第16話
閑散とした夜の商店街を力なく歩いてゆく。気持ちは沈んだままだけど、夢乃さんの姿を確認したい一心で、言われた中華屋へと向かう。頭上ではいくつもの電線が交錯し、街灯の弱い光が足元を照らす。スナック店の前にはゴミ袋が山のように積み重ねられた、細い商店街を進むとそれらしい店が見えてきた。
早歩きで店前まで行くと、エアコンの室外機の横に彼女はしゃがみ込んでいた。その姿を見つけるとホッとして彼女の横に僕も座り込んだ。
「もう、会えないかもって思うくらい心配でした。」
「待ってましたよ。」
彼女はしゃがんだままで、僕を見つめる。
「色々聞いておきたいことがありすぎるんですけど、とりあえず入りますか?」
「うん。あ、でも少し待ってください。会ってほしい人がいるんです。」
「え?」
「絶対に、終人くんには紹介しないといけない人が。」
彼女はそう言いながら微笑み、僕の両手に触れる。その時の掌の温度が何だか冷たく感じた。今から会わされるのはおそらく、箱庭計画を通して彼女が繋がった人間だろう。僕は嫌気が差すが仕方ないと諦めた。
そのまま数分間店先で、会話をすることなく待っていると商店街の入り口に小柄な人の姿が見えて、それに彼女は手を振った。その人が僕らに近づいていく時間で、一体どんな顔をして、会えばいいのか分からなかった。
「すみません、ほんとお待たせしちゃって。」
そして僕らの前にやってきたのは、とても幼く見える女性だった。多分僕よりも年下で薄茶色がかった髪の毛を後ろで結んでいる。
「彼が青山終人くんね。」
夢乃さんに急に紹介されて、僕は少し驚き、「初めまして。」と辿々しい口調で挨拶をする。
「私、押田詞乃って言います。夢乃さんの、、あれ?事情はもう説明した感じ?」
「いやまだ。後でちゃんとね。」
「そっか、危ない。」
二人は目を合わせて頷く。僕の知らないところで何らかの約束が交わされているようで嫌な予感がした。押田さんからは夢乃さんと同じような柔軟剤の香りがした。
夢乃さんを先頭にして店内に入ると狭苦しいテーブル席にちらほらと客が座り、厨房からの中華鍋を振る音と古いテレビから流れる野球中継の音が響いていた。あまり愛想の良くない店員に案内されて、テーブル席に二人と向き合う形で硬い椅子に座った。
「詞乃はほら、また今日も酢豚定食でしょ?」
「当然、もうそれを食べにきたんだから。」
小さく写真が掲載されたメニューを見ながら、二人は仲睦まじく会話していた。夢乃さんが敬語ではなく、フランクな話し方をしているのがとても新鮮だった。
「終人くんは?どうしますか?」
そして僕には敬語でそう投げかけられる。
「あ、えっと。蟹玉定食にします。」
正直に言うと、それほど食欲があったわけではないけれど、流れでそう答えた。夢乃さんは「蟹玉も美味しいよね」と押田さんに向かって言う。その時に見える横顔は別人のようで寂しかった。
料理は驚くほど早く運ばれてきた。けれどもどの店員も対応がそっけなく、また来てほしいとは微塵も思っていないような接客だった。僕は湯気の立つ蟹玉の端をスプーンで掬い、口に運ぶ。素直にそれは美味しくて少しだけ気持ちが上がった。二人も微笑みながら各々の料理を口にする。僕はつくづく夢乃さんと二人だったら良かったのにと思った。
「私たちのこと。ちゃんと話しますね。」
その言葉と共に、僕らのテーブルからはスッと笑顔が消える。夢乃さんはずっとそのことを話し出すタイミングを探っていたようで、僅かに震える声でそう言った。僕は「はい。」とだけ返事をして冷静を装う。
「詞乃は、箱庭計画の有料日記にコメントをしてくれた人なんです。三人目くらいの会員者で毎回私に寄り添ったメッセージを送ってくれて。」
押田さんは照れ臭そうな顔をした。
「そして連絡先を交換するようになって、頻繁に会う約束もするようになって。」
僕はあえて、箸で蟹玉のグリンピースを摘み上げる。
「詩乃は私と一緒に死にたいんです。」
そして平然を装ったまま、熱い卵を口に運ぶ。夢乃さんの言葉のせいで味はしなかった。
「私と一緒に死にたい。その気持ちで生きているんですって。」
「それで?」
「私、そんな人に出会えるなんて思わなかったから。じゃあ死んでしまおうよって舞い上がっていたんですよ。でも、君を無視して死ぬなんてそんなことできる訳ないから。」
彼女は俯き、言葉に詰まる。その横で押田さんが彼女の肩をさすりだす。そして「大丈夫」と小声で呟き。夢乃さんは再び僕の方を見つめた。
「だから、今日終人くんに言いたいのは。この人と一緒なら死んでもいいですか?」
何となくそう言われることを予想していたから、それほど動揺はしなかった。けれども「はい」か「いいえ」か即座に答えられる訳も無かったので、僕はもはや無味無臭の蟹玉を咀嚼して飲み込む。そして深い息だけを吐き出した。
