第二章 妹・文子
時は遡り、1911年。
石川県大聖寺町。
宇吉郎少年、十歳の冬のことである。
どんよりした鉛色の空を見上げながら、宇吉郎少年は古めかしい温度計を握りしめていた。
氷点下三度。湿度も条件も、計算どおりだ。
「今日はぜったいに雪が降る」
宇吉郎少年は、そう言って六歳の妹、文子とともに空を見上げていた。
だが、小一時間待っても、空からは一粒の雪も降ってこなかった。
「おかしいな。この気温だろ、この湿度だろ。この天気だろ」
宇吉郎少年が空を見上げる。
隣で文子が、くしゃみをした。
宇吉郎少年は、六歳の小さな肩に父の古いウサギ毛皮のコートをかけてやった。
「あったかい……」
宇吉郎少年はまた空を見上げた。そして小さくため息をついた。
「兄ちゃんの計算が、まちがってたんだな」
文子は空を見上げ、小さな声で言った。
「ふみ、いちばんさいしょにおちてくる、できたてのゆき……みたい」
「ああ、兄ちゃんがいつか、ふみに見せてやる」
「やくそくだよ」
「もし、空から降ってくるところが見えなかったら、いつか兄ちゃんが出来立ての雪を作ってやる」
「ほんとう?」
「できるさ。雪は自然にできるんだ。だったら人間だって……兄ちゃんだって作れるさ」
「いつかつくってみせて」
「ああ。だから今日はあきらめよう。風邪ひいちゃう」
家に入るとき、文子のコートの端に六角形の結晶が光っていた。
……雪の結晶みたいだ。と宇吉郎少年は思った。
その結晶で輝く小さな光は、なぜか胸に深く刺さった。
あの冬のあと、文子は長くは生きられなかった。
病弱だった文子の病は静かに進み、兄の知らないところで、小さい身体を蝕んでいたのだ。文子の命は七歳になる手前で、まるで春先に降った雪のように淡く消えた。
……だからこそ、あの約束だけは守りたい……宇吉郎少年の心の底で、それだけはずっと凍ることも融けることもなく残り続けた。
それは、少年が青年になり、そして中年に差し掛かりつつある、今でも……




