044 菓子
アメリカが国家予算でプレゼントを手配し、フィンランドが車、フランスが最高級ワインを送り、ドイツが「紙の戦争」を繰り広げ、イギリスが混乱している頃。
すっかり周回遅れとなった日本の霞が関の一室では、重苦しい空気が漂っていた。
「……で? 日本に大量に来ていたCIAは、日本がバブル時代に買い漁った酒を、買い戻して帰ったのか?」
分厚いマホガニーのデスクの奥で、頭頂部の薄くなった初老の男――内閣の中枢に位置し、各省庁の調整役を担う官僚の事実上のトップ、内閣官房副長官補の国武が、胃薬を水で流し込みながら眉間を揉みほぐしていた。彼は連日のように繰り返される外務省、経産省、防衛省の醜い縄張り争いにうんざりしていた。
「はい。テキサスの転移者ハンク氏が希望した『星の光を吸い込んだバーボン』の代わりに、A.H. ハーシュ・リザーブ 16年 ゴールドフォイルを10ダース準備したようです」
デスクの前に立つ、公安出身の内閣官房内閣参事官の鷹野が、タブレット端末をスワイプしながらに報告する。
「それにしても、アメリカ政府の動きが早すぎる。世界中で転移者が現れ、ライブ配信を始めてたったの2ヶ月で、堂々と取引を始めるなどおかしいだろう。普通はもっと水面下で極秘裏に時間をかけて……」
「おそらくですが……『ライブ配信』と『ガレージ・リンク』という性質上、世界中に知れ渡るのは時間の問題です。いずれバレることなので腹をくくって、スピード重視で動いたのでは?」
「……なるほどな。ぐだぐだ国会で議論を重ねて、どこの省庁が主導権を握るかで足の引っ張り合いをしている間に、見事に日本だけ出遅れたわけだ」
国武は深くため息をつき、一つの希望にすがりついた。
「あのアメリカの……カンザスシティのBBQMANとか名乗っているKenは、ハーフで日本国籍も持っているんだろう? その線でなんとか日本側に引き込めないか?」
「ガレージ・リンクがアメリカに繋がっている時点で無理ですね。仮に彼が日本政府にミスリルを提供したとしてアメリカ国外に持ち出せません。現地の日本企業の研究所で研究させた場合、研究結果はアメリカに筒抜けでしょう。それでもやりますか?」
「それなら、フィンランドの転移者にラリーカーを提供したトヨサは? どうせ裏取引してミスリルを手に入れているだろ!」
「トヨサは、レギュレーションが変わって使用しなくなった車両をヤリ氏に人道的支援で譲り渡しただけで、ミスリルは一切受け取っていないと言い張っています」
「何が人道的支援だ! トヨサに圧力はかけられないのか?」
「無理というかやめてください。トヨサから政府専用車両をすべてタダで提供すると打診がありました。更に天下りのポストを……」
「くそっ……! おい、日本にも一人いるんだろう? 転移者が」
「はい。東北地方出身の中年男性、アカウント名『Tetsu』氏です。実家暮らしでご両親も健在。現在の配信内容は主に、河川敷で異世界の牛肉を使った『芋煮』を作ることと、異世界の日常です」
「芋煮で牛肉……(芋煮なら豚肉だろ!)……まあいい。なんとかミスリルを手に入れられないか? 車か? 山崎の55年か? 兵器提供は絶対にダメだぞ!」
国武が念を押すと、鷹野が静かに頷いた。
「……その点は、大丈夫です。我々も慎重に、かつさりげなく配信のコメント欄で接触しまして、直接聞き出すことに成功しました。彼の要求は『菓子』です」
「菓子!? はっはっは! なんだ、欲がない男じゃないか! それならすぐにでも物々交換を進めろ!」
国武の顔がパァッと明るくなった。兵器でも、存在しない酒でもなく、お菓子。平和国家・日本にふさわしい素晴らしい取引ではなかろうか。
「それが……要求してきた菓子が、どれも尋常ではない入手困難なものばかりでして。しかもそれを毎日……100日持って来たら一回おつかいしてやると……」
「……どんな菓子だ?」
鷹野はタブレットのリストを読み上げ始めた。
【紹介制・1年待ち】『村下開新堂』のクッキー缶(東京・麹町)
【毎日秒で完売】『エシル・メゾン デュ ブール』の「ガトー・エシレ ナチューレ」(丸の内)
【1本1万円超えのVIP専用】『ホテルオオクラ』の「特別仕様フルーツケーキ」
【1粒1,500円の食べる宝石】『プルガリ イル・チョコラート』の「チョコレート・ジェムス」
【50年間行列が途切れない】『大ざさ』の「幻の羊羹」(東京・吉祥寺)
【もはや年単位で待つ】『青寿庵清水』の「究極の金平糖」(京都)
【日本一高級】『ハウス オブ フレーパース』の「最高峰のチーズケーキ」(神奈川・鎌倉)
【整理券が秒で消えるクッキー缶】『カフェタカタ』の「レガル・ド・セン」(愛知・名古屋)
【予約電話すら繋がらない】『ミッシェルパッパ』の「夙川クッキーローズ」(兵庫・夙川)
【ネット販売・秒殺】『Mrs. CHEESECAKE』の「チーズケーキ」
…………
………
……
…
「これらを日替わりで希望しています」
「な……? なんで田舎の中年男が全国中の菓子店を知っているんだ!?」
「コメント欄に希少で美味しい菓子を尋ねたところ、こんなことに……中には面白がって『ぴょりん』を東北まで運ばせようというコメントまで……」
「つまり、国家の威信をかけて、エリート職員や特殊部隊員を、毎日全国の菓子店に並ばせろと言うのか!? 我々に対して忠誠心テストでもするつもりか!」
