第7話
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しわくちゃな制服だけをデスクの上に返却してバイトを飛んだ、そんな夜が明けて土曜日がやってきた。
夢乃さんの自殺願望から目を背けるために、距離を置いたこの一週間ほどで、僕には偶然にも死を体感する機会が立て続けに訪れた。親戚の葬式では死んだ体の惨めさ、周りの人間が持つ悲しみの呆気なさが脳内に残った。そして店長の自殺未遂は、人間が自殺したら周囲の人はどのように変化し、振る舞うのか。それが明らかになる予行練習だったと思う。この世界はこれほど陰湿なものだったのかと、朝一番に浴びた風から思う。
彼女の家へ向かうことは悔しいというか、情けなくもあった。もう二度と会わないんだと自信満々に飛び出したくせに、バイト先では居場所がなくなり、十分な生活費もない。かといって新しいバイトを見つける気も起きないので、彼女に生活を支援してもらうしかない。親にはいくらせがんでも渡されるのはちんけな小銭だけだ。
今思えば夢乃さんは元々死ぬつもりでいたから、お金を節約するという概念をとうに捨てていて僕のためにも惜しまずに使ってくれていた。彼女の貯金が底を着く時、それがもしかしたら彼女が死ぬ時なのかも分からないのに、それを理解した上で居候しに行く。こんな姿を両親には見せれないと思った。
彼女のマンションに着いて、インターフォンに微かに震える指先で部屋番号を入力する。そして向こうとつながった瞬間に彼女が何らかの声を発して、目の前のガラスドアは開いた。とりあえず生きてくれてよかったと強く思った。
エレベーターを使い、ドアの前に立って、そのさらりとした玄関ドアをさする。このドアが開いたその瞬間に、また夢乃さんと無関係ではいられなくなる。どうにか自然に生きれる人間になってはいないかと願った。
そんな風に考えていて玄関の前でまごついていると、ドアは向こうから開いた。
「もう、待ってましたよ。」
唐突に聞こえた声と、やっぱり見惚れてしまう表情に僕は軽く動揺した。
「あの、、」
「なんですか?」
「一緒に死ぬ覚悟ができたとかそういう訳じゃないんです。」
まずは一番にそれを伝えると夢乃さんはゆっくりと頷いた。
「むしろ君を生かし続けるために来ました。」
「そういう訳ですか。」
彼女は特に表情を変えることもせず、僕の手を引いた。そして玄関のドアは勢いよく閉まった。
夢乃さんの部屋は変わらず生活感が無いままで、今日は来ているスウェットすらも真っ白だった。僕が前に座っていたクッションはおそらく、一ミリも動いていないままだと思う。何も変わらない、避けきれない運命のようなものを何となく感じる。
「あの日から今日まではどんな感じで生きていたんですか?」
姿見鏡の僅かな汚れを拭き取ろうとする夢乃さんにそう投げかけた。
「疲れましたよ。君にもう一度会うまでは生きなくてはいけない訳だから。でもいつ帰ってくるか分からないし、もしかしたら帰ってこないかもしれないし。」
彼女は当然のようにそう答えた。生きなくてはいけないという不思議な言葉を使いながら。
「自然に生きれた訳じゃ無いんですね。」
「自然に生きるって?」
ふんわりとした僕の認識が、夢乃さんには上手く伝わらない。
「何というか、身近な幸せを喜んだり、生きてる意味なんて考えることもなく。そして何より自分で人生を終わらせようとしない、、みたいな。」
「繰り返す毎日を受け入れるってことなんですかね。」
彼女は何とか理解しようとしてくれる。
「とにかく、自ら死ぬようなことが何よりも不自然です。」
彼女のような見た目の人は尚更。色んな人の理想の上に立っているのだから、それなのに死にたい気持ちを持つことは不自然で仕方ない。
「そうだ、そういえば僕は昨日バイトをやめたんですよ。」
「え、どうしてですか?」
硬い床に敷かれたクッションに座り直し、昨日のことを夢乃さんに打ち明ける。
「店長が精神的に病んで自殺未遂をして。」
彼女は僕の言葉に目を見開く。まるで同胞の人間に出会ったかのように。
「ここにずっといて僕がバイトに行かなくなってから店長は限界を迎えたみたいで。別に何をしたわけでもないのに、それだけでバイトの人たちは自殺未遂の責任を僕に押し付けようとしてきて。」
「生きてはいるんですね。」
「そうです。生きてはいるのに周りの人は本当に死んでしまったように僕を責めるんです。だからもうこんな所に居場所はないって思ってやめました。」
夢乃さんは僕の正面に座り込み、まるで貴重な証言を聞くように真剣な表情でいた。
「店長本人は死んだら全てが終わりだと思いながらそういう行為に走ったんでしょうけど、周りの人達からしたらその瞬間が不幸の始まりです。」
「悲しかったってことですか?」
「そんなに悲しくはなかったです。でも誰か一人が責任を取らなくてはいけなくなるんです。そうじゃないと全員が不幸な気持ちになるから。だからみんなその責任を一人に押し付けることに必死になってました。」
「だからもう、もし君が死んでしまったら耐えられる精神状態じゃないです。」
僕は夢乃さんの瞳に訴える。自殺なんてあまりにも無責任だと。
「もし私が死んでも君のせいにはならないですよ。絶対に。」
「その原因は本人が決めることじゃないんです。関係ない人達が勝手に決めるんです。」
そう告げると彼女は少し悲しそうな顔をした。
「だから君が思ってるほど上手いこと幸せにはなれないと思います。」
洗濯機の作動音は今日も変わらず耳に届く。
「死ぬことを考えるよりも、自然に生きる練習をしましょう。」
「どうすればいいですか?」
僕はとりあえず部屋を見渡してみる。そこでまず目に入ったのが未使用に近いキッチンだった。
「料理でも作りましょうか、二人で。」
「分かりました。」
夢乃さんは少し驚いた顔をしたのち、微笑んだ。
冷蔵庫を開けると中央に二等分されたうちの半分のケーキが置いてあった。それを「君のために取っておきました。」と彼女は言い、僕はとても嬉しくなった。でもケーキ以外にはほとんど何もなかったので、まずは二人でスーパーへ買い出しに行くことになった。
窓の外では雨が降り出していたので、彼女の傘を借りて外へ飛び出した。雨で湿ったアスファルトに足音がピチャピチャと音を立てる。「何を作りますか?」と笑顔で聞く夢乃さんの語尾は少し跳ねていた。




