039 Rally1
潮の香りが色濃く漂う港町。
白樺の木の板に木の釘で打ち付けられた巨大なサーモンが、炎の熱を浴びてゆっくりと脂を滴らせている。フィンランドの伝統的な焚き火料理、『ロイムロヒ』だ。
ヤリは黒いククサ(木製のマグカップ)に注がれた浅煎りのコーヒーをすすり、小さく息を吐いた。
「……」
配信画面のコメント欄も、主の気質に似てひたすらに静かだった。
:『Moi』
:『美味そう』
:『……』
:『今日もいい火だ』
Kenのように派手なリアクションをすることもない。ただ、火と自然と向き合う。それがヤリの配信スタイルだった。
しかし、その静寂を破るように、見慣れない公式マークのついたアカウントがコメントを投下した。
Puolustusministeriö(フィンランド国防省):『ヤリ。調子はどうだ』
ヤリは無言のまま、焚き火の薪を火ばさみで一つ動かした。
:『……?』
:『国防省?』
:『Suomi政府が来たぞ』
:『税金の取り立てには遠すぎる距離だぞ』
Puolustusministeriö:『単刀直入に言う。異世界にあるミスリルの製品または、インゴット。それらをこちらの世界に転送してほしい。我が国の国防と技術革新において、あの素材は極めて有用だ』
ヤリはサーモンの焼け具合を確認し、再びコーヒーを一口飲んだ。
「……Ei」
Puolustusministeriö:『……』
「……今は、火の番で忙しい」
:『ヤリ、国からの要請を秒で拒否ww』
:『相変わらず我が道を行く男だ』
:『Sisu(不屈の精神)発揮しすぎだろ』
アメリカ政府のように長々と説得しようとはしない。フィンランド政府もまた、自国民の「沈黙」と「頑固さ」の扱い方を熟知していた。無駄な愛国心への訴えかけや、大げさな取引は逆効果であると。
数分間の、完全な沈黙。
パチ……パチ……と、薪がはぜる音だけが異世界の森に響く。
やがて、政府のアカウントが再び短いコメントを打ち込んだ。
Puolustusministeriö:『Sako TRG M10』
ヤリの眉が、ほんのわずかにピクリと動いた。
Puolustusministeriö:『我が国の誇るボルトアクション・スナイパーライフル。.338ラプアマグナム弾仕様。サプレッサーと最新鋭の光学照準器をセットで提供する。雪原での魔物狩りに最適だ』
ヤリはククサを置いた。
Puolustusministeriö:『それに加え、トヨサからGRワリス Rally1を人道的支援として提供された。フィンランドの雪道で鍛え上げられた最高傑作だ。元ラリードライバーの君にピッタリのマシンだろう』
ヤリの目が、わずかに見開かれた。
無口なフィンランド人にとって、それは『スタンディングオベーション』に等しいリアクションだった。
:『政府、ガチでヤリを落としに来たぞww』
:『SakoのライフルとワリスRally1はフィンランド人の夢セットすぎるだろ!!』
:『Kippis!(乾杯!)』
Kimi:『俺もその車欲しい』
「……分かった」
ヤリは静かに呟いた。
Puolustusministeriö:『そうだ。取引成立か?』
「……ああ。だが、少し待て」
Puolustusministeriö:『何か問題が?』
ヤリはロイムロヒの板を火から少し遠ざけた。
「……鮭をまだ焼いている。鮭を食べ、そのあと……サウナに入る。取引は、その後だ」
Puolustusministeriö:『……了解した。良いサウナを』
ヤリは小さくうなずくと、満足そうに目を細めた。
白夜の国の狙撃手は、新しい相棒と共に走る雪原を想像しながら、ククサにコーヒーのおかわりを注いだ。
【Sako TRG M10(サコ TRG M10)】
フィンランドの銃器メーカー、サコ(Sako)社が開発したモジュラー式スナイパーライフル。過酷な寒冷地でも確実に動作する極めて高い信頼性と命中精度を誇り、世界中の特殊部隊で採用されています。大自然の中で獲物を仕留めるヤリにとって、これ以上ない相棒となります。
【トヨサ・GRワリス Rally1】
トヨサがWRC(世界ラリー選手権)での勝利を目指して開発したラリー専用車両。トヨサのWRCチーム(TGR-WRT)はフィンランドのユヴァスキュラを拠点としており、雪道や未舗装路の走破性はフィンランドの過酷な環境下で徹底的に鍛え上げられている。
お読み頂きありがとうございます。
ブックマーク、★ボタン、できたらよろしくお願いします。
次話明日7:00に公開予定。




