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余韻  作者: 紫川拓海
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第13話

小川が近くに流れる東京の西側に足を運んだのはこれが初めてだった。昔ながらの町工場や商店街の中にお洒落なカフェや古着屋が点在し、新旧の空気感が混ざり合う。グーグルマップを見ながら「栞書店」を目指して歩いていくと、脇の古びた建物の内からは甘いお菓子の匂いが漂い、行列が外へと伸びている。僕の実家の近くにも沢山ありそうな、老朽化が進んだ建物がそのような活気を含んでいる、そういう様子がとても新鮮だった。

 「栞書店」も外観は大きな倉庫のようだった。店内は薄暗く、外からでは営業しているのかもよく分からない。ただ、隠れ家のような静けさに包まれていることだけは分かった。僕は心理カウンセリングでも受けにいくような気持ちで、スチール製の引き戸をゆっくりと開けた。

 「いらっしゃいませ。」

 店内からは時間を経たインクと紙の匂いがふわりとやってきた。そして緑のエプロンをかけた女性が一人だけ立っていて、僕を笑顔で迎えてくれる。

 「あの、、坂井さんですか?」

 そう問いかけるとその人は瞳を大きく見開き、そっと歩み寄ってくる。

 「え、もしかして?」

 「あなたに小説を送っていただいた青山と言います。先日は、本当にありがとうございました。」

 十五畳ほどのこじんまりとした店内には長机と椅子も置いてある。坂井さんは興奮した面持ちで「どうぞ座って置いてください。」と言い、奥から冷たいジャスミン茶を出してくれた。

 「いやまさか、こんなに早くきてくれるとは思わなかったです。」

 坂井さんも隣の席に座り、なんか照れてしまうほど真っ直ぐに僕の目を見て話す。

 「彼女はすごく喜んでいたし、僕も幸せな気分になれたので、早めにお礼を伝えておきたくて。」

 「それなら良かったです。急にあんな大量に送りつけて本当は迷惑だったんじゃないかって心配になってたので。」

 「迷惑なんてそんな。こんな優しい人いるんだって驚いたくらいです。」

 そう伝えると坂井さんはぎゅっと笑った。この人も昔は夢乃さんと同じように自殺願望を抱えていたということが不思議に思えるほど素敵な笑顔だった。

 「青山さん下の名前はなんて言うんですか?」

 「終わる人と書いて、終人って言います。」

 人に名前を紹介する時は毎回「終わる人」と言う説明をして、その度に少し暗い気持ちになる。でもそれに対して坂井さんは「素敵な名前ですね。」と言った。

 「今日は彼女さんは一緒じゃないんですね。」

 「そうです。あの、今日はもちろんお礼をしに来たというのもあるんですけど、それと同じくらい坂井さんの自殺願望についても聞いておきたいんです。」

 自殺願望を抱えた人間が、どうしたらこのように自然に働いて、笑えるようになるのか。その方法を知りたかった。

 「いいですよ。彼女さんとはまた違う種類の自殺願望かもしれないですけどね。」

 「すみません。こんな出会ってすぐに聞くことじゃないとは分かっているんですけど。」

 脱却したはずの自殺願望をもう一度ほじくり返してしまうことは配慮に欠けるとは自分でも思う。だけど、この人を見ていると何処までも頼りたくなってしまう。

 「私の自殺願望はそもそも、自分自身に価値が見出せなかったことから生まれたんですよね。」

 僕はその言葉一つ一つを録音しておきたいくらい、集中して話に耳を傾けた。

 「なぜそうなったかについては物凄くシンプルで私、親が離婚してシングルマザーに育てられたんですけど、とにかく母にはガラクタみたいに扱われていたんですよ。家では散々邪魔とかいうくせに他人の前では母親ずらして、これが私の愛娘です。なんて誇りやがって。酷かったです。」

 「でも、そんな母は私が高校を卒業してすぐに、交通事故で亡くなりまして。」

 坂井さんはまるで他人事のようにそう言う。そんな唐突な話の展開に驚きながらも、その続きをしっかりと受け入れる。

 「そして葬式が行われたときの母の参列者が虚しいほど少なかったんです。本当に数人が並ぶだけで、あっさりと終わって。その時ああ、やっぱり母は人から愛されるような人間じゃなかったんだなと思う一方で、そんな遺伝子を受け継いだ私自身も同じように死んでも悲しむ人がほとんど居ない、無価値な人間なんだろうなって悲観的になりました。それに加えて私は一人っ子だったので、もう世界に家族と呼べる人が一人も居ないのか、という悲しみも相まって死にたいと思うようになりました。それが四年前、十九歳の時ですね。」

