部屋汚し屋
ワシの名は友蔵、70歳。
長年勤めた会社を定年退職したあと、日々の暇を持て余してアルバイトを探していたら、「部屋汚し屋」という今のバイトを見つけた。
この仕事は、いわゆるハウスクリーニングの真逆だ。ピカピカの部屋を、依頼主の指示通りに「生活感」や「荒れ果てた感じ」へと汚すのがワシの役目である。
どういう人から依頼が来るかというと、理由は様々だ。
親の仕送り目当てに「一人暮らしで困窮しているフリ」をしたい大学生。
SNSでバズるために「汚部屋からの劇的ビフォーアフター」を撮影したいインフルエンサー。
あるいは、警察のガサ入れを警戒して「誰も住んでいない廃屋」に見せかけたいワケありの人物までいる。
ちなみに、ワシの自宅は埃一つない。
昔から几帳面な性格で、毎朝の雑巾がけと整理整頓は欠かさない。
だからこそ、どうすれば「人間が自然に散らかしたように見えるか」を計算し尽くした、完璧な汚し仕事ができるのだ。
その日の依頼は、都内の高級タワーマンションの一室だった。
指定された部屋に入ると、家具ひとつない白を基調とした洗練された空間が広がっていた。
依頼主は、まだ30代前半に見えるピシッとしたスーツ姿の男だ。
「友蔵さんですね。依頼した田中です。本日はよろしくお願いします。
ちなみに指示書は読まれましたか?」
「ええ。この部屋を『何年も放置されたゴミ屋敷』に見せかければいいんですな?」
「そうです。単なるゴミの山じゃダメです。
一人暮らしで何年もかけて作られたごみ部屋でお願いします。」
男はそう言って、札束の入った封筒を渡してきた。
相変わらず、この仕事は割がいい。
ワシは持参した道具箱を取り出した。
ただのゴミをぶちまけるのは素人のやることだ。プロの「汚し屋」は、雰囲気を造形する。
壁の隅には持参した箱からカビを塗りつけていき、フローリングには足の裏の脂が染み付いたようなべたつきを再現する。
テーブルには数ヶ月前の日付の未払い請求書を乱雑に散らばらせた。
さらに一人暮らし感を出すために、同じ系統のボロボロの服、靴を重ねる。
作業すること三時間。
さっきまで輝いていた高級マンションの一室は、どこからどう見ても「悲惨な人生の末路」を感じさせる見事な汚部屋へと変貌した。完璧な仕事だ。
ワシは満足そうに汗を拭った。
「見事です、友蔵さん。素晴らしいクオリティだ」
いつの間にか部屋の隅で作業を見ていたスーツの男が、感心したように手を叩いた。
「いやあ、喉が渇いたでしょう。これでも飲んで落ち着いてください」
男はそう言って、冷えた缶コーヒーを差し出してきた。ワシは「これはどうも」と受け取り、プルタブを開けて一気に喉を鳴らした。
コーヒーを飲みながら、ワシは好奇心から尋ねてみた。
「しかし、こんな高級マンションをわざわざ汚して、一体どうされるんです?」
男は静かに微笑み、胸ポケットから煙草を取り出して火をつけた。
「……あともう少しなんですよ。ここまできたら、あと一つだけパーツが足りないんです」
「パーツ?」
「ええ。この部屋に、老人の死体があれば完璧なんです」
「……え?」
ワシの動きが止まる。
男は煙をゆらりと吐き出しながら、冷ややかな目で見下ろしてきた。
「本当はね、老人の孤独死現場を再現したかったんですよ。
ここで身寄りのない老人が誰にも気づかれずに死んだことにすれば、莫大な保険金が手に入る手はずになっていましてね。
……でも、せっかくの綺麗な孤独死現場も、散らかった部屋のリアリティがなければ警察に疑われてしまう」
男の声が、どこか遠くから聞こえるような感覚に襲われた。
「だから、完璧な汚し屋であるあなたが必要だったんです。……そして、完璧な『死体』の役もね」
(……しまっ——)
急激に視界が歪み、足元から崩れ落ちそうになる。
手から缶コーヒーがこぼれ落ち、床に黒いシミを作った。飲み物に、何か混入されていたのだ。
重たくなる瞼に抗おうとするが、指一本すら動かない。
「ご安心ください。あなたが作ってくれたこの完璧な汚部屋で、安らかに眠っていただきますから」
男の薄笑い声を聞きながら、ワシの意識は深い闇の中へと落ちていった。
……目が覚めたのは、見慣れた自分の部屋のベッドの上だった。
「ハッ……!?」
勢いよく起き上がる。冷や汗でシャツがビショビショだった。手足は動く。生きている。
夢だったのか……?
いや、喉の奥に残るあの苦いコーヒーの味覚と、体の痺れは本物だったはずだ。
困惑しながら枕元に転がっていたスマホを開くと、通知が一通届いていた。依頼主の男からではなく、ワシに「汚し屋」の仕事を斡旋した仲介業者からだ。
『作業お疲れ様でした。依頼主の田中さん・山田さん共に大変喜ばれておりました。次回もよろしくお願いしますとのことです。』
山田?あの部屋には田中しかいなかった、、誰だ?
疑問に思いつつも、気持ちを落ち着かすためにテレビの電源をオンにすると、見覚えのあるマンションが目に入ってきた。
『都内タワマンで保険金殺人未遂の男を逮捕——』
……ワシは全身の血が引いていくのを感じた。
ワシが受けていた「汚し屋」の仕事。
それは犯罪者の依頼を受けて部屋を汚す仕事ではなく、保険金殺人を企む犯人に対する「囮」の仕事だったのだ。
ワシが飲まされたのは致命的な毒薬ではなく、あらかじめ業者がすり替えておいた強力な麻酔薬だったらしい。
スマホが再び震える。次なる依頼だった。
『明日 13:00。〇〇町の古いアパート。
指示:強盗に入られたかのように室内を荒らし、住人が戻ってくるのを待つこと 山田より』
ワシは震える手で汗を拭い、部屋の床を綺麗に拭き上げた。
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