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ラスト・サイレンス ― 核の冬に芽吹く祈り ―  作者: tky


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第17話:凍土の取引と、機械仕掛けの希望

【2040年7月16日正午】


約束の正午。


猛烈な勢いで吹きすさぶ雪のカーテンを割り、真っ白に染まった坂の麓に、昨日と同じワンボックスカーがゆっくりと滑り込んできた。


エンジン音は雪に吸い込まれて鈍く、タイヤは幾度も空転を繰り返している。


砦の二階からは、駿と健一が弓矢と猟銃を構え、窓の隙間から階下の様子を血走った目で凝視していた。


万が一相手が武装して突き進んできた場合、即座に命を奪うための態勢だ。


湊、誠、義男の三人は、分厚い防寒具の上から雑誌とガムテープで作った即席の防弾ベストを纏い、正面玄関から凍てつく雪原へと足を踏み出した。


マイナス三十度を下回る暴力的な冷気が、容赦なく肺を刺す。


「……来ましたね」


湊がガスマスク越しに低く呟く。


ワンボックスカーのスライドドアが開き、昨日交渉をしたリーダー格の男ともう一人が、膝まである雪を漕ぐようにして降りてきた。


男たちの顔は寒さと飢えで青黒く変色し、その身体は小刻みに、しかし激しく震え続けていた。


彼らは湊たちとの距離を十メートルほど残して立ち止まると、手に提げていた赤いポリタンク二つを慎重に雪の上に置いた。


そして、何も言わずに両手を軽く上げ、敵意がないことを示してから、逃げるように車内へと引き返していった。


「……罠じゃない。約束通りだ」


義男がバールを握り直す手に力を込め、慎重に距離を詰める。


湊と誠も周囲の雪原に目を光らせながら、ゆっくりとポリタンクに近づいた。


湊が凍りついた手袋でポリタンクのキャップを回し、少しだけ隙間を開ける。


途端に、鼻を突くようなガソリン特有の強烈な揮発臭が、冷たい風に乗って立ち昇った。


「……間違いなくガソリンです。」


湊は大きく手を振って二階の仲間に安全の合図を送り、誠と義男がそれぞれ二十リットル入りのタンクを素早く回収した。


代わって湊が、台車に乗せて運んできたずっしりと重い玄米三十キロの袋を、雪の上に置いた。


その瞬間、少しだけ開いた車の窓越しに、車内の男たちと視線がぶつかった。


防護マスクやマフラーで顔の大半は隠れていたが、彼らの瞳に宿る、飢えた獣のような「生への執着」だけは、痛いほど鮮烈に伝わってきた。


男たちは米袋を見るなり、まるで黄金でも見つけたかのように目を見開き、一目散に駆け寄ってそれを抱え込んだ。


車は米を回収すると、何度か激しくスリップしながらも力強く雪を蹴り、深い轍を残して白銀の世界へと消えていった。


無事に取引が完了した。


その事実は、張り詰めていた湊の凍てついた心に、微かな、しかし確かな安堵の光を灯した。


(彼らもまた、必死に生きようとしている人間なのだ……)


【同日13:00】


「よし、早速こいつを動かすぞ。こいつが動けば、暖房も明かりも手に入る」


車庫の奥の薄暗いスペースに運び込まれたのは、長らくブルーシートの下で眠っていた小型のポータブル発電機だった。


湊たちが手に入れたばかりの貴重なガソリンを慎重に給油し、義男が力任せにリコイルスターターの紐を引いた。


ガチッ!


