健の先生が戻ってきた。


熱を測ると微熱がある。

今日は早退した方が良いと言われた。


放課後にもっとバネッサさんと話をしてみたかったのに。


そう思ったけれど、仕方がない。


スクールバスの時間ではなかったため、チヅルは教頭の車で駅まで送ってもらった。


車の窓から、学園の校舎が遠ざかっていく。

中庭は見えなかった。


けれど、チヅルの頭の中には、しゃがみ込んで何かを書いていたバネッサの姿が残っている。


──本当にスパイだったら、どうしよう。


少し怖い。

でも、それ以上に。


少しだけ、わくわくしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。