 坂井さんはもう十何年も前のことを回想するように、すんなりと話してくれた。

 「そうだったんですね。それが今はもう死にたいとは思わないんですか?」

 「うん、まあでも時間と共に自然に薄れただけかもしれません。今でもたまに自殺願望に似た悲しみがふと襲ってくる時もあります。そういう時にはもし誰かの命の恩人になれたら、自分に価値が無いなんて感情が無くなるのにって思います。」

 うっすらと微笑みながらそう言い「そんな都合よく命の恩人にはなれないですけどね。」と呟いた。確かに、誰かの命を救えばその瞬間に、不変的な価値が与えられると思う。

 彼女が話していた通り、坂井さんには自殺願望を引き起こした具体的な出来事があった。それが夢乃さんの自殺願望とは大きな違いとなる部分だった。

 「坂井さんには、先天的な自殺願望っていうものが理解できますか?何の前触れもなく死にたいという気持ちが発作的に溢れ出してくることが。」

 「先天的?」

 「彼女がそうやって言うんです。何かがあったわけじゃなくて突然、自殺願望が生まれたって。原因が無いのなら、ただ時間が解決してくれる問題じゃないんですよねきっと。」

 坂井さんはゆっくりと考える。栞書店には他に客が来る気配すらなかった。

 「私は理由のない自殺願望なんて存在しないと思ってます。」

  僕の目を見ながらそう言い切ってくれたことに、どこか安心する気持ちになった。

 「そうですよね。」

 「でも、理由なんてないって思った方がきっと楽ですよね。だから本当は自分の中で死にたい理由がはっきりと分かっていてもそれがあまりにも辛いから、これは先天的な自殺願望なんだって誤魔化しているのかもって少し思いました。」

 その言葉に対して、僕は複雑な感情を抱く。もしも夢乃さんに明確な死にたい理由があるのなら、その理由を解決してしまえばそれで良くなる。でも、耐えられないほど辛い現実から逃れるために死にたいのならば、それはあまりにも痛々しい。それだったら何となく自殺願望を抱いていてほしいと思う。

 「まあ会ってもない人の事を好き勝手言うのもアレなんで。次は彼女さんも一緒に来てほしいです。」

 「そうですね、彼女もきっとここが好きだと思います。」

 コの字型に置かれた本棚いっぱいに並んだ本はジャンル分けもされておらず、小説や、学術書、それから分厚い辞書のようなものまで統一性がない。「気になるものがあったら手に取ってみてください。」と言われたので、とりあえず目に入った小説を手に取ると、メッセージが書かれた栞が挟まっている。この本を通してどんな事を感じたのか、またはどんな感情の時に読むのが良いのか。そんな前の持ち主の思いが乗っかり、新品には無い繋がりが、栞書店の一冊にはある。

 「古本じゃなきゃ、この繋がりって成り立たない訳じゃないですか。こういうコンセプトって本当にすごいなって思います。」

 「ありがとうございます。でも、箱庭計画とある意味似ている部分があって、私は誰しもの本棚をこの場所に作っているんだと思うんですよ。」

 誰しもの本棚。確かにその表現は上手く当てはまる。

 「本棚だから、もしここで買った本が面白くなかったら返品できるシステムにしているんです。でもその代わり「あまり面白くなかった。」でもいいから栞にはメッセージを書いてもらう事を条件にして。」

 「凄い素敵ですね。もっと早くここを知りたかったです。」

 そう言うと坂井さんは嬉しそうに笑った。僕よりも二つほどしか歳が変わらないのに、自由気ままにこの世界を生きているように見える。是非、夢乃さんにはこう言う風に生きてほしいと思う。そして同時に僕もこの人みたいに生きたいと思う。

 「坂井さんはこの店の店主って言うことなんですか?」

 「いや違います。コンセプトとかは私が始めたものなんですけど、店主というか店のオーナーが居て、私はまあ立場的にはバイトみたいなものです。」

 少し恥ずかしそうに「店主なんてそんな訳ないですよ。」という坂井さんはさっきよりもやや幼く見えた。

 「でも本当に、彼女にはあなたみたいに生きてもらいたいです。」

 「いや私なんて大した人間ではないですけど、そう言ってもらえるなら箱庭計画を全力で応援し続けますね。」

 僕の心にはただひたすらに、希望の灯火が宿っていた。箱庭計画が導いたのはモノだけではなく、人でもあると坂井さんの親しみやすい瞳を見て思った。

 その後、僕は自宅から持参した小説を実際に売った。何度も繰り返し読んだ大好きな小説でも、いざ栞にどんなところがオススメなのかを書くとなると意外にもすんなりとはいかなかった。そうして何とか書き表した僕の思い入れが小説に挟み込まれて、それが無秩序な本棚に立てかけられた瞬間、僕は小さな幸福感を抱いた。箱庭計画の参加者もこんな気持ちだったのかと初めて理解した。


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