紐は数センチ引き出されただけで、岩にでも繋がれているかのようにビクともしなくなった。


「な、なんだこれ……引っ張れねぇぞ!」


義男が顔を真っ赤にして両手で紐を引くが、帰ってくるのは乾いた金属音が軋む音だけで、エンジンが脈打つ気配は微塵もなかった。


「くそっ、内部まで完全に凍っちまってやがる!エンジンオイルが水飴か接着剤みてぇに固まって、ピストンが動かねぇんだ!」


長期間、マイナス三十度の極寒に放置されていた機械は、単なる冷たい鉄の塊と化していた。


焦燥と絶望に駆られた健吾が、血走った目で狂気じみた提案を口にした。


「湊、直接シリンダーを開けてガソリンをぶち撒けよう。そこに火を点けるんだ。一気に熱を加えりゃ、こびりついたオイルも一瞬で溶けるはずだ!」


極限状態の疲労と寒さが、大人たちから正常な判断力を奪っていた。


「それしかねぇか……。おい、バーナーを持ってこい!」


義男が同意しかけ、健吾がガソリン缶に手を伸ばしたその時だった。


「馬鹿なこと言わないで!それは自殺行為よ!」


背後から、凛の鼓膜を劈くような鋭い怒声が飛んだ。


凛は和室から飛び出してくると、男たちの手からガソリン缶を奪い取るようにして力ずくで遠ざけた。


「氷点下三十度の外気の中で、冷え切った金属にガソリンをかけて火をつける?気化したガソリンがどれだけ危険か分かってるの!?」


凛の瞳は怒りに燃え、その迫力に屈強な男たちがたじろぐ。


「そんなことをすれば、発電機が温まる前に爆発するか、車庫全体が火の海になるわ!」


凛の科学的な理詰めと、獲物を射抜くような鋭い視線に、健吾と義男は憑き物が落ちたようにハッとし、蛇に睨まれた蛙のように沈黙した。


「……分解して、和室に運びなさい。ストーブの傍で少しずつ解凍して、オイルを入れ替えるの。私たちの命を繋ぐための道具を、そんな雑に扱わないで」


凛の静かだが絶対的な命令に、男たちは反論することなく、黙々と工具を手に取った。


【同日16:00】


数時間後。


凛の指示通り、主要な部品は和室のストーブの熱で丁寧に解凍された。


ドロドロに固まっていた古いオイルを拭き取り、寒冷地用の車の予備オイルを注がれた発電機が、再び車庫に据えられた。


「……頼む、動いてくれ……俺たちを助けてくれ……!」


湊が祈るようにスターターの紐を握りしめ、全身の力を込めて勢いよく引いた。


ブルルッ……という鈍い音が響く。


もう一度、引く。


「キュルルルルッ、ババババッ!」


三度目。


ついに、甲高い機械の咆哮が車庫の静寂を切り裂いた。


青白い排気ガスが吐き出され、力強い振動がコンクリートの床を伝わってくる。


「動いた……!動いたぞ!」


義男が歓喜の声を上げ、健吾は発電機の冷たいカバーに額を押し付けて泣き崩れた。


延長コードを伸ばし、和室に設置した裸電球のスイッチを入れる。


チカチカと瞬いた後、オレンジ色の暖かな光が、絶望に沈んでいた和室を明るく照らし出した。


文明の光。


それは、彼らが失ってしまった日常の象徴であり、圧倒的な生への希望だった。


誠や由美子、そして子供たちまでもが、その明かりを見て不意に涙をこぼした。


だが、湊は感傷に浸ることなく、すぐに次の行動に移った。


発電機の電力を用いて、ドライヤーやハロゲンヒーターなどの家電を床下へ持ち込み、掘削効率の検証を開始したのだ。


「ドライヤーは局所的すぎて電力を食いすぎますが、ハロゲンヒーターの輻射熱は効果的です。土の表面の霜が溶けて、スコップが入る。これなら、お湯を使わなくても土を溶かせる!」


希望の光が見えたことで、大人たちの目に活力が戻り、疲労を忘れて夜を徹した掘削作業に没頭していった。


【2040年7月17日朝】


しかし、核の冬の残酷な現実は、希望にすがる彼らをすぐに追い詰めた。


翌朝、外気温はついに氷点下三十五度を下回った。


どれだけ目張りをしても、床下からの底冷えが凶器のように這い上がり、足先から感覚を奪っていく。


希望が見えたからこそ、大人たちは己の肉体の限界を超えて、無理を押した重労働を続けていた。


その最中だった。


床下から運び出された重い土嚢を一人で持ち上げようとした川上鉄造が、「ぐあッ……!」という悲鳴と共に、その場に崩れ落ちたのだ。


「鉄造さん!」


湊が血相を変えて駆け寄ったが、七十五歳の鉄造は顔を苦痛に歪め、脂汗を流しながら指先一つ動かせない状態だった。


無理な重労働と極寒がたたり、腰の筋肉と神経を激しく痛め、完全に破壊してしまったのだ。


「……すまん、湊……。俺は、ここまでみたいだ……」


鉄造の掠れた声が、湊の胸を鋭く抉った。


(俺のせいだ……。効率ばかりを優先して、大人たちに無理をさせすぎた……)


きよの負傷、陽太の死、そして今回の鉄造の離脱。


皆を生かすための決断を下し、希望を見出そうともがくたびに、それが反動となって一人、また一人と仲間を壊していく。


湊は鉄造の震える手を握りしめながら、暗い穴の底で、底知れぬ後悔と自己悪悪に沈んでいった。


(俺は、本当に正しいことをしているのか……?俺のやり方で、本当に皆を救えるのか……?)

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