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余韻  作者: 紫川拓海
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第5話

                      ***

彼女の家を出てからすぐに、岩手の両親から連絡が届いた。それは遠い親戚の訃報だった。僕は数度会った程度の関係だったので「土日を使って葬儀に来て。」と言われた時は少し憂鬱だった。でもしつこく頭から離れなかった夢乃さんのことを振り払うためのいい機会かとも思い、新幹線で実家に帰省した。

 実家の引き戸を開けると懐かしさと言うよりも世界から取り残されたような変わらぬ空気が外界へと流れ出してきた。そして奥からやってきて聞こえた母の少し冷たい声質も変わっていなかった。

 「久しぶり、こういう時にしか帰ってこないから。」

 「そりゃ、自由にどこか行ける暇がないからね。」

 「無理は禁物よ。もう少しはこっちにも顔出してね。」

 もう少し僕に金銭的な余裕があったら顔ぐらい、いくらでも出していたと思う。

 「余裕ができたらそうする。」

 「なんか、いつもそんなこと言ってるけどね。」

 どうして母は僕の金銭面での困窮をそんなに他人事のように捉えるのだろうと思った。両親が豊かな生活を送れていないから、僕もそんな風になってしまうわけだし、貧しさとか、苦労とか、品のなさとか、そんな部分は遺伝のようなもので不可避だ。そんな母親の後ろ姿にはやっぱり嫌悪感が生まれてゆく。

 親戚の葬儀はお通夜は無く、明日の告別式だけだった。夜には父と母と久しぶりに食卓を囲んだ。年季の入った木製のテーブルにそこまで彩りのない料理が運ばれてくる。それらを大した会話もせずに口に運んでいく。外の風は少し強く、窓枠がカタカタと揺れながら音を立てる。口にした煮物は素朴ながら美味しかった。でも、どうしても実家の空間は冷たくモノクロに見える。掛け時計や飾り棚に置かれる見知らぬ地域のお土産など、部屋の装飾品は幼少期から停滞している。そんな実家を変わらない居場所として愛でれないのは、僕自身がひねくれているのかも知れない。

 ただ唯一、テーブルの隅には母が先月から始めたというフラワーアレンジ教室で作成した作品が遠慮なく置かれていた。蜜のような花々の芳香が素朴な夕食の匂いと混ざり合う。それが無性に嫌だった。

 

 翌日の告別式は家族葬の形式であっさりとしたものだった。喪服に包まれた親戚が十数人と、亡くなった親戚が入居していた老人ホームの従業員も制服姿で葬儀場に集まった。祭壇花の中央に置かれた遺影を見ても、故人との思い出を頭の奥から引っ張り出すことはできなかった。この人に一度でも頭を撫でられたりしたのだろうかと、静寂な空間でふと思う。

 そうしてあまり感情が動かぬまま気づくと葬式は終わりに近づき、生身の故人を見送る最後の時間がやってきた。各々に何輪もの花束が渡され、棺桶の隅々までその花束をゆっくりと置いて敷き詰めていく。僕は眠るように目を閉じていた顔の横にそっと花束を飾った。

 その時に、ようやく故人に対してうっすらとした面影を感じた。同時に僕の心には微かな悲しみが生まれた。だからこの世から消えてなくなる前にと、僕の指先が故人の頬に軽く触れた。

 しかし指先で触れたその瞬間、蝋人形のような皮膚の硬さと想像もできないほどの冷たさに驚愕した。病院で、それも老衰で亡くなった故人は綺麗な死に方をして、しかもその身体をすごく丁寧に扱われて、棺桶に横たわっているのだと思う。どれだけ綺麗に死んで、どれだけ丁寧に死化粧をしても、死んでしまえば惨めで、その作り物のような身体から感じる嫌悪感は拭いきれない。

 それなのに自殺なんてしてしまえば、触れようとも思えないほど無残な単なる残骸として世界から散ってゆく。そんなのはやっぱり受け入れられるはずもない。

 その後故人は灰になり、残った塊は親族で壺の中に入れ込んだ。そうして葬式が終わると、親戚たちはこれまで我慢していた笑顔を解放させるように、そこらで賑やかな声が飛び交った。久しぶりに会った親戚が次々と「昔のこと覚えているか?」とか「東京の人って感じになったね」とか「どんな会社に就くんだ?」だとか僕に矢継ぎ早に質問を投げかけて来た。数分前まではあんなに悲しそうな顔をしていたのに、まるでそれが嘘のようだった。

 そして最後には全員分の弁当と飲み物が支給されて会食が始まった。故人の白木位牌と骨壷は会場の隅にぽつんと置かれ、両親含め親戚はビールを注ぎ合い乾杯をする。一人の死が導いた親戚同士の再会の場。楽しげに思い出話を繰り返す親戚たちを見ていると、本当に故人を偲ぶために集まったのか、それともこうして酒を飲んで談笑するために集まったのかどっちなのか分からなくなってくる。

 気がつくと僕が触れていた空のコップにも黄金色したビールが注がれている。「ありがとうございます。」ととりあえずは礼を言っておくが、僕にはさっきの皮膚の冷たさが指先に感覚として残っていてこれを飲み干せる気もしなかった。

 晴天を忘れたような田舎の寂れた葬儀場で、コップが空になってはビールが注がれ、あちこちで絶えない笑い声が漏れ出し、親戚は皆、一人の死に対する悲しみよりも僕に再会できたことを喜ぶ。隅に置かれた骨壷の中の骨のように、死への悲しみはあっけなくも灰になる。

 こんな場所では死にたくないと、愛想笑いの奥で強く思った。

 

 そんな葬式終わりの夕方に、慌ただしくも僕は東京に帰る予定だった。なので最寄駅までは両親が車で送ってくれた。

 「立派な息子さんだって、みんな言ってたよ。ありがとうな。」

 父は僕の肩に触れながらそう言う。父はよく言えば優しい、でも悪く言えば威厳がない。

 「何をしているかってよりも、東京で生活しているだけで立派に見えているのかな。」

 「お前はちゃんと東京で生きてるんだからそれだけで十分だ。」

 東京で生きている、それは普通のこと。当たり前のこと。本当は女性の家に居候していたことなんて、目の前の両親は知る由もない。

 「もう少し顔を見せてくれたら尚いいんだけどね。」

 母はまたそんなことを口にする。でもやっぱり僕は人が死なない限りはわざわざここに戻ってこようとはこれからも思わない気がする。

 新幹線に乗り換える主要駅までのガラガラの電車内で、僕はそっと座席に座り、次に戻ってくるのはいつだろうと考える。窓の外では注ぐ夕日は田んぼに反射していた。この町は囲われた山のせいでおそらく日照時間も短い。

 嫌と言うほど変わらない故郷の全て、遺体の惨めさ、そして霧のように希薄な死への悲しみ


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