心霊屋
私の仕事はあまり人に知られていない。いわゆる「心霊屋」である。
日本中に渦巻く心霊スポットに出向き、本当かのように成りきることで、遊びに来た人たちに心霊現象が存在すると信じさせるのだ。
なぜそんなことをするのかって? 私も知らない。
ただ定期的に連絡が届き、指示通りに詳細な演出を再現する。
そして意外と給料がいい。時給3000円だ。
その日の依頼は、北関東にある廃病院の旧手術室だった。
スマホに届いた指示書には『深夜2時45分、廊下から足音が聞こえたら、暗闇の中でゆっくりとハサミの刃をすり合わせる音を立てよ』と細かく書かれている。指定された衣装は、擦り切れた白衣と血の痕を模した塗料がつく包帯だ。
月明かりすら届かない病室で一人、パイプ椅子に腰かけて時間を待つ。静寂のなかで響く自分の呼吸音。時給3000円。割に合わないような気もするし、気持ち悪ささえ我慢できれば破格な気もする。
カチャ、と遠くの扉が鳴った。
「おい、マジで出るらしいぞここ……」
「やめとけって、ホントにヤバいって」
若い男たちのひそひそ声が近づいてくる。私は息を殺し、壁の影へと身を潜めた。指示通りの時間だ。懐から古い金属製のハサミを取り出し、ゆっくりと刃を噛み合わせる。
ジャキ……ジャキ……
錆びた金属音が暗闇に響いた瞬間、廊下から悲鳴が上がった。ドタバタと猛スピードで逃げていく足音。私は暗闇の中で小さく息を吐き出し、ミッション完了だ。
いつもより手応えがあった。
そのまま撤収の準備を始めようとした時、ふと部屋の隅にある闇の中に、人影が立っていることに気づいた。自分と同じ擦り切れた白衣を着て、じっと私を見つめている。
(……なんだ、同業者か?)
指示の補強のために二人体制だったのだろうか。
私は「珍しいこともあるもんだ」と少し安心し、声をかけてみた。
「お疲れ様です。今日の仕込み、うまくいきましたね」
すると、暗闇の中に立つ女はゆっくりと顔を上げた。血の気のない唇が、ニンマリと耳元まで裂けるように釣り上がる。
「……やっと、代わりが来たのね。ピッタリだわ」
掠れた声でそう呟くと、女の輪郭が歪み、そのまま空気の中にスーッと溶けるように消えてしまった。
(え……?)
背筋に冷たいものが走り、急に恐ろしくなった私は、一刻も早くこの場を離れようと暗闇の手術室を飛び出した。廊下を走り抜け、スマホを取り出して震える手で業務完了の報告メッセージを送る。
『本日のミッション完了しました。追記ですが、もう一人の白衣の女性の演出担当の方もいました。「代わりが来た」と言って消えたのですが……』
すぐに事務所から返信が届いた。だが、その内容を見た瞬間、私の全身の血が完全に凍りついた。
『大変ありがとうございました。彼女も無事に成仏できたようです。あなたは次のものが来るまで、そこで“お仕事”をお願いします』
「……は?」
わけが分からずメッセージを読み返す。成仏? 次のもの?
その時、自分が手に持っているハサミに目をやった。古びた金属、手にねっとりとこびりつく赤黒い汚れ。血の塗料だと思っていたものは、乾いた本物の血液の匂いがした。
自分の胸元を見下ろす。擦り切れた白衣の胸ポケットには、いつ、どこでついたかも分からない大きな穴が開いていた。
そういえば、私はどうやってここに来たのだろう。
車で? 電車で? 自分の家はどこだっけ?
その時、スマホの画面に冷酷な通知が追加される。
『廊下から足音が聞こえたら、暗闇の中でゆっくりとハサミの刃をすり合わせる音を立てよ』
頭の中に直接響くようなその指示に抗うことなど、できなかった。
廃病院の入り口の方から再び若い足音が近づいてくると、私の意思とは無関係に、指先が勝手に動き出す。
ジャキ……ジャキ……
錆びついたハサミが噛み合い、暗闇に金属音が響く。
廊下から上がる絶叫。逃げていくドタバタとした足音。
それを認識するたび、胸の奥でどろりとした小さな満足感が湧き上がる。……いや、これは本当に私の感情なのだろうか。
次第に、思考が霞んでいく。
自分の名前も、自分がかつて人間としてどんな生活を送っていたのかも、濃い霧の向こう側に消えていくようだった。
ただ覚えているのは、冷たいハサミの感触と、指示に従うことだけ。
身体の感覚はとっくに失われ、足元すら覚束ないはずなのに、私は倒れることもなく旧手術室の暗闇に立ち続けている。
いったい、いつまでこれをやり続けるのだろう。
1年? 10年? それとも半世紀?
「代わり」になってくれる哀れな人間が現れるのは、いつになるのだろうか。
「おい、ここマジでヤバいらしいぞ……」
遠くから、また新しい足音が近づいてくる。
ぼんやりとした頭のまま、私は暗闇の中でゆっくりと口角を吊り上げた。
ジャキ……ジャキ……
体は勝手に動き出し、私は今日も、人間を恐怖させ続ける。
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