↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
余韻  作者: 紫川拓海
PR
20/32

第20話

 濁った墨のような風が肌に吹き付ける。そうして僕らは揺れるように歩いてゆく。どこかに落ちてしまいそうな気分だった。

 「私たちの箱庭。完成しないまま死んでしまうのは少し残念ですね。」

 「未完成の作品ということにしておけば良いんじゃないですか?」

 そう言うと彼女は笑う。この人は本気で死ぬつもりでいるのに呑気なものだと思った。

 「でも、私たち以外にも誰か一人くらいは、この川で死んでいますよね。」

 「うん、きっと何人かは。」

 僕もひょっとしたら死んでしまうかも分からないのに、呑気だった。彼女の淡い色したシャツを眺める。そして目の前を穏やかに川の水が流れてゆく。どうにか二人が死なないようにと願いながら唇を噛む。

 「私、どうして一緒に死ぬなら君が良いと思っているのか、実は自分でもよく分からないんです。」

 「そうなんですか?」

 「はい。でも絶対に君が良いんですよね。誰よりも君が。」

 そう言われて、僕は素直に照れる。

 「そういう、この人が良いって言う気持ち、普通は愛って呼ぶんですけどね。」

 「もしも生まれ変わったら、次はちゃんと愛を持てる人になりたいです。」

 もしもではなく、今から生まれ変わる。死の淵から生還して、目を覚ました時にはきっと彼女は愛を持った人間になれる。

 「きっと持てると思います。」

 ただ流れるように時間は過ぎる。十九時五十分の小川は人の姿もほとんどない。まるで世界の端っこ、僕らだけの空間のように思える。

 「ああ、そうだ。最後の晩餐食べてなかったですね。」

 「今日までに味わったことがないものだったら何でも良いって言ってましたよね。」

 そう言うと彼女は無言で頷く。僕はポケットを弄ってさっき買ったタバコとライターを差し出した。

 「私、最後の晩餐タバコですか?まあでも、それもいいか」

 彼女は笑いながら、不器用な手つきでタバコの先に火を灯す。ゆらゆらとした白い煙が上空へと上がり、副流煙が僕の体内に入り込む。

 「タバコってこんなに美味しくなかったんですね。」

 「ごめんなさい、こんな晩餐しかなくて。」

 「いやでも、美味しくないものの方が未練が残らずに済むのでね。」

 笑う彼女の口先から、白い煙が溢れ出す。僕はただそれを見続けて灰が落ち切るのを待つ。「君も一緒に吸えばいい。」と言われても、どうしてもそれを口にはしたくなかった。

 そしてタバコの火は五分ほどで燃え尽きて、時間が迫るにつれて、僕らは自然とお互いの目を見つめ合う。

 「じゃあもう良いですか?」

 「はい。」

 どうしてこの人はこんなにも躊躇をせずに、死に向かえるのだろうと思う。その瞬間を迎えるためだけに生きてきたような、そんな真っ直ぐさが彼女にはある。

 「これで体を結びつけたいんですけど良いですか?絶対に離れないように。」

 彼女はポケットからアクリルの紐を取り出した。

 「これは必要ないと思います。」

 「離れたりしないですか?」

 「お互いが死ぬために、心で繋がっているので要らないです。」

 「そうですね、確かにそうかも。」

 彼女はそう笑いながら、紐を草木へ捨てる。体を縛られたりなんかしたら僕は本当に死んでしまう。

 「せーので飛び込みますか?それとも、、」

 「少しずつ。」

 僕らは橋を飛び越えて、川辺に座ったのち、ぬるい川へ足を入水させる。そしてゆっくりと足を川の底へと沈めてゆく。川底はぬかるんでいて、そのまま立つとバランスを崩しやすい。想像よりも深い川の中で、僕は僅かな恐怖を抱いた。彼女はそれでも嬉しそうに川の真ん中へと僕を誘導する。

 「紐はいらないですけど、抱きつかせてください。」

 そう言って彼女は水の中で僕の体に密着する。濡れた彼女の肌がしっとりと触れる。悪い意味で夢のようだった。

 「ちょっと苦しいですよ。」

 「ごめんなさい、でも離れたくないから。」

 そう言って更に僕らの体は近づいてゆく。

 「なんかあっけないですね。」

 川の水は既に、喉元まで達する。パニックにならぬよう、心を落ち着かせるためにあえてそんな事を口にした。

 「もう、何も心配する事ないんですよ。」

 彼女はそう言う。僕の体は確かに川底へと引き摺り込まれてゆく。僕らは多分大丈夫だ、生きてられる。でも勿論本当に死んでしまうかも知れない。僕はあえてそんなリスキーな方法を選択した。必ず助かると確信していたら、それは自殺未遂とは呼べないからだ。本気で死に挑み、死ぬ可能性を残した上で、生き延びる。それこそが正解なんだと信じている。

 「ねえ、もう喋れるのも今のうちですよ。」

 彼女は水面のギリギリでそう言う。

 「うん。もうちょっとだけ話したいです。」

 僕は川の水が口に入らぬよう、顔を上げながら話す。

 「生まれ変わったら、次は僕と恋人になりましょう。」

 「今世は私のために死んでくれるんだから、次は死ぬほど愛します。」

 「それなら良かったです。」

 二十時がやって来た。その瞬間、彼女は勢いよく僕を引き摺り込んだ。そして水が口に入ってくる。そして鼻先が水中に、視界も歪んでゆく。僕は水中で彼女と一つになる。

 真っ暗、深海のよう。必死にもがく。信じられないほどに重く、苦しい。轟音が耳にこだまする。彼女の顔なんて見れやしない。ああ、本当に死んでしまう。やっぱりこんなの違う。死んでゆく。呼吸が止まる。川の水を吸い込んで、醜い死体になる。意識は遠のいてゆく。だめ、苦しい。もう、、終わり。全ての終わり。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。