第17話
中華屋を出て商店街を歩いてゆくと、自然と彼女ら二人が前を歩き、僕はその背中を見つめていた。二人の笑い声が聞こえる度に、夢乃さんを略奪されたような気持ちになる。夢乃さんにとって最も価値のある存在は、恋人でも親友でもなく、心中相手なのだから。
そんな僕にとっての邪魔者とは僕らの最寄駅の二つ手前の駅で別れた。ガラガラの車内で突如二人の時間が訪れると、どうしようもなく複雑な気持ちに苛まれる。何を話せばいいのか分からない。何よりも、彼女が嫌がって逃げ出した箱庭に、どのような気持ちで帰ればいいのか、そんな不安が揺れる電車内で絶えず僕に付き纏った。
彼女が玄関ドアの鍵を差し込み、ドアを開けるとアロマストーンから柑橘系の香りが玄関先まで香る。そしてリビングには大小様々な観葉植物、ぬいぐるみ、積み重なった小説、海外のポスター、オルゴールにアートフラワー、空の水槽、瓶に詰められたハッカ飴。箱庭を彩るモノが多少の秩序を保って並べられている。彼女はこの全てが嫌で堪らないんだと僕はもう理解している。
「箱庭計画のこと、もっと君に相談しながら進めればよかったとは思いますけど。でも君が一緒に死ぬ存在を見つけるために始めたんじゃ無いんです。」
僕は夢乃さんの背中に向かって、言葉を放つ。
「言い訳じゃなくて、私も死にたいなんて思わずに生きれるようになりたかったんです。でも、生まれながらの自殺願望は消えそうもなく、諦めてしまいました。」
彼女は僕に背を向けたまま、声を震わせる。
「押田さんに出会ってから、僕のことなんてどうでも良くなったんですか?」
「そんな訳ないです。君の存在自体が、私が自然に生きれるようになる為の、最後の頼みの綱でした。」
夢乃さんは振り返り、涙がこぼれ落ちそうな瞳で僕を見つめる。その表情を向けられると僕が彼女に抱いていた苛立ちが吸収されてしまいそうになる。
「生きてさえいれば良いのに、私にはそれさえもできないので。」
僕は何度もそう思った。生きてさえいればいいと。でも彼女の口からそれを言葉にされると痛々しく思える。
「じゃあ、僕はもう君から離れれば良いですか?」
「嫌、、何です。でもそれは、、、」
その時、彼女は初めて僕の前で涙を流した。平然とした顔で頬を伝う涙はそのまま彼女の掌を湿らせる。
「詞乃と一緒に居ると、自分の自殺願望って普通なんだって思うんですけど、やっぱり私は異常ですね。君と二人きりになると分かります。」
「うん。君はおかしいです。ものすごく異常です。でもだからこそ自分と同じ境遇の人と触れ合って、二人の世界では普通になりたかったんですよね。」
僕は空気が湿った箱庭で、夢乃さんに寄り添う。何だかもう、苛立ちも何もかも無くなってしまった。彼女は小さく頷き、「ごめんなさい。」と声を絞り出す。
「君にはもう、本当に生き続けるという選択肢が無いんですか?誰かと共に死ぬと言うことしか無いんですか?」
「はい、そうです、、」
はっきりとそう言われる。じゃあ、これから徐々に夢乃さんと距離を置いて、段々と他人に近づいていって、無関心になれる時を待つというのか。でもそんな上手いこと彼女を忘れられないことは今の段階でも分かる。
「夢乃さんから離れて、君が生きているのかも死んでいるのかも分からない。それなのに忘れられないままになるくらいなら、もう君と一緒に死んだ方がマシかもしれないです。」
僕がその言葉をどれだけ本気で言ったのかは自分でもよく分からないけれど、それを聞いた彼女の瞳は刹那にして輝きを見せた。
「ねえ、そうしてください。私と一緒に死にましょう。」
彼女はそうして僕に抱擁をする。温かい体温が伝わり、高揚した。そしてその瞬間に、本気で彼女と死んでしまいたいという思いが、脳裏を通過していた。それに対して僕は危機感を覚えた。
「箱庭にいるのは息苦しかったんですか?」
僕は洗濯物を畳む夢乃さんにそう問いかける。
「息苦しいっていうか、心が休まらないって言うか。」
「僕も一人で過ごす時間が増えてから少し気付きました。他人の部屋に放り込まれたみたいだって。」
そう言うと彼女は気まずそうに笑う。
「有料日記じゃなくて、直接君に言うべきだったんですけど。」
「でも、君の本心を知らぬまま箱庭計画を続けた一ヶ月半くらいが僕はすごく楽しかったんです。」
僕は彼女の横に座り、改めて箱庭を眺める。彼女はこの箱庭計画で自分は自然に生き続けることが出来ないことを理解したのだとしたら、それは箱庭診断とでも言うべきだろうか。
「あ、これ。久しぶりに見ました。」
そうして眺めているうちに、棚からはみ出していた猫耳カチューシャを見つけた。それは僕たちが出会った日にあの繁華街の入り口で彼女が着けていたものだ。僕はそれをそっと手に取って、彼女の無造作な髪に少しだけ触れたのち、着けてあげる。
「どうですか?」
彼女は恥ずかしそうにしつつも、やっぱり似合っていた。
「自然と寄せられてしまいそうな、そんな感じです。」
「やっぱり私の適役はこれなんですかね。」
僕は彼女の可憐さに見惚れると同時に、たまらなく悲しくなる。
「適役、、」
「ん?」
悲しさのせいで言葉に詰まってしまう。
「死ぬこと以外は、全て適役ですよ。」
再び箱庭には湿った空気が充満してしまう。彼女に生きてほしいと思うだけで、泣きそうな気分になってくる。僕にとって人を愛することが、彼女にとって人と死ぬことなんだろうと思う。僕という存在に生き続ける為の最後の希望としての価値があったとしても、死ぬことを決めた彼女にはもうその価値すらも必要ない。
彼女が死ぬ悲しみを抱かぬように、僕らはこれからゆっくりと離れていくのかもしれない。逆らえない運命が僕らの間に入り込んで、お互いを遮断する。
でも、嫌だ。悲しみを抱かないほど、彼女に無関心になれる日なんて何年待っても訪れない。そもそも彼女が死んだ日に、そのことを誰が僕に教えてくれるか。もう二度と会えないのに、心の中から消えない存在はきっと怖い。
「おやすみなさい。」
今日も別々の部屋で一日を終わらせる前に、震えた声で言葉を渡す。
「また明日。」
あと何回、彼女は僕の隣で笑ってくれるのだろうか。いつまでその笑顔を見ていて良いのか。




