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余韻  作者: 紫川拓海
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第19話


 栞書店は今日もひっそりと営業している。繁華街からこっちの地域へ移動するとその静かさに心地よさを感じる。点在している飲食店は繁華街のように強引に客を寄せる事もない。

 「お邪魔します。」

 栞書店の引き戸は相変わらずやけに大きな音を立てる。

 「青山さん、良いところに。暇すぎるので会話相手が欲しいと思ってたところです。」

 「そうなんですね。」

 相変わらず、坂井さんはまるでここが自宅であるかのように自然体で僕を向かい入れる。

 「て言うか昨日、箱庭日記更新してないなって思って。これまで一日も欠かしてなかったのに。」

 無邪気な顔でそう言われると、すぐには言葉を返せない。もうその全てが無意味になっていることも目の前の彼女は知らない。

 「なんていうか。毎日同じ部屋の写真を撮ってて飽きたというか。マンネリ化したって言うか、、そんな感じです、、」

 「ああ、そう言う事だったんですね。」

 僕の即席の言い訳も、疑う事なく受け入れてくれる。

 「じゃあそれなら、私良いこと思いつきました。」

 そう言うと坂井さんは裏に一度戻り、本格的な一眼レフを手にして戻ってきた。

 「私大学時代に、写真サークルに入っていたんです。だから、私に二人の写真を撮らせてください。それを箱庭日記に上げるというのはどうですか?」

 「ああ、なるほど。」

 今更写真なんか撮ってもらっても意味がいないという思いもありながら、坂井さんの形のない優しさに触れて、心は温かくなる。

 「箱庭日記に私が送った本が映るたび、自分って誰かの役に立てているんだなって思うんですよ。自殺願望を完全には捨てきれていない私にとっては、そんな感情がものすごく大切なんです。」

 一眼レフの望遠レンズに触れながら、しみじみとそう言う。

 「もう十分すぎるくらい僕達を支えてくれてますけど、でもせっかくなら撮ってもらおうかな。」

 「本当ですか。やった。」

 坂井さんは「やっと彼女さんに会える。」と嬉しそうに呟いていた。現実はこの人が想像しているものと正反対に進んでいるのに、この能天気さは少し前の自分自身を見ているようだった。だから坂井さんも夢乃さんの有料日記は見ていないんだと思う。

 「じゃあ、近くの小川の橋の上でどうですか?私あそこが好きでよく撮りに行くんです。」

 「分かりました。そこで待ち合わせですね。」

 「栞書店が十九時に閉まるので、二十時くらいですかね。」

 坂井さんの言葉の語尾は跳ね上がり、彼女の高揚感が感じ取れる。

 今日の二十時、小川の橋の上で、坂井さんと約束を交わした。 

 「きっと特別な時間になる気がしますね。」

 僕はそう呟く。きっと、あまりにも特別すぎる時間になると思う。


 栞書店を出た後は、そのまま久しぶりに自宅へと戻った。数日前に干した洗濯物がベランダに放置され続けて、まるで時間が止まったような部屋は何だか不思議だった。時計の針は十五時を指す。それほど時間がある訳でもない。だから、こんなことに躊躇している場合ではない。

 僕は一人静寂とした部屋で、夢乃さんに電話をかける。

 「もしもし。」

 「どうしましたか。」

 今日も彼女は変わらない様子でいる。今誰とどこにいるのかはもうどうでもいい。

 「あの、今日の夜。どんな予定があったとしても僕と一緒にいてください。」

 「え?」

 彼女は驚きと、僅かな喜びに包まれたような声を発する。

 「一緒に死にましょう。」

 「え、、、」

 しばらくの間、沈黙が流れる。それを打ち切るために、僕は再び言葉を送る。

 「もう、君と死にたいと思いました。」

 「本当に?嘘じゃないですか?」

 「嘘じゃないです。でもその代わり、僕が選んだ方法で逝きたいです。」

 彼女の声は明るく踊り出す。自分が今日死ぬと分かった瞬間に喜ぶ、彼女の感情がもはや怖かった。

 「方法は何だって良いです。君と一緒なら。」

 どうしてそれほどまでに、僕と死にたいのだろうと、不思議に思う。

 「どこにいるんですか?今すぐ会いに行きます。」

 「今は自宅の方にいます。」

 「分かりました。」

 電話が切れた瞬間に、多大な達成感と同時に途方もない緊張感がやってくる。ただ僕にはもう後戻りをすることなど考えられなかった。

 僕は何となくコンビニに行き、銘柄もよく分からないタバコを買った。タバコなんて一度も吸ったことないのに、僕は何をしているのだろうと思った。

 そしてアパートへと戻ると、もうすでに夢乃さんは玄関扉の前でしゃがみ込んで待っていた。錆びた手すりの向こうから西日が差し込んで、彼女は僕の姿を見つけて微笑む。

 「早いですね。」

 「君の気が変わらないうちに、詩乃のことはもう置いてきました。」

 そんな雑な扱いをしても関係が破綻しない彼女らのことが僕は不思議だった。

 「とりあえす入ってください。」

 僕は初めて、夢乃さんを自分の部屋へと招き入れる。部屋には読みっぱなしの小説や、いつかの旅行で買ったお土産も誰にも渡さぬまま、置いてある。

 「何だか、全てが途中みたいな部屋ですね。」

 「君と出会ってから、時間が止まったままです。」

 そう言うと彼女は少し悲しそうな顔をした。きっとこんな散らかった部屋は嫌なんだろうと思う。

 「私と出会わなければ、死にたいなんて思わなかったんですもんね。」

 「そうです、でも。もう今更そんな事を言っても仕方がないんで。」

 僕と死にたいと言っているくせに、彼女はそう言いながら罪悪感に包まれたような表情をする。

 「私のせいで、君は色んなものを無くしましたよね。挙句の果てには私と一緒に死ぬことになって。」

 「全てが君のせいですよ。僕は単純に君と恋愛したかっただけなのかも知れない。でもいくら時間を使っても君は死にたいままで。そんな夢乃さんのことが僕は嫌いになったのかも知れないです。」

 僕がはっきりとそう言うと、彼女は泣きそうになり顔を背けた。

 「そうして嫌いになっても、無関心にはなれない。もう君を忘れて一切の悲しみから逃れたいので、君と死ぬんです。」

 「僕はいつまでも君と生きたかった、死にたいなんて微塵も思っていなかった。なのに君のせいで死にたいと思ってしまった。全てが君の責任ですけど、それでも、君は僕と死にたいって思いますか?」

 この瞬間が、最後の質問だった。これでダメならばもう本当に自殺未遂を成功させるしか方法はないのだと思った。

 「はい。死にたいです。君と死ねるのが夢みたいです。」

 彼女は葛藤することもなく、真っ直ぐと言葉にする。その潔さが清々しく、逆に諦めるしかないとキッパリと思えた。

 「だったらもう仕方ないんです。最後は幸せに死にましょう。」

 「ごめんなさい、ありがとう。」

 薄汚れたカーペットの上で、嬉し涙か、悲し涙か、そのどちらかを流す夢乃さんの頭をそっと撫でた。そんな死に取り憑かれている彼女を浄化する為に、僕は慰める。

 「僕は川がいいと思うんです。」

 「何処だっていいです。君と一緒ならついていきます。」

 彼女の濡れた瞳が僕を見つめる。時刻は一六時を過ぎようとしている。

 「今夜の二十時に、川の中で一緒に死にましょう。」


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