「結果的にそうなります。……それと、彼について追加報告があります」
鷹野の顔がさらに険しくなる。
「なんだ!? 芋煮を作る実家暮らしのおじさん、なんだろう? 確か、元自衛官で精鋭だったとは聞いたが……」
「はい。自衛隊を退官した後、本人は『自分探しの旅』と称して世界中をバックパッカーして放浪していたと語っていますが……裏ルートで照会をかけたところ、どうやら海外の傭兵部隊やPMC(民間軍事会社)を渡り歩いていたようです。さらに……国外で相当な数の人間を撃ったという情報が……」
「なん……だと……」
国武の口が半開きになる。
「そんなグレーどころか真っ黒の人物と取引しないといけないのか……。しかも対価が菓子……」
「それに、彼は日本政府に対して非常に批判的です。自衛隊時代の経験に、最近では地元で熊退治に協力した際、自治体から雀の涙の報酬しか出なかったうえに、動物保護団体から激しい嫌がらせを受けまして……」
「……国民栄誉賞でなんとかならないか?」
「鼻で笑われるのがオチでしょう。ちなみに以前、ライブ配信のコメント欄と、彼のご実家がマスコミの強引な取材を受けて大変迷惑しておりました。現在は我々が圧力をかけて完全に抑え込んで恩を売ってはいますが、それでも態度は全く軟化していません」
「厄介すぎる…………」
「さらに、フランスの外人部隊にも所属していた時期があるようでして、実はすでにフランス政府がコメント欄で彼に接触しました」
「なっ、フランスが!? ガレージ・リンクで繋がっているのは、日本の東北にある実家なんだろう!? 越境しているじゃないか! なぜフランスは接触したんだ!」
「異世界の方で、フランスの転移者ピエール氏と合流させ、傭兵としての圧倒的な戦闘力とサバイバル技術をフランス陣営に取り込もうとしたようです」
「バカな……! それで、本人はなんと答えたんだ!?」
鷹野は気まずそうに目を伏せた。
「……滞在中の町を動きたくないと、フランス政府の要請を断りました」
「ふぅ……」
国武は思わず安堵のため息をもらした。傭兵上がりとはいえ、やはり日本人。少しは愛国心があるのだろう。
「よく断ってくれた。……しかし、その町には何があるんだ? ミスリルが大量に眠る鉱山か? それとも未知の魔法技術か?」
鷹野は数秒の沈黙の後、意を決したように口を開いた。
「……歓楽街です」
「……はっ?」
「エルフや獣人の美女たちが集まる、異世界の歓楽街です。彼はそこに毎日入り浸っております」
静まり返る執務室。
「……要求してきた入手困難な菓子は……まさか」
「はい。お気に入りの女の子たちにばら撒くそうです。『地球のスイーツを差し入れすると、めちゃくちゃモテるから毎日頼む』と、本人が配信で豪語しておりました」
バンッ!!!!
国武がデスクを両手で激しく叩いた。
「はっはっは! 国家の威信をかけて、入手困難な菓子を買い集め、それを異世界の歓楽街でばら撒くだと!? ふざけるな!! どこの世界に、国税を使って異世界の水商売のオネーチャンへの貢ぎ物を調達する政府があるんだ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす国武を前に、鷹野はタブレットを手に黙るしかなかった。
「もしこんなことが他国にバレたら……いや絶対バレる……フランスの要人あたりに嫌味を言われるに決まってる!」
国武は頭を抱え、フランス要人の笑顔を幻視した。
"ムッシュ国武。貴国が異世界の淑女たちに自国の菓子を振る舞うという『優雅な外交』には感服いたしました。ですが、朝から特殊部隊をケーキ屋に並ばせるのは、いささか無骨すぎませんか?
もしお疲れなら、いつでも我々にお任せを。フランスには、世界を魅了する極上のガトーと、気難しい英雄を喜ばせる『アムール(愛)』の流儀……そのどちらも、すでに揃っておりますからね"
「……くそっ! 絶対に言われる! 腹立たしい!!」
「トヨサからTetsu氏への菓子の提供を請け負いましょうかと、提案がきていますが……承認しますか?」
その一言に、国武の動きがピタリと止まる。
諸外国が次々とミスリルを確保し、次世代技術の研究を始めているという焦り。トヨサに任せて傀儡になる政府。ミスリルの購入も配分も当然トヨサの言いなり。国際社会での立場はどうなる? 俺は『水商売のオネーチャンへの差し入れをケチってトヨサに国を売った男』として名を残すのか?
「……ぜぇ……ぜぇ……」
国武は肩で息をしながら、震える手で胃薬の瓶を掴んだ。
「……承認するわけには、いかないだろう……っ!」
「……わかりました。警視庁と調整し、今日中に菓子調達のプロジェクトチームを結成します」
「ああ……頼む……おい……彼のライブ配信をハッキングして止められないのか?」
「サイバー班に調査させたところ、摩訶不思議な力が働いていて手出し出来ないとのことです。あと私、一身上の都合で……」
「認めるわけないだろ!」
「冗談です。失礼します」
国武は両手で顔を覆い、デスクに突っ伏したまま虚ろな声で呟いた。
「……これなら、銃火器を要求される方がマシだ……」
霞が関の重苦しい夜は、さらに更けていくのだった。
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次話明日7:00に公開予定。




