第10話
それから大学が夏休みに入るまでの一週間のうち、夢乃さんが死にたい日は四日間、死にたくない日は三日間だった。発作的に自殺願望を抱いてしまうという事情を理解していると、朝一番の話し方からなんとなく今日はどっちの日なのかが判別できるようになった。死にたい日は基本的にふわりと柔らかい表情でいる。そして何に対しても焦ることなく、ずっと家にいて非常に無気力にも見える。
一方で死にたくない日には「あそこに行きたい」とか「あれを食べたい」だとか口にして、忙しなく生き急いでいるみたいだった。でも時には思い詰めたような表情をする。それはまるで余命宣告をされた人のように儚さを纏っていた。
死にたい日の朗らかな表情と、死にたくない日の活発さが混合すればいいとつくづく思っていたが、そうも行かぬまま、真夏が近づいてくる。
死にたくない日には二人でゲームセンターへ足を運んだ。平日の昼間、僕ら以外にはほぼ人が居らず貸切状態だった。奥へと連なるクレーンゲームを一つ一つ吟味しながら進み、いざ挑戦した台ではクレーンのアームのあまりのか弱さにうんざりとする夢乃さんの背中。それでも懲りずにお金を投入し、位置を調整しながらアームの落下ボタンを押す指先。そして勢いよく落下してくる駄菓子と、それを喜ぶ夢乃さん。
これでいい、このまま時間が進んでくれればそれで満足だった。彼女は「明日もここに来たいです。」と僕の腕を掴みながら言った。僕は嬉しくなり、「明日も明後日も、来ましょう。」と答えた。でも次の日の朝には死にたい日の夢乃さんが部屋の真ん中にぽつんと座り込み、僕に「おはようございます。」と呟いた。だから結局、もう一度ゲームセンターに行くことは出来なかった。
大学の今学期最後の授業は昼過ぎに終わり、夢乃さんの家へそのまま向かうと、彼女は何かを頬張りながら玄関の扉を開けてくれた。それは単なる甘いパンではなくてこの前のクレーンゲームでとった駄菓子だった。
「今日は死にたくない日ですねきっと。」
「流石、よく分かりますね。」
やっぱり僕にはわかる。その目の色ひとつでもきっと見分けがつくと思う。今日も変わらない部屋の隅に重たいリュックをそっと置く。
「そう言えばさっき、もしかしたら君の両親かもって人に会いました。」
僕はタオルで汗ばんだ額を拭いて、彼女に言った。
「どんな人でしたか?」
「仲が良さそうな夫婦でした。わざわざエレベーターの開くボタンをずっと押してくれて、僕が乗り込むのを待っていてくれました。」
その人たちはこの部屋がある四階の一階下で降りて、その時も僕に丁寧に会釈をしてくれた。
「それじゃあ私の両親じゃないですね。そんな気の利いた行動できる人たちじゃないので。」
彼女は冷たくそう言う。でも僕はきっとあれが夢乃さんの両親だったんじゃないかと思う。なんとなくだけれど、女性の方の声質が彼女と似ていた。
「案外、子供が一番自分の親のことを過小評価しているかもしれないですよ。」
「うーん。どうなんでしょうね、、」
彼女は苦笑いをし、「でもやっぱり違うと思う。」と言った。
今日は死にたくない日なのでベランダには洗濯物が干されていて、それらがヒラヒラと風に靡いていた。そしてその向こうには見ているだけで暑さが伝わるほどの青い空が広がっている。
「死なないうちに、綺麗な海を見たいなって最近思います。」
彼女は寝転がりながら、天井に向かって言葉を放つ。同時に死なないうちにという言葉が脳内に引っかかる。
「海ですか。いいですね。」
「車を借りて海岸線を走って、潮風を浴びて。」
夢乃さんの横に僕もそっと寝転がりながら、夏の海に思い耽る彼女のその体温を感じた。
「お金がないですね、海まで行く。」
バイトもせずに人の家に居候して生活するような僕には最も単純に、金銭的問題が立ち塞がる。
「大丈夫ですよ、私にはまだあるので。」
「気づいたら無くなってしまいますよ。」
彼女もあれ以来働いていないので、貯金は減る一方になる。それはもはやお金だけではなく、彼女の命そのものにも見える。心残りなく死ぬためにお金を消費している最中だとしたら、そう考えるとこんなに甘えている場合ではないと強く思う。
「夢乃さんは、働かなくてもいいんですか?」
「そりゃ、生き続けるならいつかは働かなきゃだめです。」
「そうですよね、、」
生き続けるにはお金が必要だというあまりにも自明のことを僕は実感する。お互いにそんな危機感を抱きながらも、隣同士で寝転がり、時折彼女の毛先が僕の頬に触れる。僕もひどいほど呑気だと思った。
「死にたい女の配信として、生活の様子を垂れ流したらそれなりに稼げる気はするんですけどね。」
彼女は唐突にそう口にする。
「自殺ビジネスじゃないですか。」
自殺ビジネスという僕のよくわからない言葉もそのまま部屋にふわりと浮かぶ。
「私今まで本当に適当な仕事しかやってこなかったんですよ。なんていうか自慢じゃないですけど見た目で稼ぐみたいな。」
「客引きの前はなんだったんですか?」
