041 紙の戦争
鬱蒼とした森を抜け、清流のほとりに野営地を設営したピエールとクラウスは、それぞれの焚き火の前で夕食の準備に取り掛かっていた。
「さあ、私の愛すべき同胞たち。今日のディナーは、この森で仕留めた野鳥のフリカッセだ。濃厚なクリームと、香り高い異世界のキノコが絶妙なハーモニーを奏でているよ」
ピエールがスマートフォンに向かって優雅に微笑みかけると、フランス向けに配信されているライブ配信のチャット欄が「C'est bon!」「Très bien!」という称賛のコメントで埋め尽くされた。
一方、その隣の焚き火では、クラウスが無骨な鉄鍋をかき混ぜながら、ドイツ向けのライブ配信に低い声で語りかけていた。
「Ja。俺の今日の食事は、塩漬け肉と豆のアイントプフ(煮込みスープ)だ。飾る必要はない。必要なカロリーと栄養素を、最も効率的に摂取するための合理的な一皿だ」
:『クラウスニキ、今日もブレないなww』
:『ピエールのおしゃれ料理との落差が最高』
:『ビール! ビールはまだですか!?』
「安心しろ。ソーセージの燻製が終わったら、極上の黒ビールを開けるぞ」
クラウスが口の端を少しだけ上げて笑った、その時だった。
二人のスマートフォンの画面で滝のように流れていたコメント欄に、同時に赤色のスーパーチャットが表示された。
Gouvernement_Français:『ピエール氏。こちらはフランス共和国政府です』
Bundesregierung:『クラウス氏。こちらはドイツ連邦共和国政府である』
「「……Huh?」」
二人は顔を見合わせ、それぞれの画面を二度見した。
:『は?? 政府!?』
:『ちょっと待て、大統領が見てるってことか!?』
:『連邦政府の公式アカウントじゃねえかww なんでIsekaiの配信に!?』
Gouvernement_Français:『単刀直入に申し上げます。ピエール氏、あなたがたが数日前の配信でドワーフから譲り受けた「ミスリルのリング」。あれを我が国に譲っていただけないでしょうか。対価として、国家の威信をかけた最高の品をご用意いたします』
Bundesregierung:『クラウス氏、我々も同じ要求だ。その未知の金属は、我が国の工業および軍事技術において計り知れない価値がある。ぜひ取引をしていただきたい』
ピエールは目を丸くした後、肩をすくめてクラウスを見た。
「Oh là là……。どうやら、アメリカがやったというミスリルの取引の噂は本当だったらしいね。で、どうするんだい、クラウス?」
「……Hmph。俺は祖国を愛しているが、安い愛国心で動くつもりはないぞ。それに見合うだけの対価を用意できるのか?」
クラウスが画面に向かって冷徹に問いかけると、両政府の担当者は待ってましたとばかりにオファーを提示した。
Gouvernement_Français:『もちろんです。ピエール氏には、我が国の芸術的軍事技術の結晶、PGM エカルトⅡ(12.7mm対物狙撃銃)の特別カスタムモデルを。さらに、エリゼ宮の地下セラーから、ワインを10ダース提供しましょう。そして、貴方の多大なる貢献に対し、レジオン・ドヌール勲章のコマンドゥール(司令官)を授与いたします。エリゼ宮にお招きし、大統領から直接お渡しできないのが残念でなりませんが……取引成立の祝杯として、最高級シャンパン『クリュッグのクロ・ダンボネ』もご用意いたしました』
「……Très bien!!」
ピエールがガタッと立ち上がった。
「あの美しいフォルムのエカルトⅡ! エリゼ宮の地下セラーにクロ・ダンボネ、おまけにコマンドゥールだと!? わかっているじゃないか、我が祖国よ! 異世界の美しい自然に、フランスの美学を刻み込むには最高のセットアップだ!」
一方、ドイツ政府のオファーも負けてはいなかった。
Bundesregierung:『クラウス氏。我々はあなたを高く評価している。対価として、H&K社が威信をかけて調整した最新鋭のG28 DMRの実戦フルセット。そして、異世界の悪路を走破するための軍用車両、メルセデス・ベンツ Gクラス “Wolf”(軍用モデル)を用意しよう。さらにA.ランゲ&ゾーネの『トゥールボグラフ・パーペチュアル “プール・ル・メリット”』を譲渡する。現在、同ブランドにあなた専用の特別注文の時計を作らせているところだ。完成しだい、こちらも届けると約束しよう』