「私が死ぬことには君は何一つ責任はないです。君には罪悪感も感じてほしくないので、ただゆっくりと私のことを忘れて、「私のことなんてどうでもいい」と思えるようになった時に死にたいです。ただの他人が死んだと思えるように。」
バイト先の店長の自殺未遂で抱いた罪悪感、それで僕が再び傷付かぬように彼女なりの遣いをしたつもりなんだろうけど、そう言うことじゃないと強く思う。心はすでに絞められているように苦しい。ただ一つの反応すらも、僕は声にする気力がない。
「でも、私は夢乃さんにとって二番手なんですよ。私よりも圧倒的に終人さんと死にたいと思っているです。だから終人さんが羨ましいですよ。私は夢乃さんにとっての代替案ですから。でもそれでも良いんです。」
そう言われているけど、微塵も嬉しくない。どうして夢乃さんと押田さんの頭の中には「一緒に死にたい人」というカテゴライズがあるのだろうかと心底不思議に思う。
「押田さんは恋とかするんですか?」
僕はようやく使えるようになった声で目の前の人間に対して、そう質問する。
「私は恋はしないのかもしれないです。どうしてですか?」
「例えば、「心から愛する人と一緒に死ぬ喜び」は何となく僕でも理解できるんですよ。煮詰まった愛情の先に心中があるのは物語でもよく目にするので。でも、あなたは夢乃さんと出会ってまだ一ヶ月くらいしか経っていないじゃないですか。一緒に死にさえできれば誰だって良いんですか?」
この気持ちは夢乃さんにも同時にぶつけた。僕がダメだったから第二候補を立てるなんて発想がどうしても理解できない。
「誰でも良い訳ではないです。でも、私たちが持っているのは先天的な自殺願望なので、誰と死ぬかよりも、とにかく死ぬことを重要視してしまうんです。」
押田さんの口からも先天的な自殺願望という言葉が吐き出される。生まれながらにして死にたいと思いながら生きている。やっぱりそんな人が存在することは俄には信じ難い。
「私たちにとって生かされ続けることが、多くの人にとっての死を強要されること、というのは少し言い過ぎかもしれないですけど、似たような苦しみがあるんです。」
そう言われて再び言葉が出なくなると共に、町の中華屋でこんな会話をしている自分達の異質さに気づいてふと我に帰った。三人とも半分ほど残した料理には湯気が立たず、残飯のように見える。
「だからもう、終人くんにも私を生かし続ける努力をしてほしくないんです。」
夢乃さんは祈るような目で僕にそう言う。逆に言えばそれは「彼女を死なせる勇気」を持ってほしいと言うことだ。
「終人さんがそばに居たら、幸せになる人がたくさんいると思います。」
そんなの当たり前だと思う。一丁前に評価してくる目の前の人間が僕は嫌だった。
「そう、君はもっと違う人と幸せになるべきだと思いました。」
興味もない野球中継をぼやけた瞳でじっと見つめる。僕は何となく違和感を覚える。二人でいる時の夢乃さんはもう少し自分の自殺願望を隠そうとしていたと思う。でも今となっては恥ずかしげもなく堂々と死への願望を語っている。まるで自分達がマジョリティーであるかのように振る舞う。先天的な自殺願望を抱えた人間が二人いて、そうでない僕が一人いる。この三人の狭い世界では僕の方がマイノリティーであり異常者のようになる。
「君が変わってくれたら、全てが幸せになるのに。」
僕は本当に心からそう思う。やっぱりおかしい。どうして生きることすらもできないのか。先天的な自殺願望なんて、思い込みじゃないのか。
「私にはもう、変わる方法なんてないんです。」
夢乃さんのその言葉に初めて苛立った。もっと自分が異常者だと認識しながら生きてゆけ。死にたい同志を見つけて、マジョリティーぶるんじゃなくて、この大きな現実世界で正常者になれと心の中で叫んだ。
「じゃあもしも、僕が夢乃さんと死にたいと言ったらどうしますか?」
そんなことを口にすると押田さんは少しドキッとした表情をする。
「君と死にます。」
夢乃さんは即答する。全く嬉しくもない筈なのに、僅かに優越感のようなものが心に宿る。
「夢乃さんと死ねなかったら押田さんはどうしますか?」
「また違う人と死ぬんです。」
僕は苦笑いをする。この人の身体の中には生に対する希望が一ミリも無いのだと思う。呆れるというか、ただ異常者だと感じる。
「私たちはもう、呼吸するだけの死体なのかもしれないです。」
押田さんのそんな言葉は飛び交うオーダーの声に混ざり、中華屋にふわりと浮いてゆく。「呼吸するだけの死体」そんな気色の悪い言葉を誤魔化すために、冷めた蟹玉をかき込んだ。