「ガールズバーもそうですし。ヘアモデルとか。あとは水商売の体験入店も何回か。」
僕もそんな見た目を持った人生を味わってみたいと思った。楽な人生とまでは言わないけれど、生きてさえいれば仕事に困ることはない。
「だからもう、それ以外になんの経験もないです。」
「どうしましょうか。」
やっぱり死にたくない日の夢乃さんの方が天真爛漫で好きだ。彼女は付きまとう自殺願望が不安で、それならいっそのこと「どうせ死ぬから。」と感情を誤魔化すことで楽になる。そしていつかはその誤魔化しが効力を失って、僕の前から消えてしまうという。でも彼女は生きてさえいれば、僕みたいに自然と魅了される人間がいるし、仕事だってあるだろうし。だからこそ、夢乃さんが生きること自体に、途轍もない価値がある。
そして僕はふと、自殺願望を持ちながらも、それでも生き続ける彼女の姿が美しいのではないかと思った。
「何だろう、自殺ビジネスってそんなに悪いものじゃない気がします。」
彼女は「え?」と少し驚いたような声を出す。
「君の自殺願望はいつまでも無くならないことは分かりました。だからこそ生きることに価値があると思います。死にたい気持ちを抱えながらも明日を迎える姿に感化される人はいると思います。」
「そうなんですかね。」
「でもだからと言って君の日常をネットに公開するとかそういうのは違うと思います。お金が発生するだけじゃなくて、君が幸福感を得れるものを。そしてあわよくば自殺願望が消えて、そんなビジネスもせずに自然に生きれるように。」
僕は寝転びながら考えた。彼女にずっと生き続けたいという活力を与えるもの。そしてそれに付随してお金が発生するもの。そんなシステムがあるだろうかと目を閉じながら想像した。
「あの、例えばですけど。」
「はい。」
そして何とか浮かんだぼんやりとした構想を彼女に伝えることにした。
「箱庭療法とか、あとはフラワーセラピーとか何かを作ることで自分の精神を映し出すものってあるじゃないですか。」
「うん。」
「だから、この何もない部屋を箱庭にして、君みたいに死にたい気持ちを抱えた人も、そうじゃない人もたくさん募って、みんなで幸せに生きるための空間にするんです。」
「それもっと詳しく聞きたいです。」
彼女はふっと笑う。僕はその笑顔が嬉しくて、起き上がって未熟な計画を恥ずかしげもなく伝える。
「有料日記の形式でこの部屋、要するに箱庭をみんなで装飾しましょうっていう計画で、例えば誰かが心の癒しとして置いているものとか、あとは思い出のものとか。色んなものを送ってもらったり、これを部屋に置くと良いですよって助言を貰ったり。そうして集まったモノを並べて箱庭を彩っていくんです。そうすればこの部屋と同じように君の心も豊かになって、計画の参加者に死にたい気持ちを抱える人がいたら、少しだけでも生きる支えになるんじゃないですかね。」
彼女は長々と伝えられた僕の計画を熱心に聞いてくれる。
「でも、そんなものでお金もらえますかね。」
「箱庭が完成した時に、君が幸せな姿を見せたらそれで良いと思います。君は見た目で稼いでいるって言うけど、それはつまり生きてさえいればお金をもらえるということなので。」
夢乃さんは幸せに生きていればそれだけでいいと思った。彼女も「物は試しですね」と言って僕の提案をすんなりと受け入れてくれた。どうしても生きてほしいという願いから、静かで無機質なこの部屋で二人で生きていくために自殺ビジネスを始めることにした。
その一歩として僕は早速月額制の日記投稿サイトに登録した。そして、まずは彼女のあまりにモノが少ない砂の上のような部屋の写真を掲載する。それとこの計画の説明文も一緒に添えた。
『死にたい気持ちを抱えた彼女の部屋には何もモノがありません。ここは誰しもの【箱庭】です。自分が心の支えにしているモノを送ってください。もしくは【箱庭】を豊かに装飾するためのアイデアをください。どんなに些細なものでも構いません。彼女が生き続けられるように、皆さんと一緒にこの【箱庭】を鮮やかなものに作り上げたいです。同じように死にたい気持ちを抱える人も是非この計画に参加してください。きっと生きる支えになるはずです。』
毎日更新する箱庭の様子は誰でも無料で閲覧できるようにする。そしてそれに加えて五〇〇円の月額制で夢乃さん自身の言葉を記した日記を登録者のみが閲覧できるようにした。とにかく僕は箱庭計画を正常に運営し続けて、彼女にはそのまま生きてもらう。有料登録者が百人集まってようやく五万円。稼げるお金は僅かであるが、これこそが最善の自殺ビジネスだと思った。
そうして出来上がった計画の紹介ページを彼女に見せると「ガラクタいっぱい送られてくるんじゃないですか?」と笑った。でも少しずつ装飾されていくその過程に意味があるからどんなにちっぽけなモノでもいい。真夏の暑さから逃れた真っ新な砂の上、ただ二人がぽつんと佇む空間で、八月一日。箱庭計画が静かに始まった。