「なっ……軍用Gクラスに、H&Kに、A.ランゲ&ゾーネだと!?」
普段は冷静なクラウスの目が輝いた。
「Kenのランクルを見て、俺も機動力が欲しいと思っていたところだ。しかもH&Kの最高傑作と、A.ランゲ&ゾーネ……完璧だ。これほど合理的な取引はない」
:『政府のガチすぎるご褒美リストww』
:『エリゼ宮の地下セラーから、ワインを10ダースとか草』
:『クラウスがニチャアって笑ってて草』
:『ミスリルの価値ヤバすぎだろ lmao』
ピエールは満足げに口髭を撫で、左手の人差指にはめていたミスリルのリングを外した。
「決まりだね。クラウス、私はこのエレガントな取引に応じるよ。君はどうする?」
「聞くまでもない。俺のリングも、祖国の誇る機械工学と交換だ。……おい、ドイツ政府。取引成立だ。今すぐ俺のガレージに車両とライフル、A.ランゲ&ゾーネを置け」
クラウスが右手の人差指にはめたミスリルのリングを外し、力強く頷いた直後だった。
ドイツ政府のアカウントから、長文のコメントが投下された。
Bundesregierung:『感謝する、クラウス氏。それでは直ちに取引の手続きに移行する。まずはガレージに置いた書類に必要事項を記入の上、提出してくれたまえ』
「……Ja?」
クラウスの動きが止まった。
Bundesregierung:『軍用車両の民間人への譲渡にあたり、「特別防衛装備品取扱許可証(Formular 72-A)」の審査が必要となる。また、ミスリルのリングの資産価値算定のため、税務署へ「臨時所得申告書」の提出もお願いしたい』
「……は?」
クラウスの顔から表情が抜け落ちた。
:『出たwwww ドイツ名物「紙の戦争」wwww』
:『異世界でもお役所仕事は健在 lmao』
:『クラウスの顔wwww』
:『ピエールはもうシャンパン飲んでるぞww』
隣を見ると、ピエールは勲章を胸に着け『クリュッグのクロ・ダンボネ』のコルクを抜いていた。
「ふふっ。まさか異世界で、ドイツ名物『紙の戦争』を見られるなんてね! 早くしないとシャンパンの気が抜けるよ、クラウス!」
「うるさい、黙ってろ!」
クラウスは書類の山を睨みつけながら、ギリギリと歯を鳴らした。
「なぜ異世界で、焚き火の煙に巻かれながら、政府のクソ面倒な申告書を読まなければならないんだ! ええい、この項目はなんだ!? 『ミスリルのリングの製造責任者の氏名』だと!? ドワーフの名前なんか聞いてないわ!!」
ピエールは最高級のシャンパンをグラスに注ぎ、芳醇な香りを楽しみながら肩をすくめた。
「C'est magnifique(素晴らしい)! ドイツの『合理性』というやつも、なかなか大変みたいだね」
「笑うな! ……くそっ、次から次へ! おい政府! 異世界の環境評価など必要なのか! どうなってる!」
静かな異世界の夜の森に、フランスの最高級シャンパンの香りと、ドイツの官僚主義に対するクラウスの怒号が虚しく響き渡る。
【エリゼ宮の地下セラーのワイン10ダース】
フランス大統領府の地下深くに眠る120本の最高峰ヴィンテージ。その価値は金銭に換算すればパリ一等地のアパルトマン一室分、政治的価値まで含めるなら、小規模な外交危機をひとつ穏やかに揉み消すのに十分なほどである。
【A.ランゲ&ゾーネ】
1845年創業、東西ドイツ統一後に奇跡の復活を遂げたドイツ時計工芸の至宝。すべての時計を「一度組み上げて完璧に調整した後、すべて解体して仕上げを行い、もう一度組み上げる」という狂気的な二度組みの手間を課す、大量生産の時代に対する美しき反逆者。
【トゥールボグラフ・パーペチュアル “プール・ル・メリット”】
鎖引き機構、トゥールビヨン、永久カレンダーなど5つの超複雑機構をひとつのケースに凝縮した、機械式時計の到達点。定価約6,000万円。市場相場1億円超。
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次話明日7:00に公開予